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第4話 スライムの夏

嶺颪(ねおろし)氏族会議の議長が決まったですか。それはよかったです」

「まぁ、オーク氏族だからよ。族長選びが、一年くれえ延びるなあ、ねえわけじゃあねえんだ。でもよ。二年は、ちと、長いぜ」


 こっちは骨折りしたぜと、アレクサンドロ・マクリンは続けた。

 アレクサンドロとは、今回の護衛が初顔合わせだったが、転移者のタロウは、人間なら誰でもすぐ顔と名前を覚えてもらえた。それで招かれたのだろう。


 タロウが仕事の予定を確かめに万屋組合へ顔を出すと、今回参加した商隊護衛の助っ人として、万屋の組合員を纏める組頭だったアレクサンドロが軽く手を上げたので、挨拶に(おもむ)いた。ローマっ子の話しかたが少しくどいが、経験豊かで面倒見もいい、ちょうど脂が乗ってきた男だ。


 その際の四方山話の一つになる。



 二年もの間、嶺颪氏族会議の議長が決まらなかった理由。


 男しかいないオークは、他種族の女に子供を産んでもらう必要がある。

 その場合、ゴブリンの女が主に母体になるのだが、オークとゴブリンの共同体では、どちらが共同体の頭になるかで、共同体の運営方針が異なる。


 ゴブリンを頭にすると、ゴブリン氏族になり、何をするにも下から上に話をあげようとする。ゴブリンだけのゴブリン純血氏族もあるが、オークを抱えられない百人以下の小さな氏族だ。


 オークを頭にすると、オーク氏族になり、上意下達。

 オーク純血主義の氏族になると、頭も男も全員がオークだけの氏族になる。女を略奪するようでは、略奪された種族の討伐対象になる。


 女には指一本触れないという精力絶倫なオークばかりになると、オークの氏神様が許すまい。


 オークとゴブリンのどちらを頭に据えても一長一短がある。今回の嶺颪会議の場合、オーク氏族の悪い面が出たらしい。

 白い大街道が生みだす巨万の富が、オーク氏族達の議長をめぐる争いに火に油を注ぐ形になった。


 次の議長選びはもっと大変なことになるかもなと、アレクサンドロは肩をすくめた。




「わはははは。よい取り引きが出来ました」


 ゴールのドワーフ国第一都市パリからミツマッタに商談に来ていたグトヴァン・グーテ第一工業大臣は、もはや嬉しさを隠すことができなかった。樽のような腹を震わせて笑っていた。

 グトヴァンの随行員も、全員が体を揺するように笑っていた。


 ミナマッタの交渉相手の人間が、皆、つるんとした茹で卵のような顔なのも愉快だった。


 今回の交渉の前に、グドヴァン一行は東区のスライム研究所を見学した。

 スライム氏族連盟に加盟するスライム氏族の数は、年を経るごとに増えている。知恵のないスライムも、スライムハンターが世界中を探し集めている。交渉団は凄まじい種類のスライムに圧倒された。

 スライム産業で、ミツマッタに追いつくのは無理だった。


 水素、ヘリウムを大量生産する目処がついたと聞かされたときは目を見張った。


 だが、交渉の結果、ミナマッタの石炭液化スライムプラントを、ゴール国内に建設することで合意できた。それも二年前に完成したばかりの最新式だ。笑わずにはいられなかった。


 これで、ゴール国内でも石炭から人造石油を作ることができる。



 ヒカルがリヨンまで白の大街道を敷く五十年前、隣り合うゴールのドワーフとアレマーニャのエルフは、あらゆる産業で激烈な競争を行っていた。ドワーフとエルフは、世界の頂点である二大種族だからだ。

