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地獄現世支部  作者: 翠雪
本編
56/88

二桁の遺伝子と仮定

「まず期待を消しとくがな。この某は、間違いなくお嬢ちゃんがこさえた子だ」

 ずれた角から色が覗く紙片が、目塞ぎとしての役を放棄された表紙の上へと引きずり出される。学生証の写真と思われる添付画像の少年は、名門私立の制服をカタログ通りに身に纏い、整った微笑をレンズに向けていた。


『母が、帰りを待っているんです』

『それでは、また』


 不意に痙攣した右中指へ、隣の視線が向いた気配を察し、掌を握り込む。言及はなかったが、乾がこちらに言いたいことは分かってしまう。

「おまえさんらが寝てる間に、赤髪をちっとばかし拝借してきた。そんで、柊に猫間の遺伝子と照合させて、はっきり白黒つけられたってワケさね」

 鑑定結果は、三桁直前のパーセンテージを叩き出した。百には到達しなかったが、これが最大の数字らしい。父親からも採取して、ほぼ同じ数値が出たとのことだ。とうに死亡している相手だったが、墓を掘り返して骨を盗んだのか、とはあえて聞かなかった。

 当時、交通事故で間もなく死んだ男の葬式を荒らしてやろうだとか、親族へ謝罪を求めて会いに行くだとかの気力も発想もなかった。憎む以前に、ただ呆然としていたのだ。碌に声すら思い出せない今となっては、たった一晩で棒に振った七年間の方がはるかに哀れだった。

「オレも、髪抜かれてたんスね」

 正反対の色彩を宿した子だと知る前に、遺物となった異物は胎内から取り出した。学校に通っているのなら、特異な髪色であることを理由に、自分が受けたような言いがかりもつけられたかもしれない。二親から捨てられた少年は、どんな人生を歩んできたのだろう。

「女の寝込みを襲うみてーなマネすっかよ。初っ端の検査で正々堂々調べたわ」

「……は?」

 顔を上げると、人の良さそうな人外の視線とはち合わせる。片眉を上げてみせた男は、発言を撤回することも、もう一度口にすることもなく、まっすぐ見つめ返してくる。小さなひとみが揺れずに射るせいで、ある仮定が浮かび、瞬間、顔の血液が一息に下がっていく。

「まさか、最初から知った上で」

 目線は変わらない。隣から待て、だの落ち着け、だの、静止を求める声が聞こえた気がしたが、登った血が壁になり、鼓膜の中に音がほとんど入ってこなかった。気付いた時には、腕を組んだままの上司の胸ぐらを掴み、肌に触れるまで数センチもない近さで紫を見ていた。

「分かってて、オレを呼び出して……神だのなんだの引きずって、無関係なセンセを巻き込んだのかって聞いてんスよ」

「葵!」

 少なくとも数週間は寝込んでいたらしい身体では力が入りきらず、元教師によって後ろから手を剥がされ、壁際から離される。止める相手にすら焦れた矛先を向けて足掻いたものの、どれもが痛まないように受け止められてしまう。睨んでみても、同じ色の虹彩はたじろがない。

 息をつく音。発されたのは正面からで、逸れていた首を元に戻すと、彼の表情が微かに動いていた。人懐っこい口端の上がりは鳴りを潜め、僅かに瞼が下がっている。見慣れない顔つきで心臓を掴まれた隙に、声の質だけは変わらない、乾いた笑いが刺さる。

「わざわざ言われてェかい」

 表情では突き放したまま、発音のトーンは明るいのが一層不気味で、部屋の温度が分からなくなった。

「聞いて傷付く覚悟もねェくせして。答えが欲しくなけりゃ、質問すんな」

 言葉が継げず、顔が熱くなる。沸騰するような脳味噌の温度と、体温が低い彼の掌とのコントラストがいっそうみじめで、兄の拘束を荒く振り解き、寝具を椅子の代わりにして腰かけた。手相に爪が埋まっても、押されている感覚ばかりで傷ができないのが悔しかった。

 誰もが話を続けない。救世主のノックも二度は響かず、代わりにわざとらしく長く呆れた溜め息が、真っ白に潔癖な部屋へと緩く広がった。そろりと盗み見た狐塚の相貌は、常の通りに飄々とした、どこか憎めない印象を作っている。

「時間やるから、ちっとは頭冷やしな」

 背中を前に傾け、足を踏み出す。ほど近くの壁が横にずれて扉となり、部屋の空気を入れ替えた。革靴が敷居を跨ぐと思ったその時、狐塚が兄へと何かを放り、床へ取り落とすすんでのところで物品が受け止められる。

「やるよ。おまえさん、吸いたそうな顔してっから」

 自分の口元を軽く叩いて示した狐は、次は振り返らずに廊下へ消えた。センセの掌へ収まったのは平べったい直方体で、あまり見ないデザインのロゴマークではあるものの、煙草の箱であることだけは素人にも分かった。

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