甲州勝沼、侠客侍敵討ち
甲州街道の宿場の一つである勝沼宿は本陣一つ、脇本陣二つであったが旅籠は二十三軒と賑わった宿場町である。
甲州ぶどう発祥の地として知られ、松尾芭蕉も『勝沼や馬子もぶどうを食いながら』と俳句を残していた。
幕府直轄である御領の甲斐国は養蚕が盛んで、江戸後期には経済的な豊かさと享楽的な気風が入り混じった中で、甲州博徒と呼ばれる侠客を多数輩出している。
ある日のこと、そんな勝沼宿に一人の侠客がやってきた。
不動の仁助を名乗るその男は、とある賭場に足繁く通い始める。
だがその賭け方は、普通の博打打ちとは明らかに異なっていた。
一刻半ほど勝負をして、負けの数が多い日は必ず
「今日はどうも調子が悪い、また出直すぜ」
そう言いながら、あっさりとねぐらへ帰る。
そして反対に勝っている日は賭場を仕切る香具師の子分を呼び出し、小粒金を手渡すと
「運を全部、一人で持っていったら罰が当たる。 この運を酒と一緒に、ここに居る皆にも分けてやってはくれねえか?」
何故かその場に居る客全員に、酒を振舞って帰るのだ。
良い客の一人かもしれないが、どうにも薄気味悪い。
そこで香具師である柏尾の紋造は、ある日若い衆に仁助の後を追わせたのである。
仁助は大善寺の本堂から、程近い場所にある空き家をねぐらにしていた。
薄明かりのみを頼りに追っていたが、途中で仁助を見失ってしまう。
「おい」
「ひぃっ!」
撒かれた事に気付いた若い衆の背後から、仁助が声を掛けた。
その手には、短刀が握られている。
「俺を相手に、どんな悪ふざけを思いついたんです。 紋造の親分さんは?」
「く、詳しくは知らねえが、親分はてめえが役人の狗じゃないかと疑っているみたいだ」
「狗? この俺が!? ははは、面白い冗談だぜ! 親分に俺の代わりに伝えてくれ。 俺はこの地に逃げてきたっていう、仇を討つ為だ。 それで親分さんとこの賭場で、その男が現れるのを見張っていたという訳よ」
話の内容的には大体の筋は通っている、だが簡単に鵜呑みにする訳にもいかない。
若い衆は悟らせないようにしながら、懐の短刀に手を伸ばす。
「おおっと! それ以上は、怪我することになるぜ? それに俺は一応武士でな、刃物の扱いにも多少なりとも慣れている」
そう言いながら仁助は短刀をしまうと、若い衆をねぐらへ誘った。
「何も無いが、まあ入ってくれ」
仁助に言われるまま中に入る、ねぐらの中は殺風景で金目の物も無さそうだ。
「そういえば、まだお前さんの名を聞いてなかったな。 教えてくれ」
「と、木賊の三平だ」
「木賊の三平か、良い名だ。 覚えておこう」
大善寺の住職から分けてもらったという、ぶどうを肴に酒を飲んでいると仁助は三平に己の仇について語り始めた。
「俺の本当の名は、佐々木 仁左衛門。 大和国郡山藩藩士 佐々木 伊兵衛の長男だ」
大和郡山藩は側用人から大老格にまでのぼりつめ、甲府十五万石を拝領した柳沢 吉保を祖とする柳沢家が治めている。
現在の藩主の名は三平には分からないが、甲斐国と多少縁があると言えなくもない。
「何故、大和郡山藩のお侍様が侠客なんかの真似を?」
「それは父の仇である、須藤 甚五郎を見つけ出し討つ為だ。 奴は勘定方の職に就いていながら、公金を横領し賭場で使い込んでいた。 それに気付いた同僚だった父上を斬殺した上、国を出奔して逃げているという訳だ」
仁左衛門はそう言うと、懐から敵討ちの許し状を取り出して三平に見せる。
それが本物かどうかなど三平には分からないが、この男の言っている事に嘘偽りは無いと何故か思えた。
「ところで、その須藤 甚五郎という男がこの勝沼宿に居るというのは本当なのか?」
「ああ、間違いない。 甚五郎の母方の家系はここ甲斐国の出で、柏尾の紋造はその遠縁にあたる。 身を潜めるにせよ路銀を得るにせよ、これほど都合の良い場所はない」
通りで毎日の様に、賭場に顔を出す筈である。
ここで見張っていれば、その内に金に困った甚五郎が顔を出すに違いない。
