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010 甘え

「もう、お腹いっぱい。食べれないよ……」


 未空は腹部をさすりながら、ぼうっと天井の吊り下がった照明を見つめている。わざとなのか気付いていないのか、服が上ずってヘソがちらりと見えている。


 ……結局、全部平らげちゃったな……。


 カレー鍋は、空になって水に浸かっている。こびり付いているものもあるが、食べきれるのかと不安に思った量が綺麗さっぱり消え去っていた。


 ここで、注意しておかなければならないことがある。二人分、いや三人分ものカレーライスを胃袋にしまい込んだのは、未空の方なのだ。


 給食や弁当箱に入っている量は適当で、未空も不満そうな顔色を見せたことが無かった。それ故体格と運動量相当の食欲なのだと勝手に解釈していたが、そうではなかったようだ。


「……まさか、未空があれだけ大食いだとは……」

「……! ……もしかして、イメージ壊しちゃった、かな?」


 満腹で動きが鈍っているはずなのだが、圧巻の実力を見せつけられて唖然としているのに気づき、跳ね起きてきた。また、『理想的な姉』にそぐわない行動をしてしまったのかと、眉を曇らせている。


 なぜ、そこまで寿哉の姉であることにこだわるのだろう。固定概念に縛られているようで、何か鋭利な先端が袋に引っ掛かる。


 姉弟間の威厳を見せつけるためでも、何でも競い合うものではない。競争は身を削ることでしか勝利することが出来ず、体力をより早く消費してしまうことになる。


 ……食べる量が多いからって、恥ずかしがることではないし……。


 何事も、個人差と言うものがある。男子が皆高身長という訳ではなく、また睡眠時間が必ずしも八時間取らなければ不健康になるというものでもない。これらは平均値を示しているだけであり、外れ値と呼ばれる飛びぬけた人たちは当てはまらない。


 大食い番組の人気度が高いだけに勘違いされやすいが、何も山盛りになった料理を完食する人だけが大食いなのではない。周りよりも食事の程度が大きければ、周りにとって『大食いの人』という認識になる。


 ましてや、動き回った日などはエネルギーが不足しており、炭水化物でもタンパク質でも良いので栄養素を体は欲している。カレー一杯では、とてもではないが足りない。寿哉も、軽く二人前は注ぎ込んだ。


「……いいや、食いっぷりが見てて気持ちよかった」


 無駄な会話をすることなく一心不乱に食べ進める様子は、食べ物そのものの味を舌いっぱいに受け止めているようだった。


 今日は、未空の新鮮なところばかりに目が付く。学校生活でも皮を被っていないように見えていたが、純粋なプライベートではまた違った一面を持っていたのだ。


「実は、さ……。辛口、食べたことなくって……」

「それで、よくあれだけの量が入ったな……」


 ルーがむき出しの状態で置かれていたので辛さの度合いは知らなかった。家ででてくるものと同じだったので辛さが麻痺していたようだ。


「……それは、寿哉と一緒に作ったから、全部食べなくちゃいけないと思って……」


 お子様カレーしか食べたことのない子供は、激辛カレーを口にしただけで吐き出してしまうだろう。辛味というものは嘘やまやかしではなく、刺激の強さで決まる。気合だけで抑え込めるほど甘くはない。


 市販で売られている程度の辛口では、体調を壊すほどの刺激にならない。ならないが、それと好き嫌いは分けた方が良い。苦さ控えめでも、コーヒーが嫌いな人はコーヒーを飲まない。


「……口の中が焼けちゃうかと思ったよ……」

「そんなに辛かったか……?」


 ……純粋過ぎるだろうよ……。


 まだ余韻が残っていているようで、痺れが口全体に広がっている。未だに、未空は口を押えている。額からは、汗がじんわりと染み出てきていた。


 熱いカレーを二杯分も食べたおかげか、冷えている室内でも中枢は暖まっていた。温かいスープを飲むと手足のかじかみが引いていくことはあったが、カレーでも同じようになった。


 四月の初めではあるが、石油ストーブがまだいつでも点火できるように準備されていた。中央部に熱棒があり、そこから同心円状に熱気を広がらせていく仕組みである。やかんをストーブの上に置こうとしても、丸くて落っこちてしまう。


 灯油は装填されていないようで、油の匂いは感じられない。それはそうだ。使いもしないストーブに灯油をひたひたに満たすなど、危険極まりない。まさか火花が飛び散りはしないだろうが、それでも気持ちのいいものではない。


「……寒い、かな……」


 未空が、腕を肩に回してきた。定食屋で出される温かい手拭きのように、肌へと伝わってくる。体の芯どころか、表面もホカホカのカイロである。


 とにかく、距離が近い。肩の高さが同じなので、丁度柔らかくなる部分がこすり合わされる。女子は男子よりも体格が丸くなると保健で習った記憶が微かにあるが、あれはデマ情報ではなかったようだ。