 元副帝都ローマ圏で話されている西共通語とは、ゴールのドワーフ語のことだ。


 だが、ドワーフが、鉄の生産の質と量で、エルフを押し潰そうとしていた時代でもあった。


 そこに、ミツマッタとリヨンを結ぶ白の大街道が普請される。

 お近づきの印だと、ヒカルの大魔法で、リヨンと経由地になるズビッツェラのエルフ氏族領内ジュネーブに、石製の大道管とその中を走る水道管、下水道管を埋め込んだ。


 浄水場も下水処理場もなかったが、いままでの貧弱な下水道や汚染されがちな井戸、水道よりははるかにましだった。


 しばらくして、ミツマッタでのスライムプラント革命が進むと、エルフとドワーフの明暗がわかれる。



 ジュネーブを訪れたアレマーニャのエルフの伝聞が広まり、アレマーニャの都市でも、水道管と下水道間を通した石製の大道管の普及が始まったのだ。

 ミツマッタから、浄水場、下水処理場のスライムプラントも導入した。


 エルフはドワーフに比べると、大量の製鉄、工場、蒸気機関導入の結果として生じた煙害に弱かった。自然環境の破壊が一番エルフには堪えた。それがエルフがドワーフに遅れをとった原因であり、生活環境改善の一環で、費用がかかる上下水道をミツマッタから取り入れた理由だ。


 ドワーフがそれを知った時は、これでエルフを突き放せると歓声をあげた。


 リヨンのように只ならば兎も角、坑道でも平気なドワーフには、当時不必要だと思われた上下水道をミツマッタから導入するくらいなら、その予算を使った新たな投資によって、エルフとの差を広げようとしたのだ。


 エルフとドワーフの仲が悪いのは、衛生観念の差もあった。


 当初は、ドワーフの思惑通りにいっていると思われた。エルフが、電気自動車を初めとした、電気製品の開発に成功するまでは。


 ミツマッタとの関係を深めていたアレマーニャは、高性能の蓄電池開発に成功した。エルフの独占事業だ。

 その瞬間、エルフによる煙害を克服した製鉄事業、工場、蒸気機関と既存の風車、水車を発電に利用した蓄電池との並立体制が確立した。


 ドワーフも、優位な製鉄事業と蒸気機関で対抗しようと投資に投資を重ねたが、大気汚染や水質汚染などが、都市機能を集約したドワーフにも耐えがたいものになってくる。ミツマッタから、浄水場、下水処理場、上下水道や煤煙処理施設など、大規模に導入することになる。

 蓄電池関連は、エルフが独占したままだ。


 それから十五年、ドワーフはエルフに遅れをとっていた。



「グーテ第一大臣閣下。これで、石炭を人造石油に置き換えられます。蒸気船や、蒸気機関車だけではありません。自動車もすぐ完全国産できるようになるでしょう」

「ああ。内燃機関も人造石油の燃焼に耐えられる目処もついている。さすがに蒸気機関では自動車は無理だったからな。しかし、水素とヘリウムは、ワシらも欲しいな。どうにかならんか?」


 今回の交渉の立役者であるゴールのミツマッタ領事館領事アルフォンス・サドがにこやかにグーデに話しかける。


 ゴールのアレマーニャからの蓄電器輸入、自動車輸入による貿易赤字はゴール経済に深刻な打撃を与えていた。


 さらに、アレマーニャ陸軍が、蒸気機関による小型発電機を牽引して蓄電器の交換と組み合わせ、自動車化した歩兵大隊、砲兵大隊に、新兵器の装甲車大隊を加えた部隊の実験を去年から繰り返していたのだ。

 ゴール陸軍も、主力の魔法使いの補助兵科である歩兵、砲兵の一部自動車化は進めていたが、概念として存在するだけだった装甲車の実用化は、ゴール陸軍内部に衝撃を与えた。


 分散して住んでいるアレマーニャのエルフよりも、集約して住んでいるゴールのドワーフのほうが、電車や電気自動車に向いている。エルフも、この時代の電気自動車よりは、人造石油の内燃機関車が向いているだろう。


 エルフにドワーフも、蓄電池と人造石油では、双方の生活様式に適さない技術体系を抱えることになる。




 この世界には、三人の有名な転移者がいた。


 一人目は、三百五十前、この世界に転移したコウジ・キッカワ。

 ノヴァ・ローマ、ローマの二都市を東西の副帝都に指定した。帝都は、コウジが帝座を置いた御座船キッカワマルと周りを囲む艦隊で、浮かぶ都として帝国領内を自由に動き回り、キッカワ帝国の初代皇帝になった男だ。


