失恋!? そんなことで死のうとか思うなよバカ! 〜田舎っ子男爵令嬢、今度は公爵令息をぶん殴る〜
一人の青年が、人生に絶望して遺書を綴っていた。
彼はこの国の公爵令息。次代公爵であり、そのためにたくさん努力してきた。
しかしここに来て、大きく心を折られることになったのだ。
それは婚約者であった隣国の姫が、他の男に浮気をしたというものだった。彼女に恋心を寄せていた公爵令息は、この世の終わりとばかりに気を落としたのである。
彼女が手に入らないなら、生きていたって何の意味もない。
彼女だけが自分の生きがいだった。彼女がいない人生なんて、いらない。
そう思い、自ら命を絶とうとし――。
「なんてことしてんだこのバカ!」
屋敷にある大きな池に飛び込もうとした公爵令息。その横っ面に突然拳が飛び、彼は地面に倒れ込んでいた。
驚いて顔を上げる。するとそこには鬼の形相の少女が立っていた。
「――ぁ」
そして公爵令息は気づく。
彼女が、自分の妹を救った噂の男爵令嬢であることに。
***
「そう軽々しく死のうとか思ってんじゃねえよ! アタシがいなきゃどうなってたと思ってんだ!」
花のように可愛らしい少女。しかし彼女は顔を真っ赤にして憤慨している。
言葉遣いは荒々しく、その声は甲高い。とてもとても淑女には見えないだろう。
けれど彼女は貴族界の中では有名人である。
元平民にして、王子と公爵令嬢の婚約破棄騒動を収めた英雄――それが田舎っ子男爵令嬢である彼女の二つ名だった。
彼女はその公爵令嬢に呼ばれ、「兄の様子がおかしいから相談に乗ってくれないか」ということでここまでやって来た。
そして池に入ろうとした彼を目撃し――ブチ切れたのだ。
「アンタなぁ。命を粗末に扱っちゃいけないって教えられなかったか? もしそうだとしたら元平民のアタシより教養が足りないんじゃねえの!?」
「え……」
困惑する公爵令息を見る。
ああこの肝っ玉の小ささよ。男爵令嬢は「ふん」と鼻で笑うと、彼の前で腕を組んで仁王立ちになった。
「何だか知らねえけど、ちょっと詳しく話聞かせろ! その後どついてやんよ!」
「あ……はい」
男爵令嬢の剣幕に慄きつつ、公爵令息は話し始めた。
自分が長年思いを寄せ、そして妻になるはずだった女性――隣国の姫が寝取られてしまい、婚約解消になったこと。
別れ際に「あなたなんかもういらないわ」などと鋭い言葉を突きつけられたこと。
それを聞いた男爵令嬢は――。
「失恋!? そんなことで死のうとか思うなよバカ!」
公爵令息が目を見開く。
自分が何を言われたかわかっていない顔を見て、彼女は唾を飛ばして続けた。
「人間ってのはな、生きてりゃ多少苦労するだろうよ。アタシだって、実際死にかけたことはいっぱいあるし貴族の中で虐げられたこともある! でもなぁ、死のうなんざいっぺんも思ったことはねえ。せっかく授かった命を無駄にするとか、誰得だよ! お袋だってせっかく腹痛めて産んでくれたんだぞ!?」
「でも……」
「ほんっと呆れた! アンタはあのアホ王子と同レベルのバカだな、ったく」
頬を赤く腫れさせた公爵令息が、「アホ王子と同列……」と狼狽えている。
この国のアホ王子の噂は有名だ。取り巻きたちが勝手に作り上げた冤罪で公爵令嬢を断罪しようとした。つまり彼は、そんなとんでもない奴くらいにバカだというわけだった。
貴族間の恋愛問題になぜだか詳しい男爵令嬢の言葉に間違いはない。
「そ・も・そ・も! 婚約者を大事にしねえで勝手に浮気してやがるのは先方なんだろ? そんな奴見限らないでどうすんだ! アタシはなぁ、浮気性の人間は嫌いなんだよ! そんな女に執着して命を絶とうだなんてアンタは相当なバカだろ。違うか!?」
男爵令嬢の暴言の数々は、だが全て的確だった。
本当なら上位貴族にこんな口を利くのは不敬である。しかし公爵令息は一言も反論できる余地がないのだ。
とうとう黙り込んでしまった。
「仕方ねえ奴だな。アンタの妹もそうだけども、なんで自分で一発殴りに行かねえんだ。……じゃあアタシが、今から連れてってやんよ」
