第2話 氏子が族滅した氏神は
朝食を手早く済ませたあと、タロウは朝湯へと足を運んだ。
銭湯の暖簾を潜ろうとする女に見覚えがあった。帰りの護衛が一緒で、顔見知りになったポート・イン・ベアトリーチェだ。
転生者のタロウに興味を持ったのか、隙を見つけては話しかけてきた。
名前と名字の間に、「イン」が入っていることから、元副帝都だったローマ管轄下の貴族であることがわかる。
「ローマイン」から「ローマ」が省略されて、いつの間にかいまの形になった。
貴族の三女であるポートは、本当は傭兵の組合員になるべきなのだが、ベアトリーチェ家の家運が傾き、傭兵組合での貴族同士の社交ができないので、万屋の組合員になったという。
没落貴族の万屋行きはよくある話なのだが、飛ぶ鳥を落とす勢いのミツマッタを抱えるピエモンテ州の貴族となると珍しい。
貴族の間では有名な話なのかもしれない。
タロウはポートに声をかけて、一緒に暖簾を潜った。
風呂上がりの汗取りを着て、厚い木綿の敷き布にひっくり返っているタロウの側に、敷き布を手にしたポートがきた。そのまま世間話をすることになった。
汗取りも、敷き布も銭湯の貸し出しだ。
ミツマッタでヒカルが取り入れた銭湯は、暖簾を潜って中に入ると、靴番に靴を預け靴札をもらい、渡された簡易な草鞋で中に入る。銭湯代を払うと、板張りの大広間に入って男女別に分かれ、靴札と服を入れた棚のカギを持って風呂に入る。その時に草鞋は捨てる。
風呂上がりには、新しい簡易の草鞋に履きかえてそのまま着替えて帰ってもよいが、タロウは、大広間で汗が引くまで過ごすのが好きだった。簡易の草鞋は、お湯を沸かす石炭と一緒に燃やされる。
石炭を燃やすと煤煙で大変なことになるが、五十年前のヒカル達は、スライムを使って文字通り黄金を掘り当てた。スライムによる煤煙の処理もその一環だ。
この世界のスライムには、知恵のないスライムと、知恵のあるスライムがいる。
知恵のあるスライムは、ステータスカードを持ち、文字を理解して、人間とも意思疎通ができる。
そして、知恵のあるなしでの危険なスライムと、知恵のあるなしでの危険でないスライムの四つに分類できた。
世界の誕生から五千年も経つと、人間にとって有益なスライムというのは、既知のスライムなら粗方利用されてくる。
知恵のあるスライム氏族との一種の寡占体制、独占体制の構築に、知恵のないスライムなら、品種改良による一種の知的所有権の誕生だ。秘密主義が蔓延っていた。
売り手寡占、売り手独占による寡占価格、独占価格の高止まりもおきてくる。
スライムを厠の大小便の処理に使おうとする歴史には、とくに長いものがある。
この世界の武芸者には、厠でスライムに不覚を取るわけにはいかないと、一生涯を立ち小便、野糞で貫き通した者も数知れない。男女問わない。
風呂に入らなかったという宮本武蔵なら何を語るだろうか。
ミツマッタの成り立ちについて話す。
ミツマッタの三叉路は、Yの字を右に90度回転させた形だ。
ヒカルが、その大魔法を用いたのは、その北東へ伸びる道と南東へ伸びる道の間に、一里(4キロ)四方の区割りをした時だ。東西南北に碁盤の目の道路を建設して、中央区と命名した。
舗装された道路の下には、石製のパイプが埋設され、その中には水道管と下水管が通されていた。三叉路には、旅人のために宿屋が一軒だけある人口百人未満の村しかなかった。
当たり前だが、この段階では、浄水場も下水処理場もまだない。
そして、中央区の東に流れるリエカ河の向こうに、同じく一里(4キロ)四方の東区を建設した。その人口は川渡しと半農半漁の百人未満の村人だ。
三叉路を西へ伸びる道路の北側に、一里四方の北区を建設した。ここには人一人住んでいない。
その道路の南側にも、一里四方の南区を建設した。南区の西二町(1.3キロ)ほど先には、北と南に分かれた二つの湖があり、そこには百人以上の半漁半農の村人が住んでいたが、人一人住んでいないことになる。
この四つの区を合わせて、いまの商業都市ミツマッタだ。
どうしてそうなったのかは不明だが、ヒカル達は、それまで無価値とされてきた無害なスライム氏族達と、スライム氏族連盟を立ち上げた。
当初は、何の意味もない弱者連合ですらないと嘲笑われた。
