弾かれた答え
裂かれた毛細血管からぷつぷつと押し出される液体が時間に比例して増え、汗と混じりながらワイシャツを浸していく。プールに入った後の水着が皮膚を圧迫するよりも粘度のある、混合物である分だけ水よりも重く湿った感触は、編まれた繊維の果てを目指すように延々と広がっていく。相対した少年とどれだけの間見つめ合っているのか、肌が濡れた範囲から計算することは難しい。化け物から発される遠吠えを捉えない耳は、物音が沈んだ部屋で佇む二人の呼吸だけを拾う。晴れていた空は、雨が降り出しただろうか。
「うんざりします。自分の聡さに」
覆っていた細い指先が、輪から抜けて縁へと逸れる。そのまま、発砲すれば前後に動く銃身のスライド部分へ空いた手を乗せ、固体を下へ弾く勢いで背伸びをした。鉄の味がする紅が移り、かさついた唇の隙間を辿る――少年は、触れるだけの口付けを加害者へと押し当てた。数秒の交わりに互いの気持ちが重ならなかったことは、揺れない瞳孔が語っていた。
「貴女はボクに、何一つ下さらない」
力ない笑みと共に、掴ませていた凶器の側面を身体に当てられ、取り落とすまいと両手で掬う。首に巻きついていた大腸や、蛇のように脚に絡んだ侵食が、ゆっくりと引いていく。太い静脈をなぞった線が穢れの母体に戻ると、腹部の裂傷がよく見えた。
背を向けた巡は、堅く閉じられたままの窓辺へと歩み寄る。
「獄卒さん。これから、どうなさるおつもりですか」
名残惜しさを堪える声が、粒の大きな雪が降る夜のようにしんとした、静謐な午後に落とされた。ともすれば、もう外は夜になったのかもしれない。部屋に置かれた大型のからくり時計は、さぞ華やかだったであろう精巧な文字盤が粉々に割れており、定刻ごとに人形が顔を覗かせる仕掛け扉も、その蝶番に至るまで分解されていた。
「アンタを罰しろとは言われてない。が、使役してる奴らは収めてくれよ。これは、オレ達の問題だろ。無関係な犠牲を出すのは違う話だ」
淡い頷きで、部屋の黒が引いていく。打ち寄せたさざ波が引いていく様子にも似た去り際に、怨恨らは日頃どこを寝床にしているのだろうと考えそうになって、入れ物ならこの国だけでも億といるではないかと思い直す。初めにあのボロアパートで説明を受けたはずだ、人によって生み出されるのが穢れだと。思念の残滓が凝り固まって成るものが、その気になればこれほど厚く部屋の内外へ集まるのかと、今更ながら感心すら禁じ得ない。自分から生じた負の感情も、数パーセントほどは含まれているだろう。
順調に消えていた淀みが、ひたと止まる。気が変わったのかと案じて巡を見遣ると、未成熟ながらも行く末が察せられる端正な顔立ちが強張り、戸惑った表情へと再構築されていく。
「どうした?」
彼は、迷子のような顔をしていた。
「……戻せ、ない」
明らかな異常の些細をと近寄ろうとした瞬間、揺り戻した異形が部屋を満たして、少年の四肢から自由を奪う。厳重で不快な鎖は声の出口をも塞ぎ、助けを求められる手段を狭めていく。こちらを捕らえようと伸びてくる触腕を皮一枚で躱し、即席で誂えられた磔の舞台へあと一歩まで迫ったところで、死角から現れた衝撃で吹き飛ばされる。ノーガードだった背中で板を割るほど強く打ったせいで、廊下へ投げ出されてからも、呼吸が肺に留まっていて苦しい。ようやく浅く吐き出せるようになった頃には、格好つけて待たせていた教師の腕に、痺れが残る身体を支えられていた。




