第6話
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4階建ての別館校舎。
本館より歴史あるこの校舎には、高等部3年の教室があるほか共有の図書館、自習室、それに音楽室や化学室、生物室、家庭科室などの特別教室が入っている。そしてその4階には文化部の部室が並んでいた。手前の階段を上り4階に辿り着いた千鶴は奥の階段へと廊下を歩く。左右に美術部、新聞部、ESSに放送部、落語研究部、科学部、漫画同好会…… 昼休みなのに多くのゆりたちが行き来している。今日は七時限目の授業に代えて部活動説明会があるから、その準備で忙しいのかも知れない。
奥の階段に辿り着いた千鶴は、進む先を見上げた。この階段は「殿上への階段」と呼ばれているらしい。階段の先には屋上があって、そこには殿上人が住むシャトー・フルールがあるからだと言う。なぜ屋上に生徒会室であるシャトーがあるのか? 令女の生き字引さんによると、何十年も昔に、お役御免になった屋上の吹奏楽練習場を生徒会が引き受けたのだそうだ。
クララ会はお嬢様やご令嬢ばかりの令女の中にあっても雲の上の存在だから、殿上への階段を上るときは足がすくむ、とは生き字引さんの言葉だが、千鶴はさほど緊張することもなく、その階段を上り始めた。
と。
「それくらいご自分でお決めになったら?」
不機嫌そうな声がした。
声の主は長い黒髪の少女。
階段の踊り場に立ち、ふたりのゆりたちと対峙している。
「私だって忙しいの」
「も、申し訳ございませんっ!」
叱られたふたりはフルスイングで頭を下げる。
立ち止まり、その成り行きを見つめる千鶴。叱責している黒髪少女の胸元にはルージュのリボン。見上げる構図だからかも知れないけど、腰に手を当て相手を見下ろす姿は細身なのに風格すら漂って、とても中学生には見えなかった。艶やかな黒髪に端正な顔立ち。だけど、相手を睨めつける切れ長の瞳には凄みすら感じるほど怖かった。非の打ち所がない美形だけど、お近づきにはなりたくないなと千鶴は思った。可哀想なのは叱責されているふたりだ。足がガクガクと震えている。
「もういい?」
「で、でも、ちょっとくらいは話を聞いて……」
「あなた方の問題でしょ、ご自分でお考えになったらって言ってるの」
「でも、ちょっとく――」
「しつこいわね」
「でも――」
「だ、だ……」
「ちょっとだけでも」
「ダメだって言ってるでしょ!」
「「ひいっ!」」
「甘えないでっ!」
「「ひいいっ!」」
「盗み見は良くないな」
「ひいいいっ!」
突然、背中を叩かれた千鶴は、妙な声とともに飛び上がった。
振り返ると見上げるくらいに長身の、これまたモデルのような美人さん。
くりっと大きな瞳に苦笑いを浮かべた彼女は、短い髪をさらりと掻き上げた。
「ごめんごめん、驚かすつもりはなかったんだけど」
「いえ、こちらこそごめんなさい。確かに盗み見してました」
「はははっ、正直屋さんだな。で? クララ会にご用?」
「あ、はい。御前さんって方に」
「みさきさん?」
彼女は首を傾げた。
「あ、すいません。万里子さんです!」
千鶴は結希さんから口酸っぱく教えられたことを思い出した、令女では相手を下の名前で呼ぶのがお約束なのだ、と。名字で呼ぶのは部外者のすることで、失礼だとまで警告されていた。
「ああ、姫ちゃんね。姫ちゃんなら今、階段上っていったとこ。ご機嫌ななめだったけど」
見ると黒髪の美少女は踊り場から消えていた。
と言うことは――
「さっきの長い髪の人が万里子さんですか?」
「あれっ、姫ちゃん知らないの? ふうむ、さては貴女、外部から来た子だな」
「あ、はい。申し遅れました。一年月組の立花千鶴と申します」
「千鶴ちゃん? もしかして特待生の?」
「え?? あ、はい」
「そうかそうか。あたしは和泉彩子、三年藤組。じゃ、一緒に行きましょ」
一緒に、と言うことはこの人もクララ会のメンバーだ、と千鶴は悟った。スタイル抜群でやたら腰の位置が高い。サッパリしたショートカットに整った小顔はそのままパリコレのランウェイにも立てそうで、並んだ自分が惨めに感じる。なるほど、クララ会は全てのゆりたちの憧れの的だと言うのが少しだけ理解できた。
「一緒に、って?」
「クララ会に用があるんでしょ? 案内してあげる」
「えっと、やっぱりいいです」
千鶴は思い直した。
怖じ気づいただけじゃない。
さっき「姫さま」は叫んでいた、自分で考えろ、甘えるな、と。
あの言葉はそっくりそのまま、自分にも当てはまるのではないか?
「いいの?」
「はい。なんか自己解決しました。和泉彩子さま、ありがとうございます」
上級生には「さま」付けで、とは結希さんに口酸っぱく言われていた。
ただこの場合、フルネームで言う必要はないのだが。
しかし彩子さまはそんなことなど気にもとめず、ニコリと微笑んで了解の意思を伝えた。
「わかった。でも困ったことがあったら遠慮なくいらっしゃい。千鶴ちゃんは大歓迎だから」
「はい、お心遣いありがとうございます。では、ごきげんようさまでした」
殿上人にも優しい人はいるんだ。
千鶴は深くお辞儀をすると、きびすを返して階段を降りた。