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ゆりたちの交換日記  作者: 日々一陽
第2章 うわさは駆け足で
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第6話

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 別館4階の文芸部を出ると、殿上への階段へ向かった。


「千鶴氏、退屈させてごめんなさいね」

「いえいえ、人の話を盗み聞くのも面白かったです」

「悪趣味ね、私も好きだけど」


 紫の君は前を見たまま半歩前を歩く。


「千鶴さんは聞き上手ですものね」

「いえ、そんないいものじゃ……」

「ふたりは仲がいいのね」

「絵里花さんには、いつも助けてもらってるんです」

「いいことね。ところで絵里花氏、クルールの申し込みが殺到してるんでしょ?」

「えっ?」


 千鶴は慌てて口を塞いだ。確かに絵里花さんだったら靴箱から日記が溢れてたって不思議はない。優しいし面倒見もいいし何より元殿上人だし、さっきもルージュに大人気だった。しかし結希さんの話では、姫さまが申し込むに違いないからみんな手を引いてたって……


「殺到は大げさです」

「やっぱりたくさん来てるのね」

「そんなうわさ、どこでお聞きになったんです?」

「秘密情報部RI6を甘く見てもらっては困るわ」

「それは香子さまの小説の中の話でしょ?」

「ご愛読ありがとう」


 私のせいだ、と千鶴は思った。姫さまが私とクルールになった、と言ううわさを信じたルージュたちが「だったら私が」って絵里花さんに殺到したんだ。そう言えば、今朝の絵里花さんは浮かない顔をしていた。やっぱり彼女は姫さまとクルールになりたいのではないだろうか。

 殿上への階段を登り切った香子さまは、赤茶色をした屋上へのドアを開ける。ふたりも後に続いた。


 光に満ちた別館の屋上。

 そこは千鶴がイメージした、コンクリートが広がる灰色の世界ではなかった。

 まず目に入ったのは赤、白、黄色と色とりどりに咲き乱れる花々。たいして広くはないけれど、丁寧に手入れされた花壇から春の色が溢れている。長いベンチもあって、憩いのひとときにぴったりだ。視線を上げると手すりの向こうに街のパノラマ。屋上と言っても4階建てで決して高くはないけれど、遠く青空と山の稜線の交わる先に視線が吸い寄せられていく。


「こっちよ」


 振り返ると、花壇と反対にプレハブの小屋が建っていた。小屋と言うには少しだけ立派な赤い屋根。ガラス窓のカーテンは開いている。ここがシャトー・フルール、和訳すると「花の城」。城と言うにはあまりに安普請やすぶしんだけど、花壇の前に建つそれはシャトー・フルールの名に恥じなかった。


「千鶴氏は初めてよね」

「はい」

「せっかくだから見学していきなさい」

「せっかく、って?」

「まずは色々見ておこう、って言ったでしょ? ここも色々分の1よ」

「生徒会は部活とは違うんじゃ……」

「あなたも生徒、だったら生徒会の一員」


 強引に押し切る香子さま、若輩者の千鶴に口答えは許されそうにない。

 彼女は「クララ会」と彫られたプレートが掛かるアルミのドアを開いた。

 訳も分からず付いてきた千鶴だが、そこに姫さまがいるかも知れないことに気がつくと二の足を踏んだ。


「みんな、見学者をお連れしたわよ」


 しっかりした声でそう告げてふたりを促す香子さま、もはや逃げ道はないらしい。


「入りましょ」


 絵里花さんに背中を押されて覚悟を決めた千鶴は、扉をくぐる。


「「いらっしゃいませ」」


 ふたりの生徒が立ち上がり、笑顔で迎え入れてくれた。


「ごきげんよう」


 優雅に会釈する絵里花さん。

 しかし、千鶴の緊張は頂点に達した。


「ごっ、ごきげんようでございますっ!」

「はい、ご機嫌よろしゅうございます。書記の二年、小日向陽菜こひなたはるなでございます」

「中等部補佐の春名美玖はるなみくでっす」


(あ、そうだった!

 昔、母から聞いたのはこれだ!「ご機嫌よろしゅうございます」だ!)


 今までの誤りを悟った千鶴は顔を真っ赤にした。


「こちら立花千鶴氏。知ってると思うけど外部からきたばかりのノワールの一年生」

「立花です。よ、よ、よろしくお願い申し上げたてまつるっ!」


 顔を真っ赤にしたままで千鶴は頭を下げた。しかし、そのまま待っても絵里花さんの紹介はない。それは即ち、絵里花さんは面識があると言うことだ。千鶴はゆっくりと顔を上げた。


 優しい目をした書記の陽菜はるなさまはおっとりと綺麗なお姉さま風。亜麻色した大きなウェーブのロングヘアで、触るとふわふわ気持ちが良さそうだ、触れないけど。美玖みくちゃんは中等部の2年生。姫さまの指名で生徒会の補佐になったって結希さんが言っていた。小柄で華奢でツインテで、ぱっちりお目々の小動物系。動きがちょっとコミカルでやたら可愛くて抱きしめたら気持ちよさそう、でへへへ―― とセクハラに落ちかける千鶴。


