018 武勇伝
駆け引きは、完璧だったように思える。的確に未空の心を読み、裏をかき続けた。事実、彼女が不利になるような交換をさせたり、負け確定のカードから逆転を狙えるような展開になったりしたのだ。
一本取ったかに思われた寿哉の計画は、豪運によって打ち砕かれた。店のくじで外れていた分がここで出たのだろうか。期待値的には毎試合有利だったのだが、必ず下振れしていた。
余りにも不運な男の戦歴は、あっけなく三連敗。勝負事においては価値を譲る気の無い未空が仕切り直しを提案してくるほど、とにかくツキに見放されていた。
「……もう寝ようかな」
つい数分前までの活気は何処へやら、トランプに吸いつくされてしまった。折角のお泊りだというのに、体が思うように動かない。
慣れない二人きりの状態に疲弊してきた寿哉を見かねてか、未空はまだまだ続けたそうにしていたトランプを片付け始めた。続行しても、まともに応対してくれなさそうだとでも思ったのだろう。
「床の間は、神様が宿ってるところだからそんな乱暴に……」
「寿哉だって、荷物ここに移動させてるよね?」
返してくるのが面倒くさいからと唯一の空きスペースに置いた未空はいかがなものかと思ったが、人の事を言える立場ではなかった。ずらずらと壁際に並べてあるカバンやビニール袋は、寿哉が持ち込んだものである。
「……寿哉が外に近い方でいいよね」
入り込んでくる冷気の盾として使われそうだが、誤差の範疇だ。それに、はじっこで布団に閉じこもれと言われてはいない。
もう一度立ち上がりたくなく、ゴロゴロと回転して移動した。鼻が真下に来るたび、シーツからほのかな花の香りがした。毎日洗濯して柔軟剤を付けているのだろうか。そうなれば、大変な重労働だ。
しかし、それにしては矛盾することがある。窓の外にシーツや敷布団そのものを干しているのを毎日は見かけない。衣服ではないのだから、部屋干しで乾くものでも無いだろう。
すると、これはなんのにおいなのか。芳香剤を誤ってこぼしてしまったわけではあるまい。
「はい、これ寿哉の布団」
手入れをされて中がふかふかなものは、未空が使っているものらしい。渡されたものは、いつ頃から眠っていたようである潰れてしまった布団であった。寒さから身を守るための空気の層は望めなさそうだ。
窓は締め切られているが、夜中を切り裂く風の音がヒュンヒュンと鳴っている。花火の時間が夜遅くにずれこんでいれば、ロウソクの火がしばしば消えて不完全燃焼で終わっていただろう。
山の気温は、平地の気温より下がると言うのは皆が知っていることだ。具体的には、百メートル標高が高くなるごとに気温が〇・六度低下する。
この集落が存在するのは山奥であり、四月の初めでも夜になると冷え込みがキツい。富士山などが属する山脈には敵わないが、大都市にポツポツとある山々よりは断然標高は高い。冬になれば平気で雪が積もり、鉄道がストップすることもそう珍しいことでは無い。
雪で道路も閉ざされてしまうため、今でも冬季は道路が封鎖されていることがある。満足に隣町への遠征も出来ないということで、外部との接触は希薄なのだ。外から交流を持ちかけられることも無ければ、こちらから関わりにもいかない。
外への繋がりが絶たれている分、内部での連絡網は強固に結ばれていた。過去形であるのは、人口減少で集落自体が消滅の危機に瀕しているからだ。
子供が取ったテストの点数でさえ、全体に共有されていた。悪い点を取ろうものなら、勉強を頑張れとあちらこちらの人から言われたものだ。
そう思うと、転入者を増やすという策は最初から破綻していたのかもしれない。新たに移住しようと思う人がいたとしても、輪の中に入っていけないようでは生活していけない。
……ここに居られるのも、あと二日か……。
朝起きてからの十二時間は、あっという間に過ぎていった。退屈でヒマなものになると思っていたのに、未空と過ごす時間はジェット気流のように駆け抜けていった。
