第4話
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「それって、姫さまアゲイン?」
結希さんがニヤニヤとこっちを見ていた。
「みっ、見ないでよ」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
「減ります」
「喜びは二倍に、悲しみは半分に、でしょ?」
「だったら結希さんの喜びを2倍にしましょ?」
「千鶴さんってば、最近容赦ないわね。最初は控えめで可愛げがあったのに」
「今でも十分可愛いです!}
いつしか教室の人も増えていた。日直さんは黒板を綺麗にしているし、朝のお喋りに花を咲かせるゆりたちも多い。
「さっきのピンクのは交換日記よね?」
「それは認めよう」
「誰から?」
「秘密」
「嘘つき。令女の子は隠さないって言ったじゃない」
「それはね、ハッピーセットになったらよ」
結希さんは自虐的な笑みを浮かべると、すぐに思いだしたように。
「そうそう、そんなことより大事な話があるの」
「大事な話?」
「千鶴さん、こっちこっち」
教室の隅っこに誘導する結希さん。
いつもながらこれ、かえって目立つんじゃないの、と思うけど――
「結希さん、もしかして隅っこが好き?」
「どうして?」
「2日連続だし」
「千鶴さんが目立つことばかりするからよ」
「隅っこ好きなんだ」
「違うってば。実はね……」
ぐるり教室を見回した結希さん。
わざとらしく声を潜めて語るには――
新聞部部長の紗和さまが、烈火の如くお怒りらしい。
勿論、彩子さまと私が走って逃げたから。
そりゃあ逃げたのは悪いけど、しつこい紗和さまだって悪い。
けれど紗和さまは一方的にこっちが悪いと怒り心頭、スティックシュガー五本入りのコーヒーを三杯飲み干しても腹の虫は治まらなかったらしく、私を新聞部に連行するよう、結希さんに厳命したというのだ。
「別にね、みんなで取り囲んで食べちゃおうって訳じゃないのよ。部長だって逃げたのは彩子さまが主犯だって分かってるし。でも、そのあと菓子折持って挨拶のひとつもあるのが最低限の礼儀だろうってお怒りなの。だからお願い、放課後来てくれない?」
「菓子折持って?」
「紗和さまは甘い物が大好きだから」
「私ひとりで?」
「そうよ。殿上人の彩子さまは百戦錬磨だし、連行できそうにないから千鶴さんに白羽の矢が立ったのよ。昨日の紗和さま、クララ会に殴り込みに行ったらしいんだけど、体よく追い出されたらしいの。戻ってくるなり「だあ~っ」って叫んだかと思うと、彩子さまを捕まえてこいとか、姫さまを生け捕りにしろだとか好き勝手に口走って、ほとんど酔っ払いよ。みんなでなだめるの、大変だったんだから」
「で、私が標的に?」
「ま、そんなとこ」
「イヤに決まってるでしょ?」
突き放そうとする千鶴に向かい、両手を合わせて拝み倒す結希さん。
「お願い、私の顔を立てると思って。ホントのことを話してくれたらすぐに終わるから」
「そんなこと言われても」
「菓子折は半分冗談だから」
「半分本気なんだ」
確かに結希さんの言うとおり、新聞部が納得すれば解放されるのだろう。一言昨日のお詫びを言って、ふたりはクルールになりました、でもいいし、何にも関係ないんです、でも。しかし、今のふたりは中途半端な関係。インタビューされても返事に窮することばかり。
「どうしてもダメ?」
「いや、絶対ダメってことは……」
いつも元気な結希さんが目の前でしゅんと小さくなる。
きっと結希さん、私の気持ちも分かってる。
分かった上で頼んでる。
即ち、板挟み。
あらゆるストレスの原因。
部長の理不尽な命令と、友達の拒絶の板挟み――
「断ったんならそう言えば済むから。ねっ、お願い!」
「ううん、実はまだ決まってないのよ」
「えっ?」
「実は昨日、絵里花さんと文芸部に行ったら…………」
姫さまと振り出しに戻った経緯を簡単に語った千鶴。
結希さんは目をぱちくりさせて。
「なんかすごいことになってるのね。独占取材していい?」
「ダメ」
「ケチ、減るもんじゃなし」
「減ります」
「まあいいわ――」
結希さんは、さっきから後ろ手に持っていたものを千鶴に差し出した。
「新聞?」
「出来たてのさくら新聞本日号よ。ほらここ」
結希さんの指差す先、二つ折りの新聞の一面に新入生に向けた歓迎の言葉があった。クララ会中等部会長・御前万里子、カッコして黑曜の姫君、のお言葉も載っている。姫さまの堂々としたお美しいバストアップの写真入り。8行くらいの短文の中で交換日記も推していた。
「姫さまを大きく載せれば飛ぶように配布できるんですって」
「わかるわかる」
「でね、本題はその裏の――」
結希さんは新聞を裏返して下の方を指し示す。そこには次号の予告があった。
「クルール大特集号?」