「どこに……?」
「決まってるだろうが! 隣国の姫のとこだよ。そこでガツンと言ってやれ!」
男爵令嬢が公爵令息の体をひょいと持ち上げる。
そしてそのまま屋敷から引き摺り出し、そのままの足でどこかへ走り去っていった。
***
「私に何の用?」
済ました顔をする隣国の姫は、まるで氷のように冷たい美しさを誇っている。
見るだけで誰もがうっとりするであろう彼女。しかし――。
「アンタに話がある」
「何かしら?」
「アンタ、サイッテーな女だな」
男爵令嬢は躊躇なく暴言を浴びせかけた。
氷姫と呼ばれ、普段は表情一つ変えない姫の頬が強張る。そしてその隣にいた、新しい婚約者とやらが激昂した。
「な、何を言うかっ! 俺の婚約者によくもそんな口を!」
「人の婚約者寝取るようなバカが何言ってんだ? ピエロの真似なら下手だからやめた方がいいぞ?」
「なっ」
さらに火に油を注いだ形になり、新しい婚約者の男が男爵令嬢に飛びかかる。だが、
「女に暴力振るうとかサイテーだな。よっこらせっと!」
男爵令嬢はそれを最も容易く弾き返し、逆に男を地面に転がしていた。
この場の全員が口をあんぐりと開けて唖然となる。先ほど自分も突き飛ばされたはずの公爵令息ですら、何も言えずに震えていた。
しかし彼に男爵令嬢が振り返り、
「ほらよ。次はアンタの番だ。思いっ切り裏切られた恨み、晴らしてやるんだな」
「でも僕は」
「もしかしてこんな女とやり直そうとか思ってんじゃねえよな? またどうせ捨てられるだけだぞ? アンタのバカさランキングの最上位に決定させよーか?」
脅迫めいたその言葉に、しかしどこか熱を与えられた公爵令息は頷き、氷姫の方へ。
それを見て満足げに頷くと、男爵令嬢は床に転がした男を窓から放り出し、自分も出て行った。
***
「いやあ驚いたよ。公爵邸から走って隣国の城まで来るなんて……」
「身も心もなよった貴族なんかと比べんな。アタシは野山を駆け回る毒兎って呼ばれてたんだからな」
毒兎と呼ばれるようになった所以は、兎のように愛らしくしかし怒ると毒を吐くからである。
とかなんとか言われつつ田舎では愛されて育っていたのだが。
「ほんっと貴族はどうしようもない奴ばっかだよなぁ。ったく……」
そう言いながらため息を吐く彼女。
まるで弟や妹を躾ける時のような優しさと厳しさがこもったその言葉に、公爵令息は震えた。
何の震えか。それは決して恐怖や怒りではなかった。それは――。
「今日はありがとう。妹の件もあるのに僕まで助けてくれて。そこでお願いがある」
「ちょっと待て。そもそもだけど、そこはお礼をしなくちゃだろ? なんでさらにアタシに頼み事すんだよ。世界バカランキング一位だな」
「ぬぐぐ……」拳で殴られた時より痛むのか、胸の辺りを抑える公爵令息。しかし彼は屈しず、「君の強さに惹かれてしまったんだ。だから、僕の婚約者になってほしい!」
「はぁ? 何言ってんだこいつ? バ、バカじゃねえの!?」
男爵令嬢は顔を真っ赤にし、再び彼を殴り飛ばしていた。
***
男爵令嬢と公爵令息、身分差のありすぎる二人はやがて婚約し、結婚することとなる。
当然ながらバカすぎる夫にツッコミを入れるので忙しくなってしまった男爵令嬢だが、彼女は彼女で悪い気はしないらしく、意外と仲慎ましくやっているのだった。
余談だが、隣国の氷姫は心を病み、浮気相手の男はただでさえボコボコにされていたのに家から追い出され、さらにボコボコにされたというが……。
それを聞いた男爵令嬢は「ふん」と鼻で笑った。
「ざまぁ見ろってんだ。婚約者を大事にしないような奴に幸せになる資格はねえよ! アタシの夫はバカで弱っちくて情けない男だけど浮気だけはしねえからな!」
「バカで弱っちいって、そんな……」
「そこがいいんだろうがバカ」
なんだかんだで夫を溺愛する男爵令嬢なのであった。
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