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桑の花の咲く頃に  作者: 島田遼太
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一章 エピローグ


 目を覚ませば、見知らぬ天井に見知らぬピンクのカーテンで仕切られたベッドの上に横たわっていた。僕は、死んだのだろうか。目線を水平に保って辺りを見回すとカーテンの端には生活習慣のポスターが貼ってある。ああなんだ、地獄にも健康というものは存在しているらしい。そんな他愛のないことに感心して、感覚が両の手にあることを確かめてから体にかけてある薄手の毛布をのけると、不細工な猫が中央に描かれた無地のTシャツが覗かせている。

 成程、どうやら地獄っていうのは服のセンスもサイアクらしい。しばしそのけったいな服をのばしたり縮めたり、物色してからスリッパをはいてカーテンを開けると蛍光色の光が目を焼いた。

「そのシャツ、可愛いでしょ~。」

 眼が光に慣れると白衣に身を包んだ女性がカタカタとキーボードを鳴らしながら、半目でこちらを向いた。

「貴方の服、とても着れたもんじゃなかったから、勝手に着替えさせてもらったわ。」

 彼女は、誰だろうか。しばしぼうと眺めていると、脳みそはやっとのことで彼女の言葉をかみ砕き始めてその内容を理解した途端に身もだえた。

 着替えた?という事は、胸の傷を見られたという事だ。もしかすると足も?スリッパを脱ぎ、上から足を見下ろすとあるはずの包帯はどこにもなかった。

「にしてもすごいわね~」

 パソコンの光を消して、白衣は完全にベッドの方を向いた。

 冷汗が垂れる。もしもばれたら、色々と面倒でまず色々と問いただされるに決まっている。そうしたら、お父様にも…気づかれてしまう。

 其れだけはなんとしても避けなければいけない。忍ばせていた顔が、今は絶対に必要になって、なんとか笑顔を作って見せる。

「ハハハ、何よその顔!さっきのお芝居の練習かしら?」

 朗らかな笑みを作ったつもりが彼女をそうさせてしまったようだった。

「そうそう、お芝居!すごいわねぇ、最近は練習でも血糊を使うのかしら?匂いまで本物に近かったし、気合入ってるわね~。」

「え、」

笑顔を中断して、彼女の言葉を反芻させる。けれど、全く出ては来ない答えについ戸惑ったままを語気に含ませてしまった。

「怪我、は」

「あー、そうそう。びっくりしたわよ。最初あなたが背負われていた時、凄い流血!ってあたふたしたのだけれど、どこを探してもケガらしい怪我なんてどこにもみあたらなかったの。それで驚いて彼に訊いたら、芝居の練習をしてたんだって。」

「あ、ああ、そうです。多分熱中症かなにかを患ったんだと。」

 冷汗とはまた違う、自分から出たものの癖に不快感が重力に沿って這っていくようなそんな汗が全身から噴き出ている。

「見た感じ多分そうね~、急に倒れちゃうくらい。それでも見た感じ軽度だと思うわ。夏の暮れって言っても日差しはまだまだ強いから、朝から精が出るのはわかるけど気をつけなきゃだめよ。」

「はい、気を付けます。」

 ぷんすかとでも聞こえてきそうなくらいに頬を膨らませて、先生はこちらに歩みよってくる。

「絶対に、約束だからね~。もう、ここに来ることがないように!青春は今しかないから、あなたのきもちもわかるけれど!」

「…はい。」

 特に怖いわけでも、とりわけ威圧的なわけでもない。寧ろ、先生の物腰は柔らかでそれでいて大らかだった。其れなのに自然と、素直に先生の言葉に頷いてしまうのはきっと彼女が先生という職業上だからだろうか。

 そう、頷いてしまうことに自然と腹も立った。なんだか全てを見透かしたようにそうやってみられることは嫌いだ。大人は、父さまですら皆そう。皆、自分より下の年の人間がさも自分の後を辿っているように思っているその視線は、片手で数えられるほどの嫌なものの一つだった。

