雪解けと氷
ビニールパックから管へ垂れる滴と、空調の微かな駆動音が部屋を浸す。言葉を交わす代わりとでもいうように、サーモグラフィーであればきっと赤までは届かない体温を狭い面積から分かち合っていると、呼吸が楽になる気がした。パンドラの箱には希望が残るというけれど、自分はこの人へ絶望を開け放つために七年かかったのだと頭の片隅でくゆらせてから、一人で二人分の出生の秘密を抱え続けてきた彼を、ぶれる少年の面影で追う。どうしてそうまで己に執着したのか、できたのか。それは本人だけが理解するところなのだろうけれど、冷たい掌から切に伝わる時の長さと残酷さを、想像せずにはいられない。大人の男が泣く姿なんて、初めて見た。
雨が止み、どちらからともなくお互いに、手の重なりと絡まりを解く。肩の荷、ひいては呼吸の重荷ともなっていた隠し事は、もう彼に知られている。いざ素の心持ちで二人きりになってみると、話すべきこと、聞くべきこと、聴きたいことが多すぎて――今更でも、ほんの僅かなりとも嫌悪されたら、と竦んで――切り出す単語が出てこない。相手も同様なのだろう、平均よりも背の高い図体を並べて情けなく選びあぐねていると、救世主のように軽いノックが壁の向こう側からもたらされた。返事を待たずに入ってきたのは、この職場で唯一スーツを着崩す人物だった。
「失礼しますよーっと。いい夢見たかィ」
「……狐塚サン」
夢から戻る前の最後に聞いた声は、やはりこれだ。くどくはないが癖が強い言葉尻も、聞き間違える方が難しい。不透明な泡が人型に形を寄せていた名残を彼の外見から探してみるものの、男のシルエットがぼやける素振りはちらとも窺えない。
「どうしたどうした、ンなに見つめて。ま? おれってば男前だし? うっかり惚れちまうのも無理ねェけど」
「うっかりも過ぎてボケてんスか、アンタ」
三白眼の紫に溜め息をつけば、なはは、と特徴だらけの笑いが返される。乾と交えた目線で以心伝心を済ませたオレは、それ以上深くは突っ込まないことにした。
「さて」
壁にもたれて腕を組む相貌に、天井から降りる灯が作った薄く短い影がかかる。
「兄妹水入らず。事情やら成り行きやら、ゆっくり告白させてやりたいのは山々だが……残念ながら、事件の渦中なんでねェ」
指鳴らし。それが発されたのは、狭い空間でただ一人立っている妖怪の、黒手袋に覆われた掌からだった。一体何の合図かと目を丸くしていると、掛け布団の上へ十枚程度の書類が投げ出されて、どこも留められていない紙の四隅がばらりとずれた。
「真面目な話をしようや。巡少年、お嬢ちゃんが流した赤子の処分をよ」




