第5話
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純白の壁、見上げる天井、整然と並ぶ木の長椅子。
左右の壁にステンドグラスを従えて、正面には聖なる十字架が掲げられている。
聖堂
「私たちはお御堂って呼んでます」
光に満ちても荘厳なその広い空間に、ふたりの他は誰もいなかった。
「きっとここに追っ手は来ないでしょう。もし来ても、ここで捕り物劇は起きません」
「そうなの?」
「はい。令女のゆりなら、主の御前でそんなことはしません」
ふたりは手を繋いだまま、ゆっくりと十字架の前へ進んだ。
「見られちゃったの、どうしよう。万里子ちゃんに迷惑かかったら」
「私は全然かまいません。心配なのは千鶴さまです」
「私は大丈夫」
「どうして言い切れるんですか?」
「だってさ、私はここを追い出されたら住む家もないんだよ。慈悲深き令女の学園長先生が、そんな惨いことする訳ないよ」
本当は気が気でなかった。
不安に胸が押しつぶされそうなくらい。
お母さんごめんなさい。
わたし――
そんな千鶴の手を、姫さまは強く握りしめた。
「そうですね。きっと、いえ、絶対大丈夫です」
千鶴の瞳に、真っ直ぐで強い姫さまが映る。
そしてその右手には。
「あ、私の鞄、ありがとう」
自分の鞄を受け取ると、千鶴は柔らかに微笑んだ。
「万里子ちゃん、鞄は?」
「シャトーに置いたままです」
「取りに行かなきゃいけないね」
「いえ、持ってきてもらうって手もあります」
「どうやって?」
「スマホで連絡すれば。千鶴さま持ってませんか?」
「ごめん。私、持ってないんだ」
「私も鞄の中なので。あとで取りに行きます―― っ!」
背後から足音が聞こえた。
ひとつの足音がゆっくり、でも間違いなく近づいてくる。
追っ手?
ふたりは緊張して息を呑んだ。
「ごきげんよう」
しかしそれは、落ち着いた声。
「「学園長先生!」」
ふたりの声が見事にハモった。
驚きと、多分の動揺を含んだ声色で。
「ごきげんよう」
「ごきげんようでございますっ!」
「あらまあ、ふたり揃って懺悔に来たのですか?」
修道服の淑女は、柔らかな眼差しで問いかけた。落ち着いた身のこなし、静かでもひしひしと伝わる言葉の重み。千鶴の母と同じくらいのお歳に見えるけど、さすがは学園長先生、貫禄を感じる。
しかし、なんと答えよう――
彼女は全てを見通したかのように優しく微笑みながら、小さく肯いた――
「はい、懺悔に来ました」
「そう。だったら私のお説教はいらないわね」
先生は愉しそうに、ふたりに笑いかけた。
「立花さんと御前さんって、珍しい組み合わせだこと」
姫さまは上目遣いに千鶴を見つめる。姫さまの方が背も高いのに、何かを期待するかのように。
だからもう、迷うことはない。
前を向こう!