「親分に話すかどうかの判断は任せる。 お前はまだ若い、無駄に命を散らすなよ」
夜道を歩きながら三平は、この事実を親分の紋造に話すべきかどうかで迷う。
(親分に話せば、仁左衛門の命を狙うかもしれない。 だが親分の命令に逆らえば、今度は自分が命を狙われる。 すまないが許してくれ)
紋造の屋敷へ向かう三平の横を通り過ぎる夜風は、いつもより寒く感じた。
「ただいま戻りました」
「おう、遅かったじゃねえか。 怖くなって、逃げ出したのかと思ったぜ」
紋造が軽口を叩きながら出迎える、見ると兄貴分達の姿は無い。
「親分、兄貴達は?」
「ああ時間も時間だしな、先に帰した」
(嘘だ)
三平の直感がそう告げた。
「ところで三平、仁助の野郎になにか怪しい所はあったか?」
『親分に話すかどうかの判断は任せる。 お前はまだ若い、無駄に命を散らすなよ』
仁左衛門の言葉がよみがえる、紋造はおそらく三平の後を誰かに付けさせたのだろう。
そして仁左衛門を油断させて、全てを盗み聞きした。
ここで下手に嘘をつけば、この場で消されてしまう。
三平は紋造に対する怒りを悟らせないようにしながら、起きた出来事をありのまま紋造に話した。
「……だそうです。 あの男の言う事が本当であれば、奴に迂闊に手を出すと郡山藩の者が来る事になるやもしれません。 侠客同士の争いに巻き込まれた風に見せかけて、奴を一思いに殺っちまいますか?」
(ほう、こいつは話を盗み聞きされた事にも全く気付いてないようだ。 ならば口封じをするついでに、もう一働きしてもらうか)
「そうだな、次に奴が来た時にでも消えてもらうとするか。 すまんがもう一度だけ、奴のねぐらに行っちゃくれねえか?」
「親分のご命令とあらば」
恭しく頭を下げて出て行く三平を見ながら、紋造はほくそ笑んだ。
仁助が賭場を訪れたのは、それから二日後の事だった。
この日仁助は、何故か普段よりも早く勝負を切り上げ帰ろうとする。
「仁助さん、今日はえらく早い店じまいじゃないですか? もう一勝負しましょうよ」
紋造が声を掛けると、仁助は空いた酒瓶を見せながら
「悪い、ねぐらに置いておいた酒が無くなっていてな。 今日は帰りに酒屋に寄るのよ」
「酒なら、うちの三平にでも届けさせますよ。 だから、もう一勝負どうです?」
「たあ、そこまで親分に言われたら断れねぇや。 それじゃ三平、釣りはいらねえから後でねぐらまで持ってきてくれや」
「お、お預かりします」
そう言いながら小粒を受け取る、三平の手は震えていた。
「紋造親分、あんたずるいねぇ。 ここまで負けさせられたのは、生まれて初めてだ」
「ははは、勝負は時の運と言います。 次はあなたの番かもしれませんよ」
「言うねぇ。 その言葉、絶対に忘れるなよ」
仁助が賭場を後にすると、紋造は早速三平に声を掛ける。
「良いか、酒を届けたらお前も一緒に飲ませてもらうんだ。 そして奴が酔い潰れたら、これを使って一思いに殺れ」
そう言いながら、短刀を手渡す。
「上手く役目を果たせたら、お前も少しは上にしてやらんとまずいよな」
「本当ですか!? 必ず成功させてみせます!」
三平を見送った紋造とその子分達は、姿が見えなくなると一斉に笑い始めた。
「大馬鹿だぜあいつ! 騙されているとも知らずに、ご機嫌で出ていきやがった!」
「騙されている事に気付いた時の、奴の顔が見物だぜ」
紋造は子分に、本当の命令を下す。
「三平に気付かれないように後を付けて、ねぐらに油を撒き一緒に焼き殺せ! 宿役人は多少の金を握らせれば、火の不始末による焼死で口裏を合わせてくれる。 だから派手に燃やしちまえ!」
子分達はそれぞれ油が詰まった壺を手に持つと、一斉に出ていった……。
「三平です、頼まれてた酒をお持ちしやした」
「おう、悪かったな。 折角だし、お前も酒に付き合え!」
「へい、ごちになります」
仁助のねぐらに着いた三平は、紋造の指示通りに中へ入った。
それを遠くから見ていた子分が、一人また一人と空き家に近づき油を撒く。
そして全員撒き終えると、子分達は火打ち石を取り出し空き家に火をつけた!
