第2話
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「いい、分かっていることはみっつ。ひとつ、貴女と彩子は旧知の仲だってこと。ふたつ、初対面の香子からシャトー・フルールに案内されたこと。そして何より大切なみっつ目は、貴女が姫さまからクルールの申し込みを受けたこと。間違いないわよね」
「間違いがあります」
千鶴は毅然と言い放った。
「ウソおっしゃい! 全てウラが取れている事実ばかりよ」
「私と彩子さまは旧知の仲ではありません」
「嘘、彩子はそう言ったわ」
「それは……」
「騙されないわよ。さあちゃんと説明して――」
トントン トン
突然。
新聞部の扉がしっかりとした音でノックされた。
部室にいるみんなが注目する中、扉が開く。
「お邪魔します。クララ会の御前です」
ごきげんよう、と微笑んだ姫さま。部室のざわつきをよそに堂々と入ってくる。
「予算の申請書を取りにきました」
「あ、あれね。あれ、今日までだったわね。あとで持って行くわ」
「そうですか。ところで紗和さま、千鶴さまを取り囲んで、何をしているのですか?」
彼女は部屋の真ん中まで進むと千鶴の背後から紗和さまを睨みつけた。
「な、何って…… インタビューよ」
「彩子さまの話では、千鶴さまのインタビューは金曜日になると聞いたのですが?」
「部外者は黙って」
「部外者ではありません。彩子さまと約束したのでは?」
「それは――」
「したんですね」
強い!
姫さまの前では、百戦錬磨の紗和さまがタジタジだ。
あっという間に部屋の空気は冷たく張り詰めた。
「彩子との約束はクルールの件についてで、今日はお茶を飲みながら世間話をしてただけよ。ほら、千鶴さんが手作りのクッキーを持ってきてくれたから。あ、姫さまもおひとついかが?」
「千鶴さまの手作り?」
甘さの権化のようなクッキーを受け取る万里子さん。
「だめっ!」
「え?」
さすがの姫さまも事態が飲み込めずに、千鶴を見て首を傾げる。
「そのクッキーはね、あの、ちょっと――」
「不味いわよ」
六花さま、ハッキリ言った!
さっきクッキーを口にした人たちも「うんうん」と肯く。
「不味い? まさか。千鶴さまのクッキーが不味いはずがありません」
あっ!
と、千鶴が声を出す間もなく、クッキーの形をした砂糖の塊を頬張った姫さま。みるみる微妙な表情に変わっていく。千鶴は申し訳なさげに牛さん印を手渡した。
「―― んんっ―― あ、ごめんなさい千鶴さま。全部飲んでしまいました」
「いいのよ。甘かったでしょ?」
「はい、とても」
にこり微笑んだ姫さまはゆっくり周囲に目をやると、今度は澄まし顔で。
「千鶴さま、飲み物もなくなってしまいましたし、一緒に失礼しませんか?」
千鶴は姫さまを見上げる。
すごい。
堂々としていて頭の回転が速くて、ルージュなのに私なんかよりずっと頼りになる。
でも――
心で感謝しながらも、千鶴は首を横に振った。
「ごめんなさい、まだ話が終わってないの」
「え?」
「今はまだ中途半端なの」
「そうね、いい心がけだわ」
紗和さまは、姫さまをチラ見する。勝ち誇ったような、ちょっと挑発的な視線、しかし姫さまは平然と受け流した。
「わかりました。だったら私もここでお待ちします」
「ご自由に」
紗和さまは下級生に命じ、千鶴の横に姫さまの席を用意させた。
「で、何だったかしら?」
「彩子さまとのことです」
「ああ、私がウソつき呼ばわりされた件ね」
「ウソつきとは言ってません。事実じゃないと言ったんです」
「それがウソつきってことでしょ?」
「いいえ、それは――」
「お好み焼き屋さんで知り合ったのよね」
「違います」
「彩子はそう言ったわ」
「でも……」
「結希から聞いたけど、千鶴さんってお好み焼き屋さんでバイトしてたんだって?」
「バイトじゃないです」
「じゃあ、店長?」
「小学生の時の話ですよ?」
「すごい、小学生店長」
「茶化さないでください!」
紗和さまを相手にしながら、千鶴は隣からの強い視線も感じた。
そう、千鶴がお好み焼き屋で出会ったのは、彩子さまではなく姫さまだ。
