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地獄現世支部  作者: 翠雪
本編
83/88

手綱に絡む白魚

「地下と、似てる?」

 爪先が沈む坂道から、平坦な場所へと移ったところで炎の列が途切れた。空間を定義するために必要な壁は見当たらず、歩いてきた一本道すら瞬く間に覆い隠したうろの足場には、薄く水が張っているらしいことが音で分かる。武器庫の延長線上にあった地下で祭囃子を担っていた異形の姿はなく、次いで液体の有無をも除けば、この空間は、巡が出身を明かした際の舞台とよく似ていた。

「あれも地獄と近い場所だったんだろう」

「オリジナルはこっち、ってことスよね」

 あてどなく脚を動かしていると、革靴のソールが突然、砂利のような荒い粒を踏んだ。ざらつきの根元へ視線を落とせば、岩盤が割れて押し合った結果できたような荒い丘の始まりに差し掛かっていたらしく、その表面は、すぐ傍にある水辺の潤いも忘れて乾燥しきっている。足を踏み入れたばかりの陸地は、現在も成長を続けているらしく、時折ぐらつく身体のバランスを兄に支えられながら探り探りに進んでいく。目を細めれば、少し先で何かを囲うような形が造られつつある動きと、ドームの中央に横たわる人影が、凝らした視界に頼りなく浮かび上がってくる。身じろぎ一つしない小さな肩は、間違いなく彼のものだった。

「巡」

 あのままでは、いずれ閉じ込められてしまう。

 少年のもとへと続く通路のうち、崖のような両端で幅が細く絞られた最短ルートを駆けようとしたのと、何事かを強く叫んだ乾に手を振り払われたのと、辛うじて足元を照らしていた青の灯が消えたのは、ほとんど同時だった。

 間もなく、強く背中を押される。つんのめって転び、目を開け直した世界は真っ暗で、地面についた掌と、足裏の感触しか情報が得られない。不意打ちで擦った肌が熱をもってしみて、皮膚へ線を刻んだ。

「……く、っそ……」

「センセ!」

 微かに届いた呻きと息とを頼りに床を辿り、濡れた指を反射的に引いてしまった。ここに湿り気は、なかったはず。確信する前から不安を膨らまそうとする頭を振って、さまよわせた手がようやく触れた弾力を握ると、再び鬼火が姿を表した。

 血の気のない光が照らしたのは、彼の脇腹から流れ出した赤で染め上げられた地面と、痛みに眉をひそめて呼吸を浅くしようと努める彼が横たわった姿だった。少し前の道程、突き飛ばされた頃に自分が踵をつけていた地点には、二枚貝のような大口をもつ化け物が鋭い牙を食いしばっているオブジェが建造されていた。乾の左膝から下は、それと同じの鋭さをもつ黒の異形に噛みつかれており、見下ろしている肌へ浮かんだ大粒の冷や汗が玉となって、足場を浸食し続ける血液に混ざっていき――今、ちょうど骨が砕かれる音がした。濁った声が漏れてもまだ堪えようとする掌の、痛いほどの力に負けないように強く握れば、横隔膜の奥にもう一つの心臓が生まれたように蠢く衝動が襲ってくる。落ち着こうとした歯が軋み、脳が揺らぐ拍子に乗じて、身元不明の処理がシナプスを乱す。邪魔だと振り払っても、見知らぬ誰かの指が思考に割り入ってきて、沸騰する理性の枠を外そうとする。

 ああこれが、神との綱引きか。これまではこちらからの呼びかけもほとんど無視してきたイザナミが、伴侶の宿主が危機に陥ったから、今すぐに身体を貸せとでも言っているのか。

 虫のいいことを。

「ボクってば、失敗しちゃいました。こっちはいらないのに」

 変声期前の囀りに、必要最低限な分だけ首を傾ける。胡乱な眼差しで佇む、形だけは巡と同じな少年は、これまでに言葉を交わしてきた彼のどの表情とも違う、傲慢な嗤いを相貌へと貼り付けていた。

「カグツチだな、アンタ」

 これまでになく澄み渡り、青い炎が光量を強めた視界で睨めば、子どもの身体を乗っ取った神サマは甲高く笑った。

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