 嘘をついている事をすっかり忘れて良心と憎悪との呵責にとらわれていると、先生はゆったりと元居た椅子に戻っていって鈍く光るパソコンの電源をつけた。

「親御さんには、伝えておいた方がいいかしら」

「止めてください、」

 先生の言葉で、悪寒の伴った汗が思い出したよう途端に噴き出てくる。そんな汗につられて出る焦燥の籠った制止は、先生を困り顔にさせるのには十二分でまた此方を向いた顔には焦りの顔が見える。

「そ、そうね。元気そうだし、今回はやめておこうかしら。」

「すみません。」

「あ、あと血糊だらけになった制服だけど処分しておいていい?あれだけ染められてたらもう、頑張っても、色落ちないだろうから。」

「すみません。」

「いいのよ。」

 暫し僕の着ている服を吟味した後で、

「その服も十分素敵なんだけど、流石にそれで授業には出られないわね~。」 

「…そうですね。」

 もう一度下目になりその不細工な猫を執拗に眺めていると先生は突然立ち上がって奥のほうに歩いていった。

「よし!今日は学校の制服貸してあげるから、これで済ませなさい」

 差し出された其れは、五月蠅い蝉の啼く夏と照り付ける太陽には不釣り合いの冬服だった。

「ごめんね、今夏服は切らしててこれしかないの。上から着るとちょっと暑いけど、教室はクーラーついてるだろうからちょっとだけ我慢してね。もし我慢できないんだったら、また熱中症になる前に絶対に脱いでいいから!」

「はい、すみません。」

 そうして丁寧に畳まれた冬服を崩しカーテン越しに着替えていると、いつか彼女が暑苦しそうに冬服を着ていたのを思い出した。其れを思い出した後だと、夏服よりも冬服の方が僕には大層お似合いな気がして着終わった後の通気性の悪さから来る暑さにも苛立ちを感じることはなかった。

「そうそう、貴方を運んでくれたお友達君も熱中症らしくて、先に帰っていったわよ~。」

「え、」

 汗が額に滲む中で驚嘆の声が漏れてしまったのは、彼が何かにかこつけて家に帰ったことに対してではない。

「彼が、僕を?」

「うん、負ぶってここまで来たわよ。謂わなかったかしら?」

 彼がそうする姿はおよそ想像がつくものではなく、てっきり彼は僕が倒れたあとでその姿を嘲るようにその場を立ち去ったものだと思っていたので、先生から旨を訊いた時耳を疑った。

「そう、ですか。」

 そうは謂われても納得は出来ない。仮に誰かが蹲って倒れようとも、その上を平然と踏み抜いていくような人間が彼だとさっきの問答で大悟したものだから、いまだに先生から告げられた彼の行為は喉につっかえて離れなかった。彼が彼の言う通りの人間なら、そんなことは有り得ない。けれど直ぐにそんなことで頭の半分を埋めるにはどうでも良いことを覚えて、代わりにどこにも見当たらないと言われた怪我の具合が気になって堪らなくなった。

 失礼しますと遮ってから保健室を出てトイレに駆け込み、鏡の前に立って傷口の開いていた胸が見えるように服を脱いだ。

「…、ない。」

 先生の言っていた通り傷は、綺麗さっぱりどこにもなくなっている。代わりに覗かせた雪の色に突然もう一つの傷も気になって足の裏を見ても、やっぱり痛みどころか傷さえどこにもない。何度見ても結果は同じで、僕のケガの後すらどこにも残っていやしなかった。

 可笑しい。確かに先生の言っていたまま、服が血だらけになるくらいのケガがあったはずなのにどれだけ触っても違和感すら感じさせるに至らないその場所は、綺麗に血の管が見えるほどに生き生きとしている。