しばらくすると、市場に出所不明な商品が出回り出した。
スライム絡み以外でも、高品質、低価格の商品であり、利害関係者が目の色を変えて出所を探し出すと、ミツマッタ中央区の南側リエカ河沿いに行き当たった。
スライム氏族連合のスライムだけでなく、危険のあるなしを問わず、知恵のない無価値とされてきたスライムも集めて、作業の工程を重ねることで、一種の化学プラントを立ち上げていたのだ。知恵のあるスライムは、元々優れた研究員であったが、物理的なプラントを活用する発想がなかった。
スライムには、役に立たないスライムほどよく増えるという諺が人間にはあったが、ヒカル達は、少数品目大量生産で、既存のスライム産業との衝突を避けるための棲み分けを計った。
ヒカル達が大量生産した製品は、この世界の産業構造を一気に変えることになる。
ミツマッタ中央区には、スライムプラントの警備員、商人、宿屋、それを目当ての飲食店などが集まり始める。
生活排水、大小便の汚水処理にも、安くあげるために、ヒカルの大魔法でロハ(只)で作った下水道を利用することを思いつくのは自然なことだ。
それぞれの家屋に、生活排水用、大小便用の汚水溜めを別々に、それぞれに適したスライムを設置し、ある程度浄化して下水道に流したあと、下水道のスライム利用の最終処理場を通してリエカ河に放出する。
宿屋や集合住宅が主なミツマッタだからとれた手法ではあったが、既存のスライム産業では、不可能な規模になる汚水の処理能力の片鱗を見せた。
この時代には、すでに公害問題が生じている産業もあり、人が生きているだけで発する生活排水だけで、自然の浄化機能を超えている都市もあった。ゴミ問題が深刻な都市もあった。
この頃、まだ人間が五千人ほどのミツマッタは、生ゴミ、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミなどの分別を最初から行っていたので、後から増える住人にも、違反すれば罰金を含めた対応を徹底していた。集まってくる金は、公共のゴミ箱の設置、ミナマッタ直接雇用のゴミ収集員、ゴミのポイ捨てへの罰金、公共トイレの設置、ミナマッタ警察の設立など、モラル事業に注ぎ込んでいた。
色々と、この世界への鬱憤が溜まっていたのだろう。
転移者のヒカルが、これほどの勝手気ままができたのは、ミナマッタの北は他種族と領土を接していて、十年前の冷害時のオーガ、オーク、ゴブリンの襲撃で住民のほとんどが殺されるか逃げ出し、ピエモンテ州の土候達に押しつけられた格好だからだ。
大魔法使いヒカルをロハ(只)でこき使おうとしたわけだ。
ミナマッタが金を産むようになると、貧しい土候達との間には色々と問題が生じる。色々と。
タロウが、ポートとあれやこれやと話しているうちに、氏神の話題になった。
ステータスカードがあると身分を偽るのは難しいという話から、同じ種族同士の争いでも、一族郎党皆殺しな陰惨な事例をいくつも聞かされる。迫真性が違いすぎた。
転移して三年もこの世界にいると、似たような話は何度も聞いたが、貴族出身のポートの口から語られるのは、体系だっていて、教育を受けなければできないものだった。
氏子が全滅、族滅した場合は、氏神はどうするのかと聞けば、氏神によるという。二千年ほど前までは、氏子が全滅しても、新しく氏子を作りだすこともまだあったらしい。
いまでは、産土神や、鎮守神として魔法の力を授けるか、和御魂や、荒御魂として魔法の力を行使する際に、影響を及ぼすことがほとんどだとか。
氏神が、氏子に魔法の力を与えることはない。
ステータスカードの神名が空欄なタロウは、自分が魔法が使える詳細な理由や、魔法の使い勝手など、知らない知識を聞くたびに感心した。
ポートに請われ、タロウは、自分のもといた世界について取り留めもなく話した。
この世界の銭湯は、蒸し風呂で汗を流して、水をかぶり、また蒸し風呂で汗を流してを繰り返し、浴槽はぬるま湯である。この世界で暖簾をかけているのは、銭湯だけなのに。
タロウは、もとの世界の熱い風呂が懐かしいと、ポートに語った。
不定期連載になると思いますが、投稿時間は18時を予定しています。
よろしくお願いします。