夜、蛇の道にて
「しっかり着いておいで」
急上昇する湿度と比例して増幅していく澱んだ空気が、得物の軌跡で鮮やかに切り取られる。熱帯地域で生い茂る樹木も顔負けの追従を手荒に躱しながら蛇行するオレたちを尻目に、東堂は彼らを害することもなく隙間をするすると抜けていく。道を開けるために手広く敵を排除してくれた瑠とは異なる進み方だが、無駄を省いて急がねばならない理由も推察できる。雨雲に阻まれて月の高さは測れないが、太陽は地平線の裏側に隠れた頃だろう。ひるんで数秒目を閉じたら見失う案内人の速さに、庇い合いながら走る体力の底がちらと見えて歯噛みする。出てこい、出てこい! と念じてみても、イザナミは少しも返事をよこさない。そりゃ困った時にばかり道具としていいようにされるのは嫌だろうが、元はといえば創世の神様なのだし、子孫にもちょっとは温情をくれたっていいではないか。気は急いているのに、ふくらはぎばかりが重くなっていく。
「ちっくしょう、センセの方が歳いってんのにさあ!」
「年齢いじりはいずれ自分に返ってくるぞ」
「オレとの差は縮まらないからいいんスよ、っと」
不定形を跳ねて避けると、脆くなっていたコンクリートが着地で割れた。砕けた地面によって足首をよろしくない角度へ曲げかけた折に肩を支えられ、怪我としては事なきを得たが、疲れたのなら抱えてやろうかと悪気ゼロで言われてしまったのがまた悔しく、走り通しの脚を叱咤して駆け抜けた。向かい風で靡いた青の長さは、未だ普段と変わらない。
ようやくひらけた場所に出た、と思えたのは、ある地点で監督役が小ぶりな結界を張ってくれていた恩恵だった。半径五メートル程度の透明な膜は、化け物たちは弾いても、人間は受け入れてくれるらしい。自分と一緒に円の中へと入った乾が、ほうと息をつく。
「ホームルームの非じゃないな……外は煩くてかなわん」
悪霊の呻きは聞こえなくとも、周囲から無遠慮に塗りたくられていた悪意が緩んだことは肌で感じる。まさか、ガラス張りの防音室を体験できる日が来ようとは、これまでちっとも思わなかった。
「怨念や噂話の集まりでもあるあの子たちは、お喋りがいっとう好きなのさ」
あの子、と柔らかい形容で穢れを呼んだ先輩が、なぜここへ守りを敷いたのかはすぐに分かった。口をぽっかり開けた洞穴が、首相官邸があったはずの敷地に生まれている。彼の道案内は、無事に成し遂げられた。しかし、眼前の大仰な洞窟が何を象って作られたのか、理解せざるを得ないがために、意図せず生唾が食道を下った。
「黄泉比良坂」
艶のある唇から紡がれた音を、空気のさざ波から拾う。
「黄泉国、夜見之国、根堅洲国、あるいは根国――好き勝手に名付けられる、始まりの『あの世』へ繋がる道」
生まれてすぐに命を落としたからこそ、これがカグツチの神域なのだろうと東堂は語りつつ、色のない結界へと手を当てる。掌から外側へ圧をかけているのか、気怠く歩く速度で範囲が拡がる。入り口だけを撫ぜるように内側へ取り込んだ時は身構えたが、想像していた襲撃は杞憂となった。五歩ほど間をとったまま奥を覗いてみても、筒状の縁から向こうから上がってくる影はなく、害そうとする気配も感じられない。深海を思わせる静かな夜が、限られた筒の端まで満ちていた。




