わたし、いじわるな継母なんかになりませんから
「――何ですって? 婚約破棄を……されてきた?」
「ああ。オレが真に愛しているのは、ライザ公女、お前ただ一人だと知られてしまったのだからな。嬉しいだろう? 結局オレにはお前しかいないってことだ!」
数日前のこと。
バリアート侯爵のボンボン子息ミラン・バリアートから、いつもの戯言を聞かされていたわたしは、不穏な気配を感じていた。
ロイット大公家の娘であるわたしとこいつは、世間一般で言う幼馴染。
力を持つ大公家に対し、大したことでも無いバリアート侯爵家との繋がりは、近所だったので仕方が無く付き合ってあげている――それだけの関係性だった。
恐れる家でも無かったので父も気に留めることなく、わたしとミランを遊ばせていたわけだけれど。
「…………何を言うかと思えば」
何が嬉しいものか。要は婚約する直前にフラれてしまっただけの話じゃない。
幼い頃から友達として付き合ってきただけの関係で、侯爵家のボンボン子息と結ばれたいなんて思ったことは一つも無かった。
「ははは! あまりに感極まって何も言えないんだな! まぁ、無理も無いな。なんせ俺はバリアート侯爵の跡取り息子だからな。婚約破棄なんざされても痛くもかゆくも無い!」
片やわたしは、ロイット大公家の娘であり公女だけれど。
――とはいえ、こいつのせいでわたしには悪名がついている。
ただでさえ力を持つロイット大公家において公王よりも発言力を持ち、一言言えば暗躍する者が動き、気に入らない貴族を人知れず暗殺しただとか、血も心も通わぬ冷酷さを発揮して少しでも抗う者は容赦なく切り捨てる――そんな話が尾ひれがついたように広まった。
わたしのどこをどう見ればそう見えるというのか。
目鼻立ちが整う顔立ちからは儚げな表情も相まって気品漂う令嬢だと呼ばれ、艶やかな長い黒髪に劣らない洗練された長身には、真紅のドレスがよく似合うとまで言われるというのに。
でもそう言ってくれているのは、あくまで大公家周りだけの話。
実際に広まっているのは控えめで物静かなどではなく、口数が少ないのは影があるからだとか、冷ややかに見つめるルベライトの瞳が赤く光って近寄りがたいと言われるし散々だった。
正しい印象が伝わらなかったのは、ミランが言いふらしまくった相手がタチの悪い貴族たちだったと後で知った。
「あなたは痛くないんでしょうけれど、わたしは痛すぎて感覚が麻痺しているんだけど?」
「平気だろ。ライザは冷血公女として有名だからな!」
「わたし自身はそうじゃないって何度言えばいいわけ?」
わたしは世間が言うような冷酷非情な公女じゃない。そもそも暗躍者の存在も知らないし、近づく者に刃を向けるといったことは一切無かった。
なのに、
「お前に寄りつく貴族が現れないように、このオレが広めてやったんだから感謝してもらわないとな!」
それもこれも全て、このバカが広めたせい。
「……それで?」
「貴族は寄り付かないが、オレはライザと一緒になりたい」
「納得しようも無いけれど仕方ないわね……」
「そういうわけだからよろしくな!」
望んでいた結婚でも無ければ相手でも無い……何もかもが釣り合わない。
そんな奴と結婚することになろうとは。
それもこれもバカによる悪名広がりが悪いせいなのだけれど。
公に祝福もされない結婚から数年後――。
夫であるミランは、わたしの脅威から逃れる為に夜な夜な街に出歩き遊び回っている――という噂話が広まっていた。
何てことは無く、ミランには元々わたしと結ばれる気は無く箔が欲しかっただけ。そんなのは分かりきっていたし今さらの話だった。
こちらとしては面倒な営みも必要無くて済んだし、元々の遊び人に紐をつけたに過ぎないだけのこと。
だけどこの日、夫への評価がさらに沈む。
「ライザ様、ただ今戻りました。ですが……」
長い休暇を取っていたメイド長が、わたしの前に姿を見せる。彼女の様子に明るさは無く、困惑した表情を見せている。
「メイド長、何があったの?」
「今すぐお見せ致します……それとこれをお読みください」
「……何を見せるって? あら、メモ……」
メモの中身を読む最中にメイド長がわたしに見せたのは、おおよそ二歳半くらいの幼子の姿だった。慎重に抱えられた男児は屋敷の外にいたようで、少し体温が低い。
そこに、バスローブに身を包んだミランが呑気に現れる。
「――ふー。いい湯を浴びた。……ん? ライザとメイド長がこんな所で突っ立って話なんて珍しいな!」
相変わらずのクズっぷりだわ。メモの中身を聞いてどういう言い訳をするものか見ものね。
「うん? ライザ。その男児はどうしたんだ? 随分と愛くるしい……」
「あなたの胸に聞いてみれば?」
「胸に? そう言われても事情も何も知らないから聞きようがないぞ。誰の子なんだ?」
「この子はカルロという名らしいわ。そして父親の名は……ミラン。あなたね」
「ミラン……へぇーミランの子なのか。――オ、オレか!?」
呆れるわね。あなた以外にミランなんて間抜けな名の男などいないというのに。
「幼子もそうだけれど、このメモをよく読んでみれば?」
「んん? メモ……どれどれ」
メモの中身にはこう書かれていた。
〈愛するミラン様へ。わたくしを一生愛するとおっしゃったあの晩の言葉は偽りでしたのね。わたくしを捨てて冷血公女と再婚だなんて、それはあまりに残酷なもの。ですけれど、たった一夜で授かった光をあなたに授けたく、ここにこの子を置いて去ります。わたくしは病弱ゆえもう二度と会うことは無いでしょうから)
遊び回っているのは知っていたけれど、まさかすでに結婚を果たしていたとはね。公女であるわたしがバカにとっては再婚とか、言葉が見つからないわ。
「わたしとは再婚で、あなたはすでに結婚を果たしていたわけなのね?」
「ああーーー! あの晩の子爵令嬢か? ……いや、籍を入れた覚えは無いはずだが、うーん」
ミランには覚えが無いようでも、男児はミランの足元にくっついている。
まだ言葉さえたどたどしい男児の幼子を置き去りにするのも大概だけれど、これはある意味の復讐ということになるのかしらね。
「――で、この子をどうするつもり?」
「ええっとだな……オレと過ごした貴族令嬢と出来ていた子で、つまり――」
「ミラン、あなた数え切れない婚約破棄をされたって言ってたんじゃなかった? それがどうして子を授かっているの!?」
冗談じゃない!