「そうよ、現在絶賛取材中。分かるでしょ、万が一、姫さまのクルール情報を取り損ねるようなことがあったら、さくら新聞始まって以来の汚点になるって。だから貴女への興味は紗和さまだけじゃないのよ、先輩方、みんな必死なのよ」
「…… 分かったわ。行くわ」
「えっ? ホントに?」
「ただし、今週末まで待ってください、って先延ばししてすぐに帰るわよ」
「あ、それいい。それでいいわ。さっすが千鶴さん、助かったわ! もう、だから千鶴さん大好きっ!」
「んもう、抱きつかないでよ」
「私がルージュだったら絶対千鶴さんにする!」
「何の話よ」
「ちょっと抱き心地は硬いけど」
「ほっといてよ」
「ホントにありがとう」
陸上で鍛えた両手から千鶴を解放した結希さんは、律儀に頭をぺこりと下げる。
「その新聞はお礼にあげるね。私は今から新聞配りに行くから。じゃ!」
言うが早いか、風のように教室を出て行った結希さん。さすが元陸上部、走るフォームが綺麗―― と感心している場合ではない。あんなスピードで廊下走ったら先生に捕まらないか心配。いや待て、今は人の心配している場合ではないかも。勢いで約束しちゃったけど大丈夫だろうか。まあでも、週末まで待って貰えれば、さすがに決着は付いているだろう。少し胸騒ぎはするけれど、きっと大丈夫――
千鶴は自分の席に着くと、貰ったばかりのさくら新聞に目を落とした。裏面の【クルールになりました】ってコーナーには七海さんが載っていた。本人の承諾の上で載せるらしいけど、ほとんどの人が快く承諾するのだそうだ。ひと組たった一行の簡潔な報告は「お幸せに(はあと)」で締められている。何だか「結婚しました」みたいで読んでる方が恥ずかしくなる。
折りたたんだページを開くと彩子さまがお弁当を晒していた。
人気コーナー「突撃・となりのお弁当」。
彩子さまって売れっ子有名デザイナーのご令嬢なのにお弁当は至って庶民的だった。塩鮭、卵焼き、アスパラのベーコン巻き、そしてご飯にはのり玉。彩子さまのイメージと全然合わない。だけど真っ赤なお弁当箱はスタイリッシュで、盛り付けも綺麗で美味しそう。何よりお弁当を手にピースしている彩子さまの写真がいい。やっぱりカッコいい。彩子さまステキ――
「立花千鶴ちゃんはいる?」
空耳だろうか、その彩子さまの声が聞こえた気がした。
「あ、いたいた。千鶴ちゃ~ん!」
顔を上げると彩子さまの幻まで見える。
「こっちこっち!」
…… って、現実だわ!
「はい、今行きます!」
彩子さまは千鶴を手招きすると、少し歩いて廊下の窓から外を見た。千鶴も横に並んで彩子さまを見上げる。
「昨日はごめんね。迷惑掛けて」
「いいえ、ありがとうございました」
「ありがとう? 先生に見つからなかったよね」
「はい、大丈夫です」
「いや~、ホントごめん」
「謝らないでください。楽しかったですから」
「楽しい?」
「ええ、楽しかったです。この学園に来て一番――」
昨日の昼休み、手を引いて逃げてくれたのは、私のため。
こんなに嬉しいことはない。
何より彩子さまが私と手を繋いでくださった――
「それより彩子さまは?」
横に立つ彩子さまの視線は窓の外。そこにはお御堂の白い建物が見えるだけ。
「あたしは大丈夫。ってかさ、追いかけてくる紗和の泣きそうな顔、見た? あれは傑作だったわ」
「見なかったです。逃げるのに必死で」
「残念! 爆笑ものだったのに」
「彩子さまって、案外意地悪なんですね」
「そうよ、私は悪党だからね」
ちらり千鶴を見た彩子さまは、ニヤリ口角を上げる。
「だったら今度は私も振り返って見てみます」
「いやいや、今度があったら大変だよ。ところで、新聞部から何か言ってきてない?」
「何かって?」
「ん~っ、取材させてくれとか、部室にご案内~っ、とか」
「それなら、ありました」
千鶴はついさっきの出来事をかいつまんで伝える。
今日の放課後、行くと返事したことも。
「あちゃ~っ、遅かったかあ。でもね、それ、行っちゃダメだよ。その友達には悪いけど、今からでも断った方がいいよ」
「どうしてですか? 今日は何も喋らずに、週末の約束をするだけですよ?」
「それは千鶴ちゃんの希望的観測ってやつ。新聞部は甘くないよ。敵さんからしたらノコノコやってきたネギ背負ったカモだもん。訊けることは訊いてくるんじゃない? それにさ、紗和はスッポンだから、昨日のことまだ怒ってるだろうし」
はい、すっごく怒っているそうです―― と喉元までで掛かった千鶴だが、それは呑み込んだ。
「何を訊かれても、また金曜日に、って言うつもりですから」
「う~ん、大丈夫? 新聞部の連中は手練れ揃いよ」
「大丈夫です」
「やっぱり心配だわ。でも、今日の放課後は用事あるしなあ――」
「本当に大丈夫です。ご迷惑は掛けませんから」
「あたしの迷惑なんて心配いらないけど」
「それに、一度、約束しちゃいましたし」
「だよね。千鶴ちゃんってそんな感じだよね」
「そんな感じ?」
千鶴の視線に、彩子さまは微笑みを返した。
「そう。そんな感じ」