 体内に脈打つ血液を見ていると、その不自然さにいよいよ生きている心地が湧かなくなっていく。血の気が引いていく体を、試しに生きているのかどうかホックについた校章のピンを突き立てようとそう思ったところでチャイムが鳴った。

 普通のモノよりいくらか甲高い校内全体に響き渡っていく音は、一日の始まりを告げるものだった。


 放課後、何時もの夕陽が二人を照らしている。

「なんで冬服なのよ、」

 朝からこの時間まで、ずっと季節外れの服を着ていたあいつが何を思ってそうしてるのか、私にはわかったものじゃない。尤も私みたいな理由があれば別だけれど。其れでも気になって理由を聞くと、いつものように暫く黙った後、あいつは全く見当違いのことを言った。

「ごめん。君に借りた傘、壊してしまった。」

 何時かは謂わなくてはならない顛末を彼女に伝えると、さっきまで比較的穏やかだった彼女の顔は見る見るうちに形相を変えて怒りを露にしていった。

「ひっど!人から借りたもの壊すとか、普通なら絶対しないわよ。」

「ごめん。」

 暫し僕を睨むように見た後で、ハッと彼女は何かに気づいたようにまた顔を変えて捲し立てた。

「それって、また誰かにされたとかそういうわけじゃなくて?」

 確かに、壊したのは僕ではない。それでも、僕が学校に傘を置いていったという事実さえなければ彼女の傘が壊されることはなかったからこれは、僕の身から出た錆だろう。

「うん、自分で、」

「そう」

 てっきりまた、彼に悪さをしていた人間の仕業だと思っていたので彼の言葉を聞いた時、怒りよりも安堵が勝った表情がつい顔に出てしまった。

「ごめん、」

「まぁ、いいわよ。私もアンタの傘壊しちゃってるから。これでチャラっていうわけね。」

 悟られないよう表情を作って毅然とふるまって見せる。それは誰でもなく私が、こいつに其れを見せたくないという意地から来るものだった。

 彼女は、そう言って靴に履き替えると玄関の方に歩いていく。その背中が、陽に照らされたときには、僕はだめになってしまっていた。

「ごめん。」

「は?何がごめんなのよ。そういう時は有難うって、そういうもんじゃないの。」

 私は、こいつのこういうところには酷く腹が立ってしまう性分らしく少し強く言うとすぐに彼は、何か思いつめたように俯いて

「…、ありがとう。」

 全く納得していないように其れだけを残した。それが無性に腹が立って、私も皮肉ったらしくなってしまう。

「別に、いいのよ。其れよりも、今日は誰にもなんにもされてないの?」

「…、うん。」

 そうなんだ。

「本当に?」

「うん、本当に。多分これからももう、何にも起きないと思う。」

 きっと彼のことだ。また趣向を凝らして、僕の思いもよらない理由の思いもよらない行動をするんだろう。それでも、その一言一句を彼女に知られることよりも彼のいう”悪戯”の方がよっぽどマシに思える。

 これから、という事はもしかして彼は自分でこの問題を解決したという事だろうか。そう思うと、なんだか私までこいつの成長とも呼べるものを誇らしく思えてきてしまう。

「そ。」

 悟られないようそっけなく、其れだけを残して彼を通り過ぎる。

 帰りがけに其れだけ、彼女は聞くと早足で僕の前を過ぎていった。少しだけ嬉し気に歩いていく彼女の足を見ると、死んでしまうくらいに胸が痛くなっていく。

「…ない。」

 独り言のように、一度だけ口ずさんだ彼女の言葉は今度は聞き逃すことはなかった。

「…何も良くないよ。」

 彼女の背に、少年は一言聞こえないぐらいの言葉をかけた。

 そう、何も、まだ何も終わっちゃいない。

 傷だらけだった足も、胸も、痛みはない。それどころか、もう、痛むことすら許してくれないよう綺麗に傷は閉じている。痛みに代わってただ、あるはずのない幻痛が胸を襲うばかりだった。

