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023 おいしい

 未空の雷が落ち、その轟音には外で呑気に空を飛んでいたカラスも驚きおののいて飛び去ったことだろう。脳天に食らわされた寿哉は、危うく黒焦げになるところだった。


 故意であろうと過失であろうと、未空に抱き着いたのは事実。警察署に申告されれば、即お縄にかかることだろう。不純異性交遊などというどこかで聞いたことのあるようなものではなく、れっきとした痴漢で逮捕だ。


 喧嘩だから何でもしていい訳ではない。押し倒したところまでは報復ということで収支はトントンだったのが、脇を狙って宙に舞ったところでやりすぎに変わったのだ。


 ぶつかり合いになった原因は、寿哉の失言にある。最初から証拠で不利な立場にあるのに別の不祥事を起こせば、判決を覆すのは難しい。


 百歩譲って、布団に二人で落下するところまでは大目に見るとしよう。未空を引き寄せて両腕できつく抱きしめたのも、落下後に上から未空が降ってきてはたまらなかったからだ。最善手である。


 問題は、その後の対応。緊急事態を脱してもなお、拘束を解かなかった。長年の付き合いで心の内まで手に取る様に読める仲なのだから、話せばわかると放置したのだ。


 下心が無かったとしても、人を抱きしめたままというのはいかがなものだろうか。夫婦や正式に付き合っているカップルならともかく、幼馴染とはいえ異性だ。相手が嫌だと思えば、それだけで犯罪は成立する。


 しかし、彼女の怒りは別の方向を向いていた。


「……それで、いい訳を聞かせてもらおうかな。どさくさに紛れて、抱きしめようとしてたってことでいいのかな?」

「いいえ、違います!」


 寿哉は、ちゃぶ台の前に正座で座らされ、軍隊の規律並みの厳しさを誇る刑務所に入っている囚人のようになっていた。意見を述べる時は挙手制であり、排せつも許可が出なければ行くことが出来ない。


「……それで、おっぱいにも触れた、と?」

「……体の一部は触れていました」


 未空も感じていただろうことは、誤魔化しが効かない。有耶無耶にしようとしても、火に油を注ぐだけだ。


 ちゃぶ台の反対側に仁王立ちしているのは、未空不動明王である。本家と大きく違うのは、目が死んでいる笑顔をしているということだ。


 漫画で言うと、ハイライトが書かれていない目。細長でたるんでいても、額に怒りマークがついている。一つでも失敗を犯すと途端に豹変しそうで、逆らうことなど考えられない。


「……まあ、抱きしめた話は不問にしてあげてもいいよ。私も、嫌いじゃなかったし」


 そう言ってそっぽを向く未空は、恋に焦がれる少女そのものだ。青春時代とはこういうことを指すのだと、我ながら納得してしまった。


 実を言うと、未空とピッタリ密着していた時間は疲れている姉を抱擁しているようで、でも幼馴染を庇っているようでもあって、甘酸っぱかった。特に抵抗もされず、冷たい声で離れてと言われなければ今も布団の上で抱き合っていただろう。


 外に出ていける服に着替えていた未空は、運動後の汗が似合うような半袖短パンだった。そのフレッシュさを見せないような怒りのオーラが、真っすぐ寿哉へと向けられている。


「それより、朝食がおいしく作れないとは聞き捨てならないね……」


 そう、彼女の腹の虫がおさまらないのは、料理下手だと淡々と述べた昨日の寿哉にあった。軽く突っ込めば同調してくれる流れだと思っていたものが、ねじれにねじれて自らの身を縛り付けている。


 何度も言うが、カレーライスが未空一人で完成させられていたわけが無い。包丁の扱い方もままならない中学生が、切り方を意識することなど夢のまた夢だ。小説に出てくる美少女キャラはよく食紅を使わない紫や青色の料理を作ってくるが、未空に至ってはお盆しか出てこない。


 ……カレー以外なら、作れるか……?


 いや、包丁の扱い方以外にも致命的な欠点は存在していた。


 コンロの強火や弱火は、フライパンや鍋に乗っているものをどうしたいかで決まる。鍋に蓋をして蒸すなら弱火で加熱し、ハンバーグなどは強火で焦げ目をつける。


 下についているダイヤルは、伊達や酔狂でつけられているのではない。供給されるガスの量を調節することで、火の大きさを調節しているのだ。炎が青白いのも、ガスによって燃えているからである。


 未空は、その基礎とも言える火のつけ方が分からなかった。理科室にあるガスコンロと同じだと思い込んで、ガスボンベを探そうとしたのだ。寿哉が付き添っていなければ、斬られただけの具材に固体のルーがトッピングされていたことだろう。


「……『料理が下手』だなんてもう言わせないように、朝ごはんは私が作ったんだよ? 寿哉の分も、作っておいたからねー」


 言いたいことを全て言い切って、よどんでいた気持ちが晴れたのだろう。目に光が戻っていた。威厳のあった仏像顔は何処に行ったのやら、目の大きさがかわいい普段通りの笑顔になっていた。


 ……未空が、一人で作った……?