パチパチと音を立てながら、火に包まれていく家。
油を撒いてある所為で火の勢いも強く、中の様子を窺うことは出来ない。
家が焼け落ちるところを見ながら、子分の一人が呟く。
「三平、迷わず成仏してくれよ」
「まだ死んでもいないのに成仏しろって、酷いなお前達は」
(!?)
声に驚き振り返ると、そこには仁助こと仁左衛門と三平が立っていた。
「何故、お前らがここに居る! どうして、火をつけた空き家から逃げ出せた!?」
「お前……今、自分から火をつけたと言ったな?」
しまったと男は口に手を当てたが、すぐに開き直ると懐から短刀を取り出す。
「それがどうかしたのか? どうせお前らはここで死ぬ、死人に口なしって奴よ」
「っだそうですが、このまま見逃しますか? お役人様」
「なんだと!?」
手下達を囲むように、一斉に御用と書かれた提灯があがる。
空き家に火をつける一部始終まで見られている彼らに、言い逃れ出来る筈も無かった。
次々と捕縛され連行される子分達、それを見送った仁左衛門と三平は握手する。
「お前が教えてくれたお陰で、奴らを一網打尽に出来た。 礼を言う」
「報告しに行った時に、親分の嘘に気付けたから。 案の定、俺も口封じしてきた」
しっかりとした口調で答える三平、仁左衛門は心強い仲間を得た幸運に感謝した。
この二日間に起きた出来事を、説明しておく必要がある。
あの日、三平は家に帰るふりをして、また仁左衛門の許を訪れていた。
そして次に賭場に来た際に、自分も一緒に消されるだろうと話す。
その話を聞いた仁左衛門は三平に協力を依頼、床下から少し離れた畑まで秘かに抜け穴を掘っていたのだ。
最初の晩こそ三平も手伝ったが、その後は仁左衛門一人で掘るしかない。
出入りする所を見られれば、抜け穴に気付かれる恐れも有る為だ。
なので最初に二人の間で、ある約束事を決めておいたのである。
抜け穴が完成したら、仁左衛門は賭場に顔を出す。
次に酒が無い事を理由に早めに帰るふりをして、三平を使いにさせる。
そして三平は酒を買いに行きながら、酒屋の主人を通じて番所に知らせるといった手順であった。
二人の計画は見事に成功し、紋造の子分達は生きた証拠となった訳である。
だがこれで終わりではない、まだ肝心の目的が済んでいない。
子分達が全員捕まった事を知った紋造は、恐らく甚五郎と一緒に逃亡を図る筈。
そこを二人で待ち伏せするのだ。
「三平、すまぬがもう一度だけ協力してくれ。 お前の力が必要だ」
「俺は親分を売った、もう侠客として生きてはいけない。 こんな俺でも人の役に立てるなら、喜んで協力させてもらう」
そう言葉を交わした二人は、紋造と甚五郎が必ず通るであろう道へ足早に向かう。
一方その頃番所では、連行された子分達が厳しい取調べを受けていた。
「吐け! お前らに殺しを命令したのは、紋造だろう!?」
「ち、違う。 親分は関係ない……」
あくまでも紋造をかばおうとする子分を、同心は哀れんだ。
「良いかよく聞け、お前達は火付けを働いた。 火付けの罪は重い、全員火炙りの刑だ」
「ひ、火炙り!?」
子分は思わず目を見開いた、その瞬間を同心は見逃さない。
「何故手下は死んで、命令した奴だけお天道様の下で生き続けるんだ? これじゃお前らは、無駄死にじゃねえか」
徐々に子分の中で、親分である紋造に対する憎しみが湧いてくる。
同心は、再び同じ質問をした。
「お前は十分に紋造に義理を果たした、今度は正直に話してくれ。 お前らに火付け殺しを命令したのは、紋造だな?」
「ああ、そうだ。 親分は宿役人に金を握らせて、火の不始末で片を付けるつもりだ」
「よく話してくれた! 仲間にも奉行の前では、包み隠さず話すように伝えろ。 罪一等減じられて、遠島で許されるかもしれないぞ」
同心は、手勢を引き連れて紋造の屋敷へ向かう。
しかし彼らが着いた時には、屋敷内は既にもぬけのからだった……。
(くそっ! こんな事になるのなら、金だけ貰って早く逃げればよかった)
