第2話
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その日、休憩時間が来るたびに1年月組の横で立ち止まる人が増えていった。
最初は「気のせいかな?」と思っていた千鶴だが、昼休みのお楽しみ「卵と野菜のサンドイッチ」が胃袋に収まる頃になると、教室横の廊下はお祭り会場になっていた。
「やっぱりうわさが広まっちゃったのね」
結希さんが懸念したとおりになった。こんなに面白い話を、うら若き乙女たちが胸の内にしまっておけるはずがない、うわさにはおまけや付録やポイントが10倍ついて学園中に広がるんじゃないかと。
「みんな千鶴さんがどんな人か興味津々なのよ」
「どんな人って、こんな人よ?」
たいして美人でもないし、スタイルだって至って普通。勉強だって運動だって特筆すべきことは何もない。ついでに言うと胸もない。稀に褒められるのは視力だけ。大事な昼休みを費やして、わざわざ見にくる価値などないのに、と千鶴は思うが。
「ルージュが多いわね。千鶴さんファンがどっと増えたりして」
ニヤニヤとのたまう結希さんを、千鶴は恨みがましく睨んで返す。
「新聞部の人が喋ったってこと?」
「それは濡れ衣。だって昨日の見学会に来た人には新聞部に入らなかった人もいるし、直接の目撃者がひとりだけとも限らないでしょ? そもそも新聞部員たるもの、記事にする前の情報を漏らすなんてするもんですか」
さすがは自称・新聞部の超大型新人、立派な心構えである。
「でも、困ったなあ」
「気持ちはお察しするわ。アーメン」
あれから一日も経ってないのに、こんなにもうわさが広まったのには理由があった。うわさでは、千鶴はめでたく姫さまのノワールになっているのだ。七海さんのルージュもそう言っていたらしいし、結希さんが廊下のギャラリーから仕入れた情報も同じだった。
「そりゃあ「姫さまが告白した」って話を聞いたら誰だって返事はOKだと思うわよ。疑う余地なんてミジンコもないわ。私だって断るなんて思いもしなかったもの」
「でも、現実には断ったのよ。こんなに騒がれたら姫さまも困ってるんじゃないかな?」
「いっそのこと廊下に向かって真実を演説してみる?」
「出来る訳ないよ」
「そうよねえ。実はフリました、姫さまを。なんてねえ……」
事実を知っているのは当事者ふたりと結希さんだけ。
七海さんにも本当のことは言ってない。まあ、そもそも聞かれていないのだけど。クラスのみんなも遠巻きに静観している。きっと金色の姫君に遠慮もあるのだろう。
このままうわさを放置してもいいのだろうか?
千鶴が思案に暮れていると廊下が一層騒がしくなった。
「立花千鶴ちゃん、いるかな?」
引き戸が開くと、すらり背が高いゆりが顔を覗かせた。
「あ、はい?」
端整な顔立ちにくりっと大きな瞳、完璧なモデル立ちを決めているのは殿上人、和泉彩子さまだった。
「ランウェイの君じゃない!」
「ランウェイの君よ」
「ランウェイの君だわ」
クラスメイトたちの囁きを聞きながら、千鶴は慌てて廊下へと出て行った。
「ご用でしょうか?」
「突然ごめんね。ご飯は終わった?」
「はい」
千鶴が小さく肯くと、彩子さまは声を大きくした。
「姫ちゃんが謝ってたわ、挨拶しただけなのに変なうわさが流れてごめんなさいって。しっかし、クルールになってもないのにギャラリーがいっぱいだことっ!」
明らかに千鶴に向けた物言いではなかった。
ふたりを注視していた廊下のギャラリーたちが一斉にざわめいた。ギャラリーたちだけではない、一年月組のゆりたちからもざわざわと声が上がった。
「一緒に来てくれる?」
今度は千鶴に向けて囁いた彩子さまは、右目でウィンクした。
「あ、はい勿論」
令女の上下関係は厳しい。もうほとんど絶対だ。先輩には敬意を込めて「さま付け」だし、指示には素直に従うのが鉄則。ましてや相手は殿上人の彩子さま。来てと言われて断れるはずがない。ただ、そんなルールがなかったとしても千鶴の返事は同じだった。尻尾があったらぶんぶんと振っているに違いない。
ギャラリーたちの視線を感じながら千鶴は彩子さまに付いていく。完璧なスタイルの彩子さまは、歩き方も無敵だった。颯爽と言う言葉がぴったりで、まさにファッションショーのトップモデル。並んで歩くと惨めだな、と思いながら彩子さまの少し後ろを歩く。なぜか緊張してしまう。1階に降りると本館を出て、フラワーホールへ続く廊下に進んだ。
「千鶴ちゃん、姫ちゃんを振ったんだって?」
「えっ?」
千鶴は歩きながら彩子さまを見上げた、だけどその端正なお顔は前を見たままだった。
「さっきはああ言ったけど、本当は姫ちゃんに「私が振られたことを広めて貰えませんか?」って頼まれたんだ。うわさがひとり歩きしちゃったからね」
千鶴の頭にいくつもの何故が浮かぶ。疑問だらけだ。でも、何からどう尋ねたらいいのか分からない。きっと何をどう聞いても彩子さまは怒らないだろう。そんな気がする。でも、彼女は姫さまと、そして千鶴のために骨を折ってくれているんだと思うと、言葉選びは慎重になる。
すれ違う人たちはみな口々に「ごきげんよう、ランウェイの君」と挨拶をする。二つ名は恥ずかしくないのだろうかと心配になる千鶴だが、彩子さまの微笑みは揺るぎない。優雅にごきげんようを返しながら進む。結希さんによると3年生の一番人気はランウェイの君らしい。なるほど、こんなに格好よくて優しければ当然だ。
やがてふたりはフラワーホールに辿り着いた。