「どうぞお掛けになって。緊張しなくていいのよ。コーヒーか紅茶、どっちがいいかしら? まあ、インスタントかティーバッグだけど」

「お…… お気になさらず」

「お客さまに出さなかったら私たちも飲みにくいでしょ? だから遠慮しちゃダメ」

「えっと…… 絵里花さんは?」

「私はコーヒー、ミルクも砂糖もなしで」

「私もそれで」

「ふたりともロックね」

「ロック?」


 陽菜さま、舌巻いていた。ゥロック、って。

 やりとりを聞いていた美玖ちゃんは小走りに奥の流しに行くと、電気ポットに水を入れる。


「姫は?」


 部屋を見回して香子さま。


「今日は来てません。先ほど新聞部の紗和さまならいらっしゃいましたが」

「紗和が?」

「彩子さまはどこだ、隠しても無駄だ、正直に言え、ってすごい剣幕でした。お引き取り願いましたけど」


 あ、と声を出しかけて千鶴は口を押さえた。


(そんなに怒ってるんだ――)


「姫さまは暫くしたら来ると思います」


 飲み物の用意していた美玖ちゃんが振り向いて言った。


「用事で遅くなる、って言ってましたから」

「せっかくお客様をお連れしたのに」

「お急ぎなら美玖が探してきましょうか?」

「心当たりはあるの?」

「ちょっとだけなら」

「じゃあ、お願いできる?」

「陽菜さま、お茶の方をお願いできますか? 美玖は探してきます」

「分かったわ。こっちは任せて」


 ぺこりと頭を下げ、美玖ちゃんが小走りに出て行くと、陽菜さまはすくっと立ち上がった。


「お茶ならわたしが」

「絵里ちゃんはお客様だから座っていて」


 陽菜さまが流しへ向かうと、香子さまが千鶴の正面に腰を下ろす。


(香子さま、わたしと姫さまを鉢合わせさせるつもりなんだ)


 逃げたい気持ち半分、会ってみたい気持ちも半分。ここに連れてこられた狙いは分からないけれど、もうこうなったら、と千鶴は開き直った。

 しかし香子さま、こんなところでのんびりして文芸部はいいのだろうか?


「大丈夫よ千鶴氏、静香はしっかりしてるから。それにね、私にばかりゆりたちが群がったら茶話会の意味がないでしょ?」


 ああ、なるほど、言われてみれば。

 って?


「どうして私が考えていることが分かったんですか?」

「顔に書いてあるわよ。分かりやすくひらがなで」

「ひらがなで?」

「そう、丁寧な楷書かいしょで」


 顔にマジックで書いてある、と言われることはあるけど、ひらがなでって言われたのは初めて。じゃあ難しい漢字で書いたらバレないのだろうか――


「そう言えば」


 香子さまは澄ましたままで絵里花さんに向いた。


「運動会がもうすぐね」

「今年も生徒会で出るんですか?」

「当然よ。今年こそ絶対勝つんだから」


 1ヶ月後に迫った運動会、部活対抗リレーに生徒会もエントリーするらしい。去年は3位だったとかで雪辱を果たすのだと香子さまは力を込めた。そうは言っても陸上部に負けるのは仕方がないでしょう、と言う絵里花さんに、バレー部に負けたのが悔しい、今年こそ目に物見せてやる…… と香子さまの鼻息は荒い。


「千鶴さんは足に自信はある方?」


 絵里花さんは千鶴に話を振る。


「ないです」

「まあ普通は謙遜してそう答えるわよね。で、本当は?」


 香子さまの突っ込みに千鶴は少し思案して。


「人並みです」

「いいこと千鶴氏、謙遜であっても嘘だったら承知しないわよ。地獄で閻魔さまに舌を抜かれるわよ。怖いわよ、痛いわよ、泣いちゃうわよ! で、本当は?」


 ここ、カトリックの学校なのに閻魔さまで脅す?

 千鶴は突っ込みたい気持ちをぐっとこらえる。


「…… 中3の運動会は5人中3番でした」

「本当に普通なのね」

「ごめんなさい」

「でもメンバーにもよるわよね。クラスで一番速くても、学年一番が相手じゃ負けるもの」


 お盆を置いて、湯気の立つ真っ白なマグカップを配りながら、そんなことを言う陽菜さま。


「なるほど陽菜の言うとおりだわ。クラス代表の競争とか?」

「違います」


 香子さまにぴしゃり言い放った千鶴。確かに5人の内のひとりは陸上部のエースだったけど。


「熱いうちにどうぞ」

「いただきます」


 陽菜さまに会釈をすると、絵里花さんはカップに口を付けた。

 千鶴もそれを真似る。

 真っ黒にも見えるコーヒーは千鶴に苦かった。本当は砂糖もミルクも入れる派なのだ。でも、絵里花さんは澄ました顔で飲んでいる。千鶴は自分に「このコーヒーは美味しい、このコーヒーは甘い」と言い聞かせた。でないと、また顔にひらがなで「にがいです」って書いてしまう。


 絵里花さんは泰然としていた。元々殿上人で、ここは慣れ親しんだ場所だろうし、香子さまとも陽菜さまともよく知った間柄のようだった。


「ところで、千鶴氏は姫が好き?」


 突然の香子さまの質問に、千鶴は反射的に背筋を伸ばした。


「あ、はい、もちろん」

「でも振ったんでしょ?」

「えっ!」


 知ってたんだ!