屋敷から逃げ出した須藤 甚五郎と柏尾の紋造は、街道を外れ山道を上っている。
二人は天目山を抜け、大菩薩の峠から逃げようとしていた。
だが暗い夜道を夜通し歩いていたので、紋造はすっかり疲れ果てている。
「じ、甚五郎。 少しだけ休ませてくれ」
「またかよ、早くしないと追っ手が来ちまうぞ!」
すぐ近くを流れる川の水を飲んでいる紋造を見ながら、甚五郎は考えた。
(こんな足手まといが居ては、いつまでも逃げ切れない。 ここで始末しておくか)
気付かれないように背後に回った甚五郎は、躊躇無く紋造を斬る。
「がはっ!?」
袈裟斬りにされた、紋造の身体から出た血で川が赤く染まった。
この川は三日血川とも呼ばれ、かつておびただしい量の血が流れた逸話もある。
紋造の死体から財布だけ抜き取ると、甚五郎は先を急いだ。
田野の地を過ぎると、道が急に細くなる。
崖淵を通る道の幅は、馬一頭通るのもやっとだ。
「待っていたぞ、須藤 甚五郎。 父、佐々木 伊兵衛の仇。 いざ、尋常に勝負!」
逃げ場の無いこの場所で、白袴に着替えた仁左衛門が甚五郎を待ち構えていた。
「どうして、この道を通ると分かった!?」
「この道は岩殿城城主の小山田信茂の裏切りにあった、勝頼公も通った場所。 笹子の峠を越えられぬ貴様は、ここを通るしかないのは自明の理よ」
「こんなところで死んでたまるか、来るな、来るなぁ!」
刀を振り回しながら、狭い道を上りなおも逃げようとする甚五郎。
そして最も道幅の狭くなったところで彼は重心を奪われ、崖下に落ちそうになった。
「うわっ!」
とっさに藤蔓を掴んだ甚五郎は、九死に一生を得る。
だがその間に、すぐ目の前まで仁左衛門は迫っていた。
「せめてもの武士の情けだ、この場で腹を切れ甚五郎!」
「ふざけるな! 誰が死ぬものか、必ず逃げ延びてみせる」
「……わかった、もうこの男は武士では無い。 やってくれ、三平」
仁左衛門の視線の先で三平が、甚五郎が持っている藤蔓の根に短刀を当てている。
「待て、止めてくれ、こんな死に方だけはしたくない……」
「…………」
命乞いをする甚五郎の前で、三平は無言のまま根を短刀で切り落とした。
声にならない叫び声をあげながら、崖下に落ちていく甚五郎。
仁左衛門は目を伏せながら、そっと呟くのだった。
「お前が土屋惣蔵になどなれる筈が無かろう、相応しい末路だ甚五郎」
奇しくもこの場所は、天目山を目指していた勝頼公一行と先回りしていた織田勢が最後に争った地。
家臣の一人である土屋惣蔵が、押し寄せる敵を斬り伏せ崖下に蹴り落とした。
片手千人斬りの異名が与えられたのも頷けるこの奮戦により、死んだ織田勢の兵士の血で川は三日間もの間赤く染まり続ける。
三日血川の由来でもあるこの場所で、仁左衛門の敵討ちの旅も終わりを告げた……。
その後の話をしようと思う。
あれから紋造を追ってきた勝沼宿の同心達に、仁左衛門は事の経緯を説明する。
事情を知った同心の一人が甲斐の長である甲府勤番支配に報告に出向くと、大和郡山藩の江戸藩邸にすぐに使者が送られた。
火付けの罪で捕らえられた紋造の子分達だが、情状酌量を認められ一部を除き島送りで許されたが、過去に別件の罪が認められた者は死罪となり山崎刑場の露となって消えた。
後年この山崎刑場で清水次郎長とも争った最も有名な甲州博徒、黒駒の勝蔵もその生を終えている事も合わせて記そう。
一ヵ月後藩邸に呼ばれた仁左衛門は柳沢家の誇りと家老達から称えられ、旧倍の家禄をもって藩士として復帰する事となった。
その際に敵討ちの手伝いをした木賊の三平も、木賊 仁三郎の名を与えられ仁左衛門の家来となり大和郡山の地へ共に旅立つ。
だが年も離れており主と家来の関係にも関わらず、二人は対等の友人のようであったと仁左衛門の同僚が知人に語っている。
仁左衛門と仁三郎の主従を越えた関係は、子供達にも引き継がれていった。
やがて明治大正と時代が移っても、両家の関係は変わる事は無かったそうである。
(完)