第1章 ルンの祝福
朝の光は、砂糖菓子を砕いてふりまいたように街を包んでいた。
色は淡く、音は柔らかく、
人々はみな同じ呼吸で微笑んでいる。
ただ一人、
KØØ-SIA-01 の胸の奥だけが、
そっと疼いていた。
(……また、キンって……)
ほんの一瞬、
視界が波紋のように揺れる。
「だいじょうぶ?」
隣で LUN-314 が覗き込む。
光を映す瞳が、かすかに揺れた。
「……歩ける。」
「ふーん。……じゃあ、いいけど。」
すこし唇を尖らせてから、
ルンは花びらみたいに笑った。
その笑顔に、
世界の色が一度だけ澄んだ。
二人は普段はコードで呼び合う。
それがこの世界の“正しい秩序”。
……けれど。
「ねえ、ほかの子には絶対に言わないから。」
ルンは小声で、
すこしだけ顔を寄せた。
「あなたのこと……
シアって呼んでいい?」
胸のざわめきが、
音を立ててほどけた。
「……わたしも、
ルンって呼びたかった。」
二人だけの秘密がひとつ生まれた。
その瞬間、
世界が小さく息をしたように思えた。
⸻
家に戻ると、
母が均一な微笑を向けた。
丸みを帯びた身体が、
ゆっくりと揺れる。
表情の位置は曖昧なのに、
声だけはいつも同じ高さで、
同じ温度だった。
奥では、
父が殻の縁をかすかに鳴らしている。
それが、この家の「返事」の合図だった。
「また痛むの? 大丈夫よ。
あなたは欠陥品じゃないわ。」
その言葉は、
安心のために用意された形をしていた。
「……変な映像が、見えるの。」
「気にしなくていいの。
幸せだけ感じていれば、それでいいのよ。」
同じ言葉、
同じ笑顔、
同じ呼吸。
それなのに、
胸の奥だけが、少しざらついた。
⸻
翌朝。
光の鐘が、
空を震わせた。
今日は、祝福の儀。
広場には、
甘い花びらの匂いのようなざわめきが満ちている。
「見て、シア。
今日の祝福、わたしたち最前列だよ!」
祝福されるのは──
MEL-111。
昨日、普通に挨拶した子。
よく笑い、よく気遣う、
優しい少女。
なのに。
「昨日まで普通だったのに……」
「でも祝福されるってことは、
もっと幸せになれる証拠よ」
「ほら、あの子、
光が少し弱かったでしょ?」
軽く、やさしく、
人形のように整った声が広がる。
(……光って、
弱まるものなの?)
胸の奥が、
また波立つ。
空が、淡く光る。
風が、止まった。
光の粒がひらひらと落ちてきたかと思うと──
その中央を裂くように、
一筋の白銀が降りてきた。
人々は一斉に歓声を上げる。
「……セラフィス様……!」
「本物の聖騎士だ……!」
「見て、あのマント……
光がこぼれてる……!」
白銀の鎧。
白く澄んだ髪。
背に翻る、
清らかな光を宿した
白銀のマント。
“この世界が求める理想の英雄”
そのものの姿。
セラフィスは舞台に降り立つと、
澄んだ声を響かせた。
『幸福なる者たちよ。
これより MEL-111 の祝福を執行する。
どうか、光に祈りを。』
祈りの声が、
波のように広がる。
涙ぐむ者さえいる。
その美しさの中心で、
シアは吸い込まれるように
セラフィスを見つめた。
白銀の光は、
祝福の象徴として完璧だった。
けれど──
光の縁が、
どこかひとところだけ
呼吸を乱していた。
泡立つような揺らぎ。
その奥、
薄い膜の裏側に触れるような
黒い点滅。
透き通った輝きの奥──
そこだけ、
黒い染みが脈を打っているように
“見えた”。
言葉にできない違和感が、
胸の膜をそっと指でなぞる。
祝福の儀は、
美しいはずなのに。
(……なに、あれ……)
MEL-111 が歩み出す。
足取りは軽く、
まるで無意識のうちに
“決められた場所”へ
吸い寄せられるみたいに。
セラフィスが剣を掲げる。
光の柱が、
舞台を満たしていく。
「また一人、光に還っていく……!」
「祝福よ……!」
「次は、
もっと幸福になりますように……!」
歓声が上がる。
泣き出す者もいる。
あまりにも幸福すぎる、
“見送り”。
その瞬間。
——キンッ。
世界のどこかを、
針で突いたような音。
(っ……!)
視界が揺れる。
胸の奥が、
氷に触れたように
ひやりとした。
《──……る……や…………て……》
声ではない。
風でもない。
ただ、
“世界の奥底”が
軋むような響き。
膝が、折れた。
「シアっ!」
ルンが支える。
腕が、震えている。
なのに、
周囲は歓声のまま。
幸福の涙を流す顔ばかり。
シアの苦しみなど、
存在しないかのように。
ただ一人──
セラフィスだけが、
静かにシアを見た。
澄んだ青の瞳が、
ひときわ深いところへ沈むように、
ふっと深度を変えた。
そして──
“異物”を識別したかのように、
静かに細められる。
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