第10話
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流れるような筆で「部活動説明会会場」と書かれた立て看板。
体育館に入ると椅子が整然と並んでいて、流麗なピアノの調べが聞こえてくる。
旋律は賛美歌「いつくしみ深き」。
令女に来てまだ5日、公立中学出身の千鶴ですら聞いたことがある有名な曲。
見ると、小さく口ずさむゆりもいる。
さすがはカトリックのお嬢様一貫校、賛美歌が鼻歌になるのだ。
席はクラスで分けられていて、その中では自由に座れる。
千鶴は絵里花さんと並んで最前列に腰を下ろした。
「真面目なんだ」
「あらそう? ここなら前に障害物もないし、一番近い特等席よ」
「そうですね。ありがとうございます」
お礼を言いながら、千鶴なら絶対に最前列は選ばないだろうと思う。
「きっと面白いわよ。だから居眠りの心配もないし」
くすりと笑う絵里花さんに釣られて千鶴も笑った。
(見た目だけじゃなくて中身も魅力的な人だなあ――)
自分を俗物認定している千鶴は、彼女との違いにため息を漏らす。
「お気づきになって? このピアノ」
「賛美歌の、えっと、なんとか、ですよね」
「賛美歌312番、いつくしみ深き」
「すごい、番号まで覚えてるんだ」
「試験には出ませんけどね」
「いい曲ですね」
「ええ。でも気になるのはそこじゃなくって、弾いてる人ですわ」
「弾いてる人?」
ピアノはステージの方から聞こえてくるが、幕が下りていて奏者は見えない。
ただ、素人の千鶴にも上手い演奏だと言うことだけは分かる。
音の粒が際だってキラキラ輝く宝石のようだ。
「これ、弾いてるの、万里子ちゃんですわ」
「万里子ちゃんって、姫さま?」
「ええ」
「どうして分かるんですか?」
「こんなピアノを弾けるのは令女にもそうそう居ませんもの」
「すごくお上手なんですね」
千鶴は、ふと昼休みの出来事を思い出した。
―― ご自分でお決めになったら? 私だって忙しいの ――
「ひとつ聞いても良いですか?」
「ええ、私に分かることなら何でも」
「絵里花さんは、去年のクララ会役員だったんですよね」
「恥ずかしながら」
「クララ会役員って忙しいの?」
「時によるわね」
「たとえば、今日だったら?」
「今日はとっても忙しいはずよ。このイベントはクララ会主催だもの。予め出来ることは全部やってしまっても、会場の設営とか機材持ち込みとかは当日しなきゃいけないし、トラブルも結構発生するの。出席者が休んだり準備物が揃わなかったり。急に演出変えたいって言い出すゆりもいたわね。だから役員は満足にお昼も食べれないわ。私も去年はジャムパン咥えて走ったもの」
「絵里花さんが?」
「はしたないでしょ? 下手したらシスターに捕まってお説教ものよ」
苦笑する絵里花さんを見ながら、もしかしたら、と千鶴は思った。
昼休みに見た光景、私は偏った見方をしていたのかも――
「それにしても万里子ちゃん、張り切ってるわね」
「張り切ってる?」
「ええ。見たでしょ、入り口の看板、あれも万里子ちゃんの字だわ――」
壁時計は開始3分前を指している。
もう、座席はほとんど埋まっていた。
気がつくと、さっきまで流れていた賛美歌は終わり、聞き慣れたヒットナンバーが演奏されていた。
「あら、万里子ちゃんって、ポップスも弾くのね」
「ホントだ。クリスマス定番のJポップですね。この曲、私大好き」
昔、千鶴の祖母のお店では音楽を流していて、12月になると頻繁にこの曲が流れていた。切ないクリスマスイブを歌った、きっと誰でも知っている曲。千鶴も大のお気に入りで、今でもアカペラでフルコーラス歌える自信がある。
「今頃クリスマスって」
「でも、クリスチャンのイベントと言う意味では正解かも」
「そうね」
それからふたりは口を閉じ、その流麗な調べに耳を傾けた。