第三話 森へ
「なんで、なんでこんなモノをオレに見せんだよ」
ヒイロの目の前には、白衣を着た男の死体が横たわっている。
ゲームやアニメでしか見たことの無かった死体に、ヒイロは動揺を隠せないでいた。
「こんなモノとは失敬な。コレは貴方をこの世界に呼び寄せる為の贄となった魔法使い。此奴の死の上に貴方という存在は成り立っているのですぞ」
キケルの言葉も耳には届かず、ヒイロは浅い呼吸を繰り返している。
そんなヒイロを気にも止めず、考える猶予を与えない為か、矢継ぎ早に話を続ける。
「やって欲しい事とはずばり、ゴブリン討伐にございます。近頃、女、子どもが攫われる事件が頻発しておりまして──」
「調べてみたところ、どうやらゴブリン共が森にある洞窟を根城にしている様子……。なのでヒイロにはその力を見せてもらうべく、ゴブリン退治をお願いしたいのです。よろしいかな?」
ヒイロは尚も上の空で、横たわる死体を見つめるだけ。
そんな姿に痺れを切らしたのか、キケルは突如声を荒げて発破をかける。
「いつまで呆けているつもりだ! お前の為に人が死んでいるんだぞ、せめて力になってみせろ!!」
ヒイロは肩をビクンッと跳ねさせ、条件反射の様にわなわなと口を開く。
「わ、分かったよ。ゴブ、ゴブリンを倒せばいいんだな。大丈夫、オレならできるよ。でも場所は……。オレ一人で──」
「安心しろ。そこに転がる男アルデバランを殺した張本人、セーラに案内をさせる」
「さぁ、行ってこい。二人でゴブリン退治だぁ! アッハッハッハッハッハ!!」
「「「アッハッハッハッハッハ!!」」」
キケルが笑うと、合図をしたかの様に他の連中も一斉に笑い始める。
その異様な空間で一人疎外感を感じるヒイロの元へ、一人の少女が連れてこられた。
その少女は端正な顔立ちをしているのだが、目の下には隈ができており、頭の横で二つにまとめた長い黒髪は傷み、靴すら履いていない状態だった。
「ほれ、挨拶をせんか。それとも挨拶代わりに咥えてみるか? ハッハッハッハ!」
「「「アッハッハッハッハ!!」」」
嫌な笑いが木霊する。
初めて目にする死体に狼狽えていたヒイロだったが、男たちの下衆な笑いで平静を取り戻し、少女の手を取り森の方へと引っ張って行く。
そんな二人を嘲笑うかの様に、キケルは仲間たちへと軽口を飛ばす。
「我らは玉まで失ったんだ。しっかりゴブリン共のタマぁ取ってきてもらわねばな。アッハッハッハ!」
「「「アッハッハッハッハッハ!!」」」
──────────
「ったく、何なんだアイツらは一体……。どうして異世界に来てまで、バカにされなきゃなんねぇんだ」
ヒイロは激怒した。
異世界に召喚され、美少女たちにチヤホヤされると思っていたのに、いい様に使われているこの現状に腹が立って仕方がなかった。
「(だいたい、こういうのは神とか女神が現れてなんかこう──。スゴい力を授けてくれるんじゃないのか?)」
キケロには魔力があると言われたが、その力を未だ使っておらず、ヒイロ自身も半信半疑の様子。
ズンズンと大股で森を進んでいく中、ヒイロはある疑問が頭に浮かび、少女の方へと向き直った。
「なぁ、キミが本当にあの男を殺したのか?」
「……」
少女は虚ろな表情を浮かべるだけで何も答えない。
ふと足元を見てみると、彼女の歩いた跡には血の斑点がいくつも連なっていた。
どうやら裸足の少女は、石や木の枝で足の裏を切っているらしい。
「血が出てるけど大丈夫か? 痛くないのか?」
「……」
またも彼女は無反応。
医師の男を殺したことが原因で、喋れなくなってしまったのだろうか?
それとも、お腹が空いてるのかな?
「仕方ないな、ったく……」
そう言って彼女を抱き抱えようとした、その瞬間──
「チッ! ウザいんだよ、オッサン」
差し出した手を叩かれた上、舌打ちまでされる始末。
「お、オッサン……?」
オレはまだ華の二十代だぞ、そう言いたげな表情でセーラの顔を見やるヒイロ。
そんなヒイロの顔面に唾を吐き(ご褒美じゃないか!)、今まで無言だったのが夢かと思うほど、彼女は饒舌に喋り始めた。
「てか、ずっと手掴まれて痛いんですけど。アンタ、頭おかしいの? それとも何、童貞?」
童貞で何が悪いんだよ、えぇ!?
今のが童貞とどう関係があんだよ、言ってみろよお前!
逆に童貞だったら手なんか触れねぇだろうが、バァーーカ!!
……と、ヒイロは思ったはず。
絶対そうだ、間違いない。
「悪かったな、人殺し。そんな事より挨拶はどうした? このオレは異世界から、わざわざお前たちを助けに来てやったんだぞ。礼の一つでも言ったらどうだ、んん? それともホントに咥えてみるか? あぁん!?」
お前、どしたんだよ急にぃ!?
えぇ?
死体見つめて顔面蒼白にしてたヤツとは思えない発言なんだけど……。
女の子に対して人殺しとか言っちゃうし……。
デリカシーとか無いの、ねぇ?
「んでないし……」
セーラは俯いて何かを呟く。
しかし、声が小さくて聞き取れない。
よくマンガやアニメで見るあの演出です。
「は?」
「助けてくれなんて、頼んでないつってんの!」
「お前がこの世界に来なきゃ……。愚痴こぼしながら、それでも平和に暮らしてた。なのに、なのにお前が来たせいでみんな魔法使いを倒せるって、世界を変えられるって夢見ちゃってんじゃん!」
静かな森が、セーラの言葉に呼応する様ざわめき始める。
今までヒイロは軽く考えていた。
「異世界転移だ!」「召喚だ!」「この世界でオレもハーレムを!」と、そんな風にどこかゲームの様に捉えていた。
でも違う。
ここには人が住んでいて、文化を、社会を形成し、全てが絶妙なバランスで成り立っている。
そこに異分子が入り込むという事は、本来辿るはずだった未来は訪れず、生まれるはずだったものが闇に葬られ、生まれるはずでなかった生命が誕生する。
そういう事なのだ。
しかし、そこまで考えが及ばなかった。
白洲緋色という石がもたらす波紋の影響が、それほどまでに大きいという事を理解していなかった。
「オレは……。それほどまでにスゴい存在だったんだなぁ……」
「ねぇ、話聞いてた?」
二人がそんな、付き合いたてのカップルの様な微笑ましい会話をしている中、近くの草陰から何かが飛び出しセーラを襲った。
「キエェェェ!」
「いやぁぁぁ!!」
「おわぁぁぁ!!!」
セーラの絶叫に驚き、ヒイロは思わず腰を抜かす。
そして草陰から突如セーラを襲ったのは、緑色の小さな鬼、そう──。
みんな大好き、ゴブリンだった。