まだ一日残っているのではない、もう一日しか残っていないのだ。明日も、今日と同じようにタイムワープしたように感じるだろう。その時に後悔しても、過ぎ去った時は戻ってこない。
「さて、と。電気、暗くするよー」
照明のスイッチは壁に設置してあるのではなく、直に垂れ下がっている。昔は当たり前だった吊り下げ式も、今となっては少数派だ。
それまで鮮明に見えていたものが、常夜灯になった瞬間ぼやけた。それは未空も例外でなく、淡い暖色光に塗られた顔が見えるのみだった。
寿哉は、布団に潜りこんだ。亀のように、頭だけは布団から出ている。
「……今日、疲れたね」
「そうだな……。未空の世話ばっかりしてて、本当に疲れた」
「なーにー!?」
手足をジタバタさせているようだったが、傍から見ると布団がモコモコしているだけだ。空に飛んでいけないアヒルの子のようにばたつかせていて、何だか笑みがこぼれそうになった。
「あ、笑ったー!」
「ごめん、ちょっとかわいかったから」
いつもは悪口をすました顔で流す未空が感情的になっていて、そこにかわいらしさがあった。意識的に作られた化粧ではなく、何も施されていない性格の可愛さだ。
今日の厄介話で畳みかけようとして、未空がのぼせたようになっていることに気付いた。オレンジの光の補正抜きでも、顔が照っている。
寿哉には何の変哲も無い一言だったのだが、未空の心に刺さったようだ。お世辞や社交辞令を連呼されてもクールに応対しているあの未空が、寿哉の一言で宙を舞っていた。
のそのそと、自分で取り決めていたくせに中央を越えてきた。それも、綱渡りのように布団から布団へと移ってきているようだった。
隙間を縫って来た未空の脚が、太ももに触れた。散々冷たいアピールをしてきていながら、ほてっていた。
夜中に女子が這ってくると言うと嫌らしいことのように聞こえるが、実際にそうなっているのだから仕方ない。
「……もっと話したくて、こっちに来ちゃった!」
「暑苦しい」
「夜だから、その内暑くなくなってくるよ」
抱き着かれているわけではないが、お風呂のフタを開けた時のような熱気が押し寄せてきて暑い。これが夏なら熱中症になっていてもおかしくない。
「今日と明日は、聞かれたこと何でも話してあげる。サービスタイムだよ」
テンションが高まっているままだ。これだけ興奮していては、眠るのに苦労しそうだ。
さて、何でも話してくれると言うが、正直未空について知らないことの方が少ない。知りたいことがあれば都度尋ねて、その度に誠実に答えてくれている。今更何を聞こうというのだ。
中学校に入ってからの出来事は、一言一句たがわず何が起こったかを言える自信がある。記憶が不正確なのは、それより前の外見も中身も子供だった頃だ。
自らの目で確かめたので真実は真実なのだろうが、それでも野生動物を単身で追い払ったというのは信じがたい。
「……未空が、よく武勇伝を話してくれてただろ? 両方とも、聞かせてほしい」
「お安い御用だよー」
特にトラウマは無いようで何よりだ。
未空の武勇伝、一つ目は鹿と相撲をして寄り切ったことだ。土俵もなく行事もいなかったが、襲われそうになったのをカウンターで崖下に突き落としたとのことだ。
ここからは、未空が語ってくれたことになる。
雲一つない快晴の日、例のごとく未空は寿哉を連れて山道を駆け回っていた。ヒイヒイ悲鳴を挙げて大量の汗をかいているくせに楽しそうにしていた義弟を見て、帰るに帰れなかったらしい。
日差しが差し込んでいる中、視界の悪い森林の遠くに茶色の動くものを見つけた未空。枯れ木が倒れているのだと思っていたらしいが、それは獰猛な野生動物であった。
たかが鹿だと侮ってはならない。人に慣れている奈良公園の鹿も、タックルしてくることがあるのだ。やっていいことといけないことの区別など分からない野生の個体は、何をして来るか分からない。
ようやく肉眼で鹿の角だと認識できた時には、もう逃げられない距離にまで迫ってきていた。人間の姿を捉えて怯えるどころか、勇猛果敢に突進してきていたと言う。猟師が狩りから離れて数十年、天敵などいない楽園で過ごしてきたのだろう。