 二人目は、二百年前、転移してきた本名ヒロシ・ヤマダ。

 この世界では、偽名侯爵キョウマ・クジャクオウとして知られている。ステータスカードに縛られない魂の名前だ。どさくさに紛れて公爵家の入婿になった男だが、通り名に侯爵がつく。


 そして、三人目が、六十年前に転移してきたヒカル・ワタナベになる。


 転移者は、この世界には、四百年前から急に現れるようになった。

 転移者といっても、コウジ、キョウマ、ヒカルのように世界に影響を与える存在から、転移後三年たち、万屋組合員として浮き草暮らしのタロウのような者もいる。



「タロウは、ずっと組合員を続けるつもりなの?」

「自分にはとくに取り柄もないです。使える魔法も大したことないです。やりたいこともないです。いまできることは万屋で頑張ってお金を貯めるくらいです」


 元の世界の大学で何か役立つ勉強をしていればと、ポーラと昼食を共にしていたタロウはため息をついた。

 この世界での転移者の知識というのは、百年前くらいで出尽くしている。少なくとも、この世界で実現可能なものはそうだ。


 洗濯板、湯たんぽ、蓄音機、ガラス板の写真湿板など、実物を作れた特許登録者の転移者は一生を食うに困らなかった。この世界では、ドワーフやエルフの手で知的所有権が保護されていたのが大きい。


 知識だけなら、電灯、映画、冷蔵庫、ライフル銃、潜水艦、飛行機、コンテナ、ロケット、人工衛星、人工心臓など、三百年前から、ホラ話を纏めたような本が何十冊もカラー印刷で出版されていた。遺伝子、抗生物質、元素周期律、数学の方程式、物理の方程式などあらゆる分野の知識もそうだ。実用化されているかは別の話だ。

 囲碁、将棋、タロット占い、紅茶キノコ、飲尿健康法、緊縛術などもそうだった。


 この世界の文学史、美術史、音楽史、舞台芸術史、漫画史などは、もう独自の進化を遂げていた。


 ヒカルのスライムプラントは、机上の空論としてではなく実現させたことから、転移者の知識による貢献度という点でいえば、当時、五十年ぶりの快挙といってよかった。

 だが、ヒカルの後、この世界で再発生した転移者ブームはすぐ尻すぼみになる。


 三年たって、いまタロウが万屋の組合員をしているということはそういうことだ。



「あれは何ですか?」

「‥‥‥エルフショーでしょうね。どっちのエルフショーかはわからないけど」

「‥‥‥あれもそうですか‥‥‥」

「夏は稼ぎどきなんでしょうね。巡業場所が重ならないように、ある程度は組合が割りふっているとは思うけど、やっぱりミナマッタは別格だわ。いま一番の看板女優が集まるんでしょうね」と、ポートが腕を組んだ。


 けばけばしい色の屋形船が何艘も静かに運河を渡っていく。


 食堂の野外席として、白い防水布で作った日除の下から見るいつもの光景とは違っていた。


「田舎のほうだと、巡業の一座は、船や馬車には旗を立てて、劇団員も大騒ぎしながら客引きをするものだけど。ミナマッタじゃ、お行儀が悪いって追い出されるから」

「そういうのは見たことないです」

「私の地元はね、何日も前から男はみんなソワソワし始めて大変よ。入れてもらえない子供もソワソワしているのがまた可笑しいの」


 組んだ腕を解いたポートは、堀割を眺めるように頬杖をついた。



 エルフショーとは、ストリップとポルノ映画を融合させた、大人のミュージカルだ。


 百年前のエルフショー全盛期のときは、本物のエルフ「偽名ディードリト」の巡業百五十周年の最後がローマでの引退公演で、当時ローマ圏一のローマ帝国劇場を一カ月も借り切ったのは、いまでも語り草になっている。