 何も終わってなどいない。これから彼女に胸を貫かれるあの時まで、決して僕が真に本当の痛みを感じることはなかったのだから。

「おい、私の傘買ってくれるんじゃないの?」

 今日だ。こいつが壊したという傘の替えを買ってくれるなら今日がいい。そうでなくて、もしそれが明日明後日ならばきっと、私は死んでしまうだろうから。

「…うん。」

 少し向こうの方、彼女は振り返って悪戯好きのするような笑みを浮かべて僕に急かした。下駄箱の彼女に白くしてもらった靴を急いて履き、彼女の元へと歩く。

 ああ、せめてこの日に照らされた真っ黒の影がこれ以上黒くならないように、彼女に贖える何かを見つけるまでせめてこれ以上罪を重ねることのないようにと、先に歩いていく彼女の背を見てそう、信に願うのだった。

「ねぇ」

 彼女が振り向く。その夕焼けに照らされた雲の入った瞳を僕に向けて煌めかせながら。この時に、彼女から移る空を見ながらに僕はこんなことを思ってしまった。例えば、彼女がこんなにも強かではなくて、例えば心の脆い人間で、それこそクラスでの彼女の扱いに心を痛めて身動き取れなくなってしまうほどだったらどれほど良かったろうにと。そうして僕に、彼女が一言助けてと、そう言ってくれるだけで、僕はこの世界のどんな人間でも殺してやれるのに。其れだけの気概を彼女に持っているという事を、彼女に示すことが出来るのに、とそう、切に願ってしまった。

「前よかマシだけどその表情、気持ち悪いわよ!」

 私はきっと、少し笑ってしまっていたと思う。だって一条のその顔は、映画とかで俳優が悪い事をする前に良くやるようなので、全然笑っているように見えなかったからだ。もしかして、もしかすると、此奴の芯から笑うような顔も、何時かは見れるのかもしれないと、気づけば何処かで期待してしまっている自分にも少し馬鹿らしさがこみ上げてきたのもあった。

 気持ちが悪い。

 あれだけ否定したかったものは彼女のその、屈託のないような笑顔を見れば、今は本当に、全くもって、その通りだと、そう、思えた。



読了いただき、有難うございます。

一段落つきましたので、この作品について少々。

この作品を思いついたきっかけは、僕がバッドエンドというものを前提にしたら物語がどのようになるのかと想像したとき、ふとこの物語の終わりの部分が頭によぎったのことでした。一色と、二色の終わり。所謂カーテンコールという奴ですね。そのイメージというやつが頭の中に降って湧いた時、これを僕だけのものにしたくない、彼らを是非とも世界に放り投げてみたいと思ったのがここまで僕を駆り立たせた理由でした。

執筆は本当に難しいです。まだ小説というものを書き始めて半年。毎日が自分の発想力と、生み出したキャラクター達との戦いで、自分の能無し具合には錦のように死にたくなってしまうこともしばしばです。それに、僕の描きたいものを書いていたら、ジャンルも何も僕すら検討のつかない異色の小説が出来上がってしまいました。

取り敢えずはこの作品を、十人十色モラトリアムのあと残り六人の物語を書くまで僕は死にません。自分に約束をしたので。書き終わった其のあとのことは自分にもよくわかりませんが(笑)。それに、もう完成している、二人の物語はまだ添削段階です。もう少々お待ちください。

 一章を書いて感じたのは、自分の無力さとそれからこの作品を誰でもいいから誰か一人だけには分かってほしいという僕の中の欲求がドンドンと膨らんでいくという事でした。作品は、僕の世界です。つまり僕です。もしも、少しでも僕を分かってもらえるのならこれ以上に嬉しいことはありません。生きていて良かったと、きっと心の底からあなたに感謝できるでしょう。

だから、有難うございます。一章を最後まで読んでくださった貴方は、僕の命の恩人です。

あともう少し、桑の花が咲くまで、もう少しだけお付き合いください。

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