プロローグ
僕の家は、区の文化財に指定されている古民家だ。築百年以上の木造建築で、柱は黒光りしていて、床板は歩くたびにぎしぎしと鳴る。観光客なら「風情がある」と喜ぶかもしれない。でも、そこで暮らしている僕にとってはただの「不便な家」だった。冬は隙間風が入り込んで底冷えするし、雨が降れば屋根の隙間からしずくが落ちてくる。勝手に改修することは許されないから、直したくても直せない。友達を呼ぶのも気が引けて、僕はこの家を好きになれずにいた。
そんな家に、ある日突然「交換留学生を受け入れてほしい」という話が舞い込んできた。担任の先生がわざわざ家まで来て、母と父に向かって熱心に説明する。
「文化財の古民家なら、日本らしさを体験できる最高の環境です。ぜひお願いできませんか」
先生はそう言って、僕の家を褒めちぎった。母はすぐに乗り気になり、父も「いい経験になる」と賛成した。僕だけが「嫌だな」と思っていた。
「純、いいじゃない。せっかくの機会なんだから」
「そうだぞ。外国の高校生と一緒に暮らすなんて、滅多にない経験だ」
二人の言葉に、僕は口をつぐんだ。だって、ただでさえ寒い家に、見知らぬ外国人を迎え入れるなんて。英語なんて苦手だし、どう接すればいいのかもわからない。心の中では「やめてほしい」と叫んでいたけれど、結局、僕の意見は押し流されてしまった。
受け入れが決まったのは、アメリカから来る高校生――名前はエミリー。先生がそう告げた瞬間、心臓が跳ねた。
「同じ十七歳のアメリカ人の女子高生ですよ」
その言葉に、僕は思わず息を呑んだ。女子? しかも同じ年? 僕は女子とまともに話したことなんてほとんどない。クラスの女子と目が合うだけで緊張するのに、家に泊まるなんて。想像するだけで顔が熱くなる。
「楽しみね」母が笑う。
「純もいい勉強になるぞ」父が言う。
「きっと素晴らしい経験になります」先生は満足そうに頷いた。
僕だけが、心の中で混乱していた。古い家に来るのが嫌だと思っていたはずなのに、エミリーが女子だと知った途端、胸の奥がざわざわして落ち着かない。嫌だと思う気持ちと、期待してしまう気持ちが入り混じって、どうにも整理がつかない。
その夜、布団に入っても眠れなかった。
――エミリーって、どんな子なんだろう。背が高いのか、髪の色は? 笑うとどんな顔をするんだろう。
想像するだけで胸が高鳴る。嫌だと思っていたはずなのに、気づけば楽しみにしている自分がいた。僕の家は不便で、嫌いだった。でも、エミリーが来ることで、この家が少し違って見えるかもしれない。
二週間。短いけれど、きっと忘れられない時間になる。そう思った瞬間、眠れない夜が少しだけ甘く感じられた。