よく覚えておいてほしいのは、未空と寿哉が小学校高学年の時であったということだ。ガタイの良い男性の大人が二人ではない、小学生が男女一人ずつ、だ。
同じ年齢の女の子と未空が入れ替わったとして、まず手を引いて逃げ出すだろう。弱みを見せないように後ずさりする、威嚇であるからその場から動かないなどの知識を持っていても、土壇場で発揮できる小学生はまずいない。
未空は、並みの心を持った女の子ではなかった。自身の感情を制御でき、皆を引っ張っていく人類のリーダーであった。
『としくん、怖いかもしれないけど、お姉ちゃんの背中にかくれててね』
襲い掛からんばかりの野生鹿を目の前にして、不安がって震えていた男の子を庇ったのだ。未空の記憶が全てなので誇張されているのかもしれないが、そうだとしても誰にも分からない。
子供だと見て警戒心が解けたか、角が立派に生えている鹿は強引に力勝負を申し込んできた。後ろには守らなければならない友達がいるとなっては、引き下がるわけにもいかなかっただろう。
死闘が始まった。女子小学生と鹿の押し合いでは、勝敗は火を見るよりも明らかだと誰もが思うだろう。が、未空が纏う不思議なオーラで互角になっていた。
『……なんで、何もしてないのに襲ってくるの?』
突然襲った理不尽が、反抗する力の源になっていた。
やがて、踏ん張り切れずに押され始めたのは鹿の方であった。無限に漲っていく未空のパワーに逆らうことが出来ず、どんどん後退していった。ガッシリと大きい自慢の角を掴まれていて、逃げ出すことは出来ない。形勢は逆転していた。
動物の命を思いやって、アリがのこのこ地表を歩いていても面白がって踏まない。セミは捕まえるが、観察し終われば野に帰してやる。未空は、自然環境と共生しようとする子なのだ。そんな彼女を怒らせたとなっては、止められない。
「……それで、気が付いたら崖の下に落としちゃってた。赤いのが見えたからケガしてたんだろうけど、申し訳なさは無かったかな」
誰にでも優しいのとお人好しは、似ているようで中心となる核が全然違っている。
誰にでも優しい人、例を挙げるなら未空は、どうにもいかずに相談してきた人に親身になれる。少数派の意見もよく盛り込み、基本は多数決ながら天秤のバランスをうまく取ることが出来る。他方、悪だくみによる攻撃には容赦なく、厳しく対処する。
お人好しは、他人に流される人だ。自分の意見を持たず、勝ち馬に乗っかって金魚のフンのようについていく。仮に意見を持っていたとしても野次一発に沈むような弱いものだ。讒言に惑わされて国を滅ぼすのは、このタイプの君主だ。
命が懸っているのに敵への攻撃を躊躇するなど、ありえない。全ては命あっての物種で、潔く腹を掻っ捌いて自死するよりも、何もかも失ったが命だけは長らえている方が良いに決まっている。武士道の精神など、現代社会に馴染んで久しい寿哉には理解できない。
お人よしと呼ばれる人は、ここでも迷いが生じる。生き延びるためには目のまえの試練を越えていくしかないのに、必死に別の抜け道を探し出そうとする。少しでも楽な道を選びたいがために、自らを死地へと追いやっていくのだ。
未空が後悔気味に話せているのも窮地を己の力で脱したからであり、緊急事態に躊躇して後ろから激突されていたらどう転んでいたかは分からない。
それに、彼女が居なければ寿哉もここに寝転んではいまい。急坂を転がり落ちて、お陀仏になっていただろう。
「これで、一個目のやつは終わりだね。次の、猪のは……」
「ストップ。……他に、聞きたいことが出来た」
このままでは、未空のかっこいい話が延々と続くだろう。自ら望んでおいて何なのだが、折角の機会をこの話で潰してしまうのは勿体ないような気がしたのだ。
※毎日連載です。内部進行完結済みです。
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