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第15章 灯凛

沈黙が、空間を満たしている。


音ではない。

圧でもない。


ただ、

何も起きていないという事実だけが、続いていた。


灯凛は、そこにいた。


――いや。


「立っている」という認識を、

まだ手放せずにいるだけだった。


進んでいない。

戻ってもいない。


計算された到達点にも、

過去にも、

未来にもいない。


「あぁ……」


声が、わずかに上ずる。


「……あれ?」


視線を巡らせる。


空ではない。

街でもない。

あのとき見た“祝祭”でもない。


「……えっと……」


言葉が、適切な順序を見つけられない。


声が、

ほんのわずかに、涙を含む。


無理に笑おうとして、

うまくいかない。


「……そっか」


息を吐く。


「私たち……」


短く、乾いた笑い。


「あは……」

「計算、間違えてたんだ」


ARK-Λ-00は、語らない。


否定もしない。

肯定もしない。


ただ、

沈黙そのものとして、そこにある。


灯凛は、胸に手を当てた。


そこに残っている“重さ”を、

確かめるように。


「……私」


声が、落ちる。


「殺したんだ……」


深く、目を閉じる。


「……シア……」


空間が、

さらに静かになる。


その沈黙を、

初めて破ったのは、アークだった。


「KØØ-SIA-01」


機械的で、正確な発声。


「生存反応、確認」


灯凛の肩が、びくりと揺れる。


「……え?」


「お前が言う“シア”は」

「現在、生きている」


淡々と、

感情を交えずに告げられる事実。


「お前が見た光景は」

「過去の投影」

「謝絶共有回路を経由した、残留信号と判断する」


説明は、続く。


「接続すれば、詳細な再生は可能」

「だが、その必要はないと結論した」


即時に。

迷いなく。


「KØØ-SIA-01」

「シアは、生存している」


その直後――

遠くから、

かすかに、だが確かに、

灯凛を呼ぶ声が届いた。


距離も、方向も、定義されていないはずの場所から。

それでも、その呼び方だけは、間違えようがなかった。


ARK-Λ-00が、低く告げる。


「……お前の自律遮断機構は、欠陥設計か?」


淡々と、正確に。


「感情遮断に優先度を割きすぎている」

「外界呼応レイヤーが、強制的にミュートされている」


続けて、同じ調子で。


「――聞こえんのか?」


「KØØ-SIA-01が」

「今も、力いっぱい、お前を呼んでいる声が」


同じ事実を、

もう一度だけ、繰り返す。


灯凛は、しばらく黙っていた。


そして――


「あぁ……」


小さく、笑う。


今度は、

ちゃんとした空元気だった。


「そっか……」


息を吸う。


「じゃあ……」


視線を上げる。


「あの、滅茶苦茶に剣を振り回してるのが」

「……私、ってことね」


ARK-Λ-00は、否定しない。

肯定もしない。


代わりに――


空間そのものが、ひらかれた。


数式が、浮かび上がる。


文字ではない。

記号でもない。


光と振動で編まれた、

世界の設計図そのもの。


空間の奥行きが失われ、

代わりに“意味の層”が、幾重にも重なる。


美しい。

無駄がない。


だが――

どこか、手触りがある。


見覚えがある、ではない。

理解している、でもない。


胸の奥が、

理由もなく、静かに反応する。


灯凛の視線が、止まる。


「……これ」


それは、確かに知っている構造だった。


最短ではない。

最適でもない。


世界を“壊さずに流す”ための設計。


あのとき――

灯凛自身が、ほんの少しだけずらした数。


「……残ってる」


ARK-Λ-00が、

初めて語調を変える。


「お前“達”の計算は」

「何一つ、誤っていない」


数式が、ゆっくりと組み上がる。


そこには、

シア世界線の観測。

灯凛が加えた“ずれ”。

そして、この世界の観測結果。


すべてが、

ひとつの流れとして重なっていた。


「お前が放った振動を、すべて拾い」

「ワシは、完成させただけじゃ」


エネルギーの譲渡は、ない。


力も、ない。


ただ、

完成した式だけが、そこにある。


灯凛は、それを見つめる。


胸の奥で、

何かが、すっとほどける。


「……そっか」


拳を握る。


震えは、ない。


「じゃあ」


前を見る。


「今度は、ちゃんとしなくちゃ」


その瞬間。


完成した数式が、

灯凛の背へと、静かに重なった。


纏う、というより、

背負うに近い。


灯凛の瞳が、変わる。


深い紫の奥に、

黄金の輪郭が灯る。


照らすための光ではない。

裁くための輝きでもない。


ただ、

見失わないための色。


ARK-Λ-00は、何も答えない。


だが、

その沈黙は、もう重くなかった。


次の瞬間。


空間の端が、白く裂ける。


白銀が、差し込む。


正義が、

ようやく追いついた。


灯凛は、一歩、前に出る。


もう、迷いはない。


「もう」

「間違えないよ」


完成した数式が、

その背中で、静かに脈打っていた。

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