 「偽名ディードリト」で芸名だ。


 エルフ贔屓の魔法が使えた最高幹部達が、開演前の暗い帝国劇場内、幕の降りている舞台上で両手にファイヤーボールを持ち、一糸乱れず踊り狂った。

 興奮が最高潮でも、ファイヤーボールを客席に打ち込むことはなかった。


 その「偽名ディードリト」は、いまでもアレマーニャの地元で息災だという。


 エルフショーは、そのショーの内容の為に、ローマ圏では劇場を持つことを許されていない。

 旅回りの一座として、馬車、船を使ってローマ圏内を回っているのだが、手品、曲芸、舞踏、演劇をする同じく旅回りの普通の一座とは、明確に区分されている。

 両方に、公演後の売春行為があってもだ。


 そして、エルフショーには、本物のエルフはいない。


 「偽名ディードリト」は数少ない例外の一人だ。

 「偽名ディードリト」のローマ引退公演から、百年の間に紆余曲折があり、エルフショーは、大人のミュージカルだけではなく、女子供も楽しめるお化け屋敷の意味合いも持つようになった。


 ミツマッタでは、大人のミュージカルや、お化け屋敷のエルフショーどころか、ミツマッタ市営劇場お抱えの音楽団、舞踏団、演劇団、歌劇団にも、路上での客引きは許されていない。中央区、北区、南区の三箇所には、ローマ圏では最大級の規模になるミナマッタ市営劇場がある。


 世界中から金の流れ込んできたミナマッタには、北区、南区に小劇場が乱立した。


 その過当競争には歯止めがかからず、異性との接触を意識させる客引きだけでなく、荷車、川船に乗せた広告看板、広告がわりの突発的な路上活動などが横行し、市営の三劇場も対抗しはじめたので、ミツマッタでは一律禁止になった。


 芸術の都を自認している元副帝都ローマとは、完全に真逆の市政だ。



 また、「偽名ディードリト」は、同性愛者としても有名であり、現在のローマ圏では、エルフが女性の同性愛者の代名詞になっている。百五十年間も有名人なら自然にそうなる。


 男性の同性愛者の代名詞になっているのがドワーフだ。


 人間が、大柄のオークと一対一で勝てたら二つ名持ちになれる。

 ドワーフの場合、一般的なドワーフが大柄のオークと互角に殴り合うことができる。髭も長く、不衛生で、平均寿命が百五十年もあった。エルフが平均三百年、人間は平均五十五年である。


 歴史から学んだ人間は、髭を剃り、顔に乳液をつけることを覚えた。



「ゴールへのスライムプラントの輸出が決まったと聞いたです。僕たちの護衛の仕事は大丈夫でしょうか?」

「タカイドからジュネーブまでは逆走させない歯車をつけた鉄道馬車が。ジュネーブからリヨンまではもう蒸気機関車が走っている。ミナマッタとタカイドの間は勾配がきついところがあるから、まだ馬車を使っているだけ。途中までなら蒸気機関車を通す話もあるみたいよ」


 スライムプラントの輸出なんてと、ポートが笑う。


「僕は、転移してすぐミナマッタに来たので、ミナマッタとタカイドの間しか知らないです。他の街に住むことは考えたことがないです」

「ミナマッタと比べたらローマだって田舎よ。電気もほとんど通ってないし、厠なんかひどいものよ」


 ポートは、両腕を掴み震えるまねをして戯けてみせた。


「東区、中央区は、宿代も家賃も高いです。北区、南区の安いところに住むと、護衛の仕事には不便で、留守の間危ないです。安いところに泊まると、落ち着かなくて泊まる意味ないです」

「あなたが護衛の仕事をしている間はミナマッタにはいないから、その間を空けてるのがもったいないと考えるなら、そうかもしれない」


 タロウは、普通の家がミナマッタに欲しいと口に出した。

 

 


 

 最後まで読んでくださった読者には感謝の言葉しかありません。


 途中まで読んでくださった読者にも同じ気持ちでいます。この文を目にすることはないでしょうが。


 「異類婚姻譚」「身分差」「年の差」のキーワードを削除することになってしまい申し訳ありません。


 前作の「1930年代並行世界への転移」と同じように、未完にならないように毎日投稿するつもりだったのですが、一話目を投稿した時点で閲覧者がほとんどいなかったので、二話目を完成させる前に、四話目での完結を目指す形になりました。


 一話目を書いていた時点では、江戸の時代劇を目指していたのですが、四話目での完結を考えたら、スライムプラントがどうのこうのという話の展開になりました。


 毎日投稿するつもりが、第四話を投稿するのにも間があいてしまいお恥ずかしいしだいです。



 最後に、本当にありがとうございました。

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