 寿哉は、エジソンがフィラメントに竹を使った時のような衝撃を受けた。調理実習で悪戦苦闘していたことはあったが、あれも結局はギブアップして後続に託していた。自力で完成させたのは、知る限り初めてなので無いだろうか。


 しばし待て、と語る様に未空は台所へと姿を消した。すりガラスで透けて見えないので、何が置かれているのかを確認することは出来ない。


 ……面倒見がよすぎるよ……。


 もちろん、リベンジのリベンジで見返してやろうという情熱が強かったのだろう。何かに燃える気持ち無くして、朝食を作ろうという気にはならないはずだ。


 だが、それを寿哉が寝ている間にしようとしたのは、負担を掛けたくなかったからなのではないか。そうも思うのだ。


 いくら自力で作りたいと志望したとしても、失敗の事を考えて手伝ってくれる人をあらかじめスタンバイさせておくのが普通だ。保険をかけていて損することは何もない。


 ……『作っておいたからね』って言うのも、機嫌が良さそうだったしな……。


 見返してやろうと言う気持ちより、弟の分まで作ろうという面倒見の良さが、如実に出ている気がした。まさか自分だけの量を作るとも思わなかったが、二人分であることを強調したのは、そういうことなのではないだろうか。それとも、寿哉の考えすぎか。


「おまたせー、っていうほど待たせてないか。ほら、おいしそうでしょ?」


 未空が運んできた真っ白な皿に乗っていたのは、まん丸としたお月様の周りを雲が囲っている、お弁当箱によく入っていそうなものであった。白黒の点々は、コショウと塩だ。高血圧の人には勧められない。


 作り方が簡単だとか、そういうポイントで貶す気は無い。


 目玉焼きは熱したフライパンの上に卵を落とすだけだが、割るのを失敗すれば殻が混入してしまう。どちらかに黄身が偏ってしまっても、形が崩れる。毎日フライパンを触っているのならともかく、昨日までコンロの付け方も知らなかった未空には難易度が高い。


 説教タイムで時間が経ってしまっていて、黄身は固まってしまっているようだ。白米は炊飯器で保温されていたのが幸いしてホカホカのままだが、その他の副菜はダメージを受けている。元凶は、この寿哉だ。


 朝も遅い時間帯で、梅干しを見ていないのによだれが自然と出てきた。ちゃぶ台に出てきている量で満たせるかは怪しいが、いざとなれば何か簡単に作れるものでも食べてしまえばいい。


「……朝起きて、すぐ作ってみたんだ。卵も、綺麗に真っ二つに出来たんだよ?」

「……ご……」

「ご?」

「ごめん、昨日はあんなこと言って」


 前言は撤回だ。努力の人に『下手くそ』と挑発するようなことをすれば、必ず返り討ちに遭うということを感じさせられる。スポンジのように何もかも吸収し、次回に活かせるのが何とも羨ましい。


「ほら、食べて?」


 勧められるがままに、箸を目玉焼きに持っていった。加熱時間が足りていて、実態の有る白身が持ち上がった。スーパーの総菜コーナーにも売られていそうなほどの見た目である。


 気になるお味はと言うと、やはり塩コショウが濃かった。が、それを上回る素朴な美味しさがあった。シンプルな味付けだからこそ、白米との相性は抜群だ。


 頬っぺたを落としそうになっている寿哉を見て、行方を気にしていた未空も一安心のようだ。続けて、自らの皿に手を付けていく。


「……私が作ったんだよ、これ……」


 サラダやスープは用意されていないが、味だけなら二品で十分だった。


 ……未空の手作り、なんだよな……。


 異性の手作り料理と言うものには、惹かれるものがある。昨日のカレーには隠し味を入れていたようだったが、今日の目玉焼きにはもっと大きなものが入っている。それは、未空の真心だ。


 卵割りが一発で成功したとは思っていない。皿の上で粉々に割れ、白身から殻を取り除くのに苦労したこともあっただろう。割れたはいいものの、変に黄身を落として描く通りの形にならなかったこともあっただろう。そういった苦労を重ねながら、人は成長していくものなのだ。


 未空を、近くから応援していたい。そう周りに思われるだけの努力を積んで、日々頑張っている。


 ……未空は、どうなっちゃうんだろう。


 こんな努力の才能を持った人が、平凡な人生は送らない。純真な心を悪用されて闇に堕ちていくかもしれないし、はたまた国のトップに立って危機を救うかもしれない。


 そんな女の子が、寿哉のすぐ目の前で自作の朝ごはんを美味しそうに食べている。とても勉強に熱中するあまり倒れそうになったとは思えない。


 ……続きを、見てみたい。


 彼女が紡ぐストーリーは、まだまだ序章。地方から都市へと移動して、新たな一ページが刻まれていく。思い出のアルバムが、残されていく。


 未来の記念写真に、寿哉は写っているだろうか。それも画面の端ではなく、中央で未空と二人ピースサインをしているだろうか。


 可能性は、自分でつかみ取るものだ。他人から与えられるようなものではない。進むのが茨の道だったとしても、鎌を使って切り拓いていく。諦めない限り、確率がゼロになることはない。


 ……好きになっちゃいけないなんて決まりは、ない。


 幼馴染だから、姉みたいだから。それは、気持ちを押し殺していい理由になどならない。血縁が繋がっていれば法律で諦めるしかないが、実際に繋がっているのは友情と愛情だ。幸福を追求する権利は、誰にでも保障されている。


 『未空のことが、好きなんだ』。不安で揺れていた心に、頼もしい大黒柱が誕生した。


「もう食べちゃったの!? ……まだまだ作っちゃったから、台所からいくらでも取ってきていいよ」


 未空の声で、深入りしていた意識が現実に引き戻された。


 あっという間に、皿に盛られた目玉焼きを食べ終えていた寿哉。作り置きされているということは、試行しては失敗するのを繰り返してきたのだろう。


 何も考えず、すりガラスの引き戸を開けた。出迎えてくれたのは、家の食器棚に置かれている皿が全て使われている光景。


 流し台にあったボウルには、おびただしい量の卵の殻がぎゅうぎゅう詰めになっていた。元の位置にしまうのを忘れ去られたフライパンには、目玉焼きの切れ端が所々に残っている。


「なんじゃこりゃー!」


 漫才のセンスが絶望的と言われた男が、初めてキレキレのツッコミを入れた瞬間であった。

※毎日連載です。内部進行完結済みです。


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