「はい、私たちクルールになります」
「そう! それは素晴らしいことだわ」
学園長先生に祝福されるなんて、千鶴は嬉しくてたまらない。
「ありがとうございますっ!」
「学園生活はどうかしら?」
「毎日がすごく楽しいです。皆さんとてもいい人ばかりで、友達もいっぱいで、ゆりたちの仲間になれて本当によかったです」
「そう。それはよかった、私も嬉しいわ」
「ありがとうございます」
頭を下げる千鶴を見て、姫さまもそれに倣った。
「あらまあ、息もぴったりね」
「はい!」
姫さま、嬉しそう。
「学園長先生もお元気そうで」
「ええ、おかげさまで、もうすっかり元気よ。ありがとう」
そう言うと学園長先生は前を向き、手を組んで祈りを捧げ始めた。
千鶴と姫さまは互いに視線を交わすと、学園長先生に倣った。
(ごめんなさい。もう二度と学園内は走りません……)
(願わくは私たちふたりをおゆるしください……)
懺悔なのに、静かに心満ちる時間。
途中、後ろの方から幾つか足音が聞こえたけど、すぐにその気配は消えた。
真っ白な壁と十字架を見つめていると、時間が止まったような錯覚を覚える。
きっとこの世界は、奇跡で出来ている――
そんな思いに囚われる。
やがて、学園長先生は長い祈りを終えると、微笑みを残してお御堂を出ていった。
「よかったね、学園長先生がいい人で」
「はい。実は私、最初は心臓が飛び出すかと思いました」
「私も」
ふたりはどちらからともなく笑い合う。
天上から吊された優しい光、天使が降臨しているステンドグラス、真っ白な部屋は明るくて、とても静か。
「でも、すっかりお元気そうでしたね」
「そうですね。入院が長くて、皆さん心配してましたけどね」
「大変だったんだ」
「移植で元気になられたって聞いてます」
「医学の進歩って、すごいね」
「はい。私もそう思います」
「もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「…… ううん、何でもない」
そんな偶然あるわけない。
でも、きっとどこかで、優しかったお母さんも役に立っている――
「ところで千鶴さま」
「何、万里子ちゃん」
「さっきの、本当ですか?」
「さっきの?」
「私たちが、その、クルールに、って」
「万里子ちゃんさえよかったら」
「もちろんですっ!」
万里子ちゃん、ぴょこんと跳ねる。
文武両道、眉目秀麗、でもわがままで唯我独尊。
最初のイメージと随分違う、まだあどけなさを残す少女の姿がそこにある。
「ちゃんとお返事書くね」
「あ、だったら、これ」
万里子ちゃんはポケットに手を突っ込むと、小さなクマのキーホルダーを取り出した。どこかで見たことがあるその造形――
「小吉さん?」
「はい、小吉さんが付いた、私の鍵です」
「ありがとう。大切にするね」
千鶴は鞄を開けて、紐で繋いでいた鍵を外した。
「これは私の鍵」
「ありがとうございます」
ふたりは十字架の前に立つと、互いの鍵を交換した――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
万里子ちゃん
今日はたくさんありがとう。
私を助けに来てくれて。
私と一緒に逃げてくれて。
私についてきてくれて。
私ね、勇気が出た。
自信が持てた。
令女に来て本当によかった。
ここでは奇跡が当たり前のように起きるんだね。
素晴らしいお友達がいて
素敵な先輩がいて
優しい先生方もいて
そして万里子ちゃんがいてくれる。
私ね、万里子ちゃんに伝えたいことが、たくさんある。
知って欲しいことがいっぱいある。
きっとこの日記帳の何倍も何十倍も。
そして、さらにその何百倍も、万里子ちゃんのことも知りたいんだ。
それくらい、大好きだよ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その夜、千鶴はとても愉しい夢を見た。
しかしそれは、いつもの、お母さんの夢ではなかった。
【あとがき】
皆さまご愛読ありがとうございました。立花千鶴です。
最初はとても怖がりで、悪いことばかり考えていた私が、学園の皆さんに支えられて元気になっていくお話、いかがでしたか。万里子ちゃんは、私は支えられているだけじゃなくって、支えてもいるんだ、な~んて言ってくれるけど、まだそこまでの自信はありません。でも、いま私はとても幸せだなって思います。それはきっとしっかり前を向けたからだと思うんです。全て失ってしまったって思っていたけど、でもそうじゃなかった。未来は残っていたんですね。ありがとう彩子さま、香子さま、そして万里子ちゃん。
ここで私、立花千鶴のお話は終わることになりますが、この後短いエピローグを用意しています。引き続きそちらもお楽しみくださいませ。
では、皆さまにも神の祝福があらんことをお祈りしながら。
立花千鶴でした。