 満腹中枢が信号を送り続けているようで、非常にゆっくりとした未空の深呼吸が、胸を上下させるところまで感じられる。抱き合ってはいないのだが、肩を組んでいるだけでそのような感触がするのが誠に信じられない。


 寒いなら暖房を付ければいいのに、と寿哉は出方をうかがった。スカスカの列車内でおしゃべりが白熱することはあれ、私生活まで合体はしていない。故意で寿哉と肩をくっつけがっているのか、直接型の暖房器具だと思っているのか。


 未空が離れることは無かった。ちゃぶ台で正面が埋まっているのだが、きちんと正座をちゃぶ台の下にいれていなければ未空は抱き着いてきたのではないだろうか。なにせテンションが異様に高く、宝くじが当たったかのようだった。


 ……これ、頼られてる、ってことでいいのかな……?


 これまでは、何かを失敗した寿哉が上手な未空に甘えるという一方通行だった。よく言えば信頼関係が深く、悪く言えば甘えん坊。自然の厳しさには助け合ってきていたが、学校の課題については依存してばっかりであった。


 協力したことはあれ、ここまで未空が無防備な姿をさらけ出しているのは仰天してしまう。寿哉が結婚詐欺師であったら、あっという間に全財産を貢がされそうだ。


 寝てこそいないが、寿哉の肩にもたれかかったまま体を委ねている未空。家族同然であることに嬉しさを感じながらも、親友と言うよりも弟として見られている現状に寂しさもある。


 ……俺は、どっちがいいんだろうな……。


 未空の義弟として家族の付き合いをしていくのか、親友としてある程度距離を保った付き合いにしていくのか。物理的な距離が遠くなるのはもちろん避けたいことだが、全く当てにしてくれないと言うのも何となく嫌だ。


「……何か、出来ないかな……」


 電気代が勿体ないので、どこの家も夕飯と入浴を済ませ次第布団に潜りこむのが定石となっている。テレビ局の放送はロクな番組をやっておらず、娯楽をしようにもゲーム機は置かれていない。何もすることが無ければ、さっさと就寝してしまうのに不自然な点は無い。


 もちろんこれは一人きりの場合であって、二人以上になると引き出しの数が増える。対戦ゲームで時間を潰しても良し。雑談で思いをはせても良し。退屈な時間は生まれにくくなる。


 寒くて動きたくなかったと言っていた未空は何かひらめいたらしく、ドタバタと廊下を駆けていった。近所迷惑も何も、人がいないのだから好き放題だ。親がいないからこそできる芸当である。


 寿哉は一人、ちゃぶ台の置かれている部屋に取り残された。


 ……山の中で独りぼっちだった時も、こんな感じだったっけ。


 道に迷って野山の奥へとのめり込んでいくのをテレビで見ていると『どうして冷静にならないのか』とクレームの一つでも入れたくなるが、当事者になると思考がまるで変ってくる。遭難したのではなく、道を探しているだけと言う思考になるのだ。どちらも同じことなのだが、道迷いになっている時点で冷静さを欠いている遭難者が気付くわけも無い。


 最悪滑落してしまうが、まだ幼く草本の背丈と身長が並んでいた寿哉は行き止まりに行きついた。これ以上移動できないようでは手詰まりに思えるが、むやみに動き回って足を滑らせるよりはマシだ。


 目を離したスキに寿哉とはぐれてしまった未空からの連絡で、捜索の手が入った。大人たちがしらみつぶしに端っこから調べ上げていく中、未空は来た道を戻っていったらしい。


 寿哉は絶望感に襲われて、へたり込んでいた。一面が茫々とした緑の草で覆われて、先が見えない。脱出口が見えなかったのだ。


 クマが出てくるような山では無かったが、鹿やイノシシは出没する。カサカサと音が鳴るたびに、体を震わせた。原因となっていた虫が何も知らずに飛んできた時には、カッとなって叩き落としてしまった。


 ……結局、高い所から大人の人と未空が見つけてくれたけど。


 家の前まで戻って来てから未空が大号泣していたのは、心によく響いた。頼れる姉の未空が鼻水をすすりながらポタポタ涙の水たまりを作っていて、大変なことをしでかしたのだと幼い脳なりに結論を見出した。


 別れ際、未空が鳴き声混じりに『としくんのバカ!』と目が赤くなっていた。恐怖の後に訪れる安心感に未空が流れ込んできたことで、益々甘えたがりになったのはまた別の話だ。


「おまたせー!」

※毎日連載です。内部進行完結済みです。


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