鑑定と質疑
「ありゃ。機嫌損ねちまいました?」
「成り上がりの眼球では、私がよほど繊細に見えるらしいな」
「じょーだん」
ギッ、と効果音がつきそうなほど厳しい視線で瑠が見たのは、煽るように話す狐塚ではなく、心音のない抜け殻の方だった。美人の鋭利な怒り顔と冷たい空気にその他大勢の自分までたじろいでしまうが、初対面で待ったなしに詰め寄られた時も眉同士の距離は近かったので、今の彼女が実際に怒っているのかどうかの判別は新参者には難しい。真っ赤な口紅が、彼女の気の強さをより一層引きたてている。
「便りが定刻に来ないと思ったら。どうやら、事が転がったようだね」
瑠とは対照的に、普段通りの柔和な笑みを浮かべた紅が言う。粉雪が降りしきる冬の曇天のような声質は、穏やかではあるものの、優しいようには聞こえない。男女の差や表情の造りはさておいて、内面については、二人で通ずる点があるのやもしれぬと感じさせられる。
片目は窪みに収められたまま無事だった東堂の遺骸に近寄った紅は、閉じられていた彼の瞼を強引に開いた。たるんだ瞳孔を眼鏡越しにしばらく覗き込んでいると、彼の眼鏡を飾った簡素なグラスチェーンが、重力に負けて肩へと垂れる。そういえば、会議室で美女に見つめられた際にも、ああしてじっと観察されたのだった。彼らはいわゆる人外であるから、人間で言うところの近視、遠視、乱視のどれもが腑に落ちないが、あの眼鏡は何を目的とした補助用具なのだろう――確か、鏡、とも言っていたか。
ふむ、と勝手に納得したらしい男は、掌の腹で動かない瞳を覆い、診察する前の状態に戻した。
「間違いないよ。僕はこの子を治してから向かおう」
「そうか。さっさと去ね」
つれない指示を賜った男は、奥側の壁へ手をかざし、地下行きのエレベーターと似た仕組みで隠されていたらしいボタンを押下して、隣室への入り口を出現させる。東堂が横たわった台車をひく柊と、それに続く紅が明かりのない空間へと進み入ったかと思えば、間もなく扉は閉じられた。医者が同行したということは治療であろうが、上司というよりも、得体の知れない存在としての印象が強い英の片割れとなると、向こう側で行われる「治療」が多少心配にもなる。蘭が座ったまま背伸びをし、無音でぱかりと大口のあくびをした。
「あの、また眼鏡が活躍してたみたいっスけど……東堂サンは?」
そろそろと控えめに手を挙げると、こちらに気付いた瑠が片眉を上げる。彼女の神経に触れたかとも思ったが、結局のところ、瑠から叱責を飛ばされることはなかった。机へ腰を寄りかからせてから、左右のレンズの端を親指と中指で押し上げる大胆な仕草が、尊大な雰囲気と似合っていた。
「これは、閻魔庁が保管する浄玻璃鏡の写しだ。大元は亡者の生前の行いが全て映し出される代物で、写しであるこれも、対象の眼球と合わせ鏡を成せば、相手の記憶が読み取れる。先の行為はそれと思っていい」
尋ねた分はきっかり応じてくれるつもりらしく、簡単な説明を交えて返される。意外に丁寧だな、などと、回答者にとっては大変失礼な感想をうっかり抱いてしまったので、顔にだけは出ないように気を配った。
浄玻璃鏡のイメージは、名前を出されればぼんやりと頭へ思い浮かぶ。地獄を看板に冠した機関であるため、座学式の研修で目を通した資料にも、我が国における地獄の伝承や位置づけを説明するものは当然あった。閻魔大王の裁判に用いられる重要な道具として、十王図にも多く描かれてきた権威あるオリジナルの写しを、こんな形で目にすることになろうとは。
「東堂は調査のため、カグツチの近くへ遣っていた。あれから読み取った記憶からして、犯人は巡本人で間違いない。穢れを使役して東堂を襲わせ、体内へ取り込ませた上で、奇襲を行なったという顛末か」
先の短いやり取りで、そこまで通じ合っていたのか。仲が悪いような振る舞いをしているが、能力や仕事ぶりは買っているらしい。
「治すって言ってたけど、あの状態からって可能なんスか」
「泰山王、……いや、薬師如来としての紅が修復を行う。じきに目を覚ますだろう」
閻魔と等しい位置に座し、死後の裁判を司る王たちを、十王、または十三王と人は呼ぶ。泰山王は、死者が受ける最後の裁判で魂の転生先を決める立場にあり、現世での姿は薬師如来だと言い伝えられている。あの読めない男が民衆を癒す存在であることについては首を傾げそうにもなるものの、かえって人間らしさがないからこそ相応しい能力なのかもしれないと、現代の医学では手の施しようがなかっただろう東堂の状態を思い出した。
「問には答えた。次はこちらの話を聞いてもらおう」
肩に近くなった気配へ首を傾げると、狐塚に背を押されたらしい教師が、ややバランスを崩しながら隣に並んだ。新人まとめての尋問かと察し、一瞬瞳が交わった両名は姿勢を正して、大人しく王の方へと視線を戻したのだった。




