夢む一路の香辛料
二人が喰んでいた煙草は、すっかり熱を失っている。彼と寄せ合った身体を離し、狐塚が置いて行った書類を拾い上げれば、中学生と言われて違和感のない発育を遂げた写真の少年と視線が交わる。年齢の欄には「生後六年」と、素っ気ない書式でしたためられている。自分は大学四年生で、彼を胎から取り出したのは高校に上がった西暦のうちだったから、数え年であれば確かに七歳。地下で相対した巡が「七年前」と放った言葉は、古めかしい数え方によるものだった。
「どう見たって、十は超えてそうなんスけどね」
祭囃子が遠くに聞こえた夕暮れ、厳かに狂った宴。いずれのさなかにもいた稚児は、手元で横たわる紙面の写りと同じく、名門私立の制服が似つかわしいどころか、受け取りようによってはもっと大人びて見えたものだ。
「受診したのは、大病院だったよな」
振り返った先の彼は、手隙となった両の指を、開いた脚の間で緩く組んでいた。
「お前が眠っている間に見た夢を、俺も見たんだ。詳しい仕組みは分からないが……手を握った瞬間、視界が共有されてな」
左の親指の縁取りを、もう片方の親指でくるりと辿った彼の後ろめたそうな表情を見て、昔から言おうか言わまいか迷っていたことを、やっぱり口に出すと決めた。
「センセって、あと出しじゃんけんばっかっスよね。オレの隠し事を差し引いても、ちょっと数が多いんじゃねーかと」
眼差しを冷たくしてみると、皿を割った子どものようにばつを悪くし、目を伏せる。相手にだってやんごとなき事情があったのだろうと慮って指す針を大分減らしたつもりだったが、想定以上に深く刺さってしまったようだ。
「……すまん。弁明のしようもない」
現代が武士の世であれば切腹待ったなしといった雰囲気で面を伏せる男に、自分が把握している以上の罪状が見え隠れする。推し量るに、彼は、まだこちらに対して隠し事が多くあって、それらを近くに言うつもりもないのだ。
口を真横に引き結ぶ面持ちは先生というよりただの人間で、そんな当たり前のことを今更に自覚させられる。聖職として名高い教員も、皮を剥げば秘密を抱え、伝えることすら憚られる思考を隠している。正しさが服を着て歩くような風体の兄が、もしかすると、どこかではオレのために常理を外れたことをしたのではないかと思い上がってみると、彼を責める気持ちよりも先に仄暗く光る充足があったのも事実で、自分の性悪な一面を自覚させられる。三叉路に置かれた鏡の選択肢に、最も忌むべき記憶をループするものがあったのも、「可哀想な自分」だけに酔って眠り続けるのはかえって楽で、何よりも己を甘やかす行為だったからなのだろう。
けれども、どれだけ醜かろうと、死ぬまでは生きていくしかないのだ。
「オレって、こんな達観してたっけなぁ」
「は?」
声にした部分だけでは脈絡のない呟きに、毒気と拍子を抜かれたセンセの顔を見て、こういう表情もいいな、と、素直な感想が浮かんだ。
「病院ね。そん時頭回んなかったから、誰かに協力してもらおうと思って。んで、部長に事情を話したんスよ。腹を殴ってくれっつったら、泣かれちまったけど……でかい病院だと、まずいことでもあったんスか」
彼が読んでいるのは、少年の経歴の欄に刻まれた転居の履歴のようだ。一行目は出生地である病院から始まり、死亡扱いとなった行方不明の期間を経て、ボランティア団体が運営する孤児院で保護されていたことが後に発覚。生存が確認されたその時点で、巡は既に現首相の養子として迎え入れられており、病院側は彼に手出しをできないまま、現在の地位に至るとのことだ。
「……俺の実家は、医者の端くれにあたる家系だ。望まれずに摘出された水子がどう扱われているか、噂程度には聞いたことがある」
言葉を選びながら話す切れ目に、堅いノックが割り込む。どうぞ、と高めの声で応えると、扉の向こうから姿を現したのは、清潔な白衣を纏った柊だった。