彩子さまが走って逃げながら「偶然入ったお好み焼き屋さん」って言ったのは「話は姫さまから聞いてますよ」ってことを千鶴に伝えたかったからに違いない。きっと、私が忘れていた記憶を取り戻そうとしてくれたんだ。
「ご家族のお手伝い?」
「ええまあ」
「大昔の、昭和の時代の下町みたいね」
「否定はしません」
「しかし、あのお洒落な彩子がお好み焼きねえ」
「ですから、彩子さまは来てません」
「じゃ、あのセリフは何なの?」
「それは……」
「彩子はね、冗談は言っても嘘は言わないタイプなのよ」
「じゃあきっと冗談です」
「どう笑えるの? 私には分からない」
「お、お嬢さまなのにブタ玉トリプルか~い! って」
「ブタ玉トリプル、って何?」
そうだった。
ここは令桜女学園、格式高いお嬢さま学校だ。
新聞部部長の紗和さまも幼稚舎から通う令女っ子、裕福なご家庭のご令嬢に違いないのだ。こんな庶民ギャグ滑る。いや、滑る前に理解すらして貰えない。だけどここで引く訳にもいかない。
「前歯に青のり、奥歯に豚バラ、口の周りは特製ソース、って」
「だからそれのどこが笑えるのよ」
「六花さまは笑ってますけど」
「ともかく、彩子との間柄をちゃんと説明して頂戴」
「ホントに面識なかったんです」
「今日もう一度、彩子に聞いたけど、やっぱりお好み焼き屋さんが取りなした縁だって言ってたわよ」
「それはそうかも、ですけど」
「だったら知り合いじゃない」
「違います」
「どう違うのよっ」
「それは私だからですっ!」
えっ?
突然割り込んだ姫さま。
紗和さまを真っ直ぐに見据える。
「お好み焼き屋さんに行って千鶴さまにお会いしたのは、私だからです」
「あのねえ姫さま、千鶴ちゃんを庇いたいんでしょうけど、ウソが見え見えよ」
「庇ってるんじゃありません」
「小学生が手伝ってる昭和レトロなお店に御前財閥のお嬢さまが行ったなんてありえないわ」
「でも事実です」
「ましてやお好み焼きでしょ? 前歯に青のりよ、口の周りソースだらけよ?」
「いいじゃないですか、前歯に青のり、口の周りにかつお節」
「口の周りは特製ソースよ。そんな下品なところに小学生の姫さまが?」
「下品なんかじゃありません」
「目の前で焼くからソースがドレスに飛ぶって聞いたわよ?」
「だから?」
「何だっけ、裏返すヘラみたいなやつ、あれで大口開けて食べたりするって」
「だから?」
「そんなとこに姫さまが?」
「そんな、とこ?」
「庇ってるんでしょうけど」
「そんなとこですって、千鶴さまのお店を――」
「だって事実……」
「ば、ば、ばっ……」
姫さまはギリリと両手を握りしめ、桜色のくちびるを歪める。
そしてその端正なお顔を険しく尖らせる。
この光景、何度か見たことがある――
彼女は自分をわがままだと言う。自称・令女の生き字引さんの評価もそうだ。千鶴も最初はそう思った。でも違う。彼女はわがままなんかじゃない、真っ直ぐなだけだ。ちょっと不器用だけど熱くて真っ直ぐなだけだ。まだ中学生、仕方がないじゃないか。今、千鶴のために爆発しそうな万里子ちゃん。きっと私が呼び出されたことを彩子さまから聞いたのだろう。だから来てくれた。助けに来てくれた。となりにいてくれてた。だったら私は――
「バカにしっ」
「万里子ちゃんっ!」
千鶴は淑女らしからぬ大声を発するやいなや、姫さまの震える手を掴んで立ち上がった。
「逃げよう」
「えっ?」
「一緒に逃げよう!」
「!!」
反対の手で鞄を持つと、姫さまを引っ張って駆け出した。
あっけにとられる紗和さま。
「では金曜に~っ」
「ちょっ…… 待ちなさいっ!」
「待ちませ~ん。ではまた~っ!」
「ではまたっ!」
姫さまも、千鶴を真似て捨てゼリフを吐いた。
「待ちなさいっ って、みんなっ、捕まえるのよっ!」
急いでいても礼節は大切。
ドアを出て振り返ると中に一礼。
目の前には我に返って向かってくるゆりたち。
「逃げられると思ってるのっ?」
「思ってます」
バシャン
迫り来る脅威を扉でシャットアウト、ふたりは一目散に駆けだした。