冷血公女の悪名は消えずに神経だけがすり減っているのに、この期に及んで子どもまで授かっていたなんて。
「い、いや、その……女性とは一度だけでそれ以降は会っていなかったんだ。でも、式を挙げてもいないのに結婚扱いされているなんて知らなかったんだ、本当に……」
「あなたにとってわたしは後添いなうえ、前の子の面倒を見る継母になる――そういうこと?」
「そ、そうなる……のか」
「何なのよ、もう!! 噂通りミランもろとも切り捨てておけばよかったわ!」
幼馴染の関係というだけで情をかけて結婚したのは、やっぱり間違いだった。まさか前の相手の幼子を授かっていたなんて、思ってもみなかったことだもの。
「お、恐ろしいことを言うなよ。と、とにかく、今この子にはライザしかいないんだ。だから頼む!」
「何を?」
「育てて欲しいんだ。オレは心を入れ替えて真面目に動くから、だから――」
遊び人の言うことなんて、最初から最後まであてになんかしていない。でも、目の前に見える幼子には何の罪も無いこと。罪深いのはミランだけ。
それにしても臙脂色の髪と瞳なんて、わたしの瞳に合わせたような子ね。
「……いいわ。わたしがこの子、カルロの面倒を見るわ」
「カルロ? いい名だな」
どの口がそういうのだろうか。
それでも、もしかすればこの幼子の登場でわたしにとっては光となり得るのかもしれない。
そうなれば、
「分かったわ。この子、カルロはわたしが面倒を見るわ。その代わりミラン」
「う?」
「あなた、しばらく帰って来なくていいわ!」
この際、継母になるのは仕方が無いとして。
「な、何で!?」
「カルロの成長の邪魔なの。もちろん、わたしの邪魔にもなるのだけれど」
元々必要のない夫を追い出してこの子を育てれば、きっと健やかに育ってくれるわ。
「オレがいなくてお前だけで出来るのか? お前のことだからいじわるな継母になりそうだぞ」
「何故そんなことを?」
「だってお前、心も通っていない冷血――あっ、いやっ」
「噂じゃなくて、あなた自身が言いふらしていたってことなのね……確定したわ」
「ち、違うぞ? オレは冷血と呼ばれている話をかき消そうと街を歩き回っていただけで……」
暗躍者に聞いていたとおりの言葉どおりだった。今さらのことだけれど、だからといってこいつを殺したところでどうにもならない話。
ミランや世間が言う冷血公女。本当はそうじゃないところをカルロに注ぐ。そうすれば世間を味方にしてミランだけを排除すれば解決ね。
パチンッ、と指を鳴らすと、すでに支度をしていた者たちが即座に姿を見せる。
そして、
「ミランを辺境へ」
「……は」
ミランが目につくところにいると本当に捨ててしまいかねないし、今は辺境にでも行ってもらわないと。
「なっ!? 何だ? 何をする!? ちょっ――!? じょ、冗談だよな? ライザ!」
「わたしとカルロのことは忘れて、しばらく辺境で遊ばせてあげるわ。それこそあなたの好きな貴族遊びをね」
「う、嘘だろーー!?」
別にどうこうするわけじゃない。辺境に暮らすもの好きな貴族の話相手にするだけ。女性じゃなくて、隠居生活で暇している古い友人相手にだけど。
ミランのことはこれでいいとして――
貴族はもちろん、外のことしか気にしない連中を気にすることのないわたしは幼いカルロの為に、寝かしつけをすることから始めなければね。
「ライザ様。揺籃期の記憶がおありですか?」
「いいえ、無いわ。そういうあなたはどうなの? メイド長」
「ライザ様にしたことのみございます。もっとも、揺籃歌をすることもないほど大人しく賢い成長をされましたが」
「……まぁいいわ。それでカルロはこれからどうすればいいかしら? ミランがいなくなってからずっと泣き止まないのだけれど」
幼子であるカルロはミランの姿が見えなくなった時から、ずっとぐずっている。恐らく、あんなのでも前の親の血を持っていたことを肌で感じ取っていたに違いない。
「それはもちろん、ライザ様のお育て次第。あの男や世間が言うような扱いをしなければいいだけのことかと」
「当然ね。どんなに苦しくなっても、いじわるな継母なんかになってやるものですか!」
まずは幼子に慣れて、そしていい継母になって夫よりもいい男の子に育て上げてみせる。
お読みいただきありがとうございました。