 でも、彩子さまも知っていたのだから当然か、と思った千鶴だが、陽菜さまは知らなかったようで、やおら「やるわね」と呟いた。

 千鶴は顔から血の気が引いていくのを感じていた。きっと今、顔にひらがなで「どうしてそれを」って書いてあるのだろう――


「安心なさい、千鶴氏を責めるつもりはないわ」


 香子さまは表情ひとつ変えない。


「よかったら理由を教えて」


 隣の絵里花さんは悠然とコーヒーを嗜んでいる。やっぱり彼女は知っていたのだ。同じクラスだし、結希さんとの会話が聞こえたかも知れない。


「言いたくなければいいけど」

「振ったんじゃありません。私に資格がなかったんです」

「資格?」

「はい」

「ノワールになるのに資格なんてないわよ」

「そうですけど、相応しいかどうかはあると思います」

「相応しい?……」


 香子さまはカップに砂糖を2本も入れると、スプーンでゆっくりかき混ぜる。


「姫が変なことでも書いた?」

「そんなことは、ないです」

「あの子は素直でいい子なんだけど、ちょっと不器用なのよね」

「……」

「だから、少しのことは大目に見てあげて」


 香子さまはそう仰って微かに微笑んだ。千鶴は絵里花さんの反応が気になったけど、澄ましたその横顔からは何も読み取れない。


「あの、みなさん家庭教師って付いてるんですか?」

「家庭教師? 結構多いんじゃないかしら。令女って恵まれてるご家庭の子が多いから」

「絵里花さんは?」

「昔は来てもらっていたけど今はなし。スケートには行ってるけど」

「皆さんすごいんですね」

「気になるのは万里子ちゃんのこと?」


 柔らかに微笑んで絵里花さん。


「万里子ちゃんは毎日みたいね。学校のお勉強は元より、お茶にピアノに英会話、社交ダンスも水泳もテニスも嗜んでる。あの子に出来ないことはないんじゃないかしら」

「そんなに……」

「あのゆり、大統領より忙しいからね」

「香子さま、それは言い過ぎです。本人は慣れてるから平然としたものでしょ? 家庭教師がお友達、みたいな」

「そうそう、そうなのよ。以前、万里子氏に「友達いないんじゃないの」って冗談言ったら「家に帰るとたくさんいます」だって、家庭教師がお友達らしいわね。私には理解不能だわ」


 家庭教師が、お友達?

 千鶴はハッとした。

 そして慌てて頭の中で、日記の文章を置き換えてみた――

  



  そして、わたしの「お友達」になってください。


 


「どうしたの、千鶴さん」

「…… え? あ、ううん。何でもない」


  トントン


 ノックの音から間髪あげずに、勢いよくアルミ扉が開いた。


「遅くなりましたっ!」


 長い黒髪がバサリと垂れた。

 ガタン、と椅子をならして立ち上がる千鶴。

 しかし、香子さまはクールな顔のままで。


「ごきげんよう万里子氏」

「ごきげんよう香子さま、そして皆さま。あのっ!」


 少し顔が上気して見えたのは急いで来たからか。

 姫さまは千鶴の元へ歩み寄るとさっきよりも一段深く頭を下げた。


「千鶴さま、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!」

「迷惑なんて……」

「私、あんな騒ぎになるなんて思ってなかったんです。それに、事態の収拾も出来ないままで、わたし何もできなくて……」


 体育館の壇上で見た、威風堂々とした彼女はそこにいない。

 俯いて消え入るような声を絞り出す姫さまは、とても弱々しく見えた。

 そしてそれは、千鶴の脳裏に遠い昔を鮮やかに蘇らせた。


「万里子氏が何かしたら騒ぎがもっと大きくなるでしょ」

「確かにそうですけど、でもこのままじゃダメですよね」

「私は、かまわないわ…………」


 そう言いながら、千鶴の脳細胞は激しく働いていた。

 そうか!

 私は何てバカなんだ。

 でも、どうして――


 そうして千鶴は絵里花さんを見る。

 お似合いなのに。

 彼女とだったら騒ぎなんて起きなかったのに――


「そうだ、姫。花壇に水をやってくれない?」


 突然、香子さまがそんなことを言い出した。


「園芸部はどうしたのですか?」

「いやあ、頼まれちゃって」

「……分かりました」

「千鶴ちゃんも一緒にいってらっしゃい。興味あるんでしょ、花壇」

「え…… あの、絵里花さんは?」

「いってらっしゃい」

「……」


 ふたりは追い出されるように部屋を出た。



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