鐘の音、冬の蝉時雨
十二回目の春から半年、十三回目の誕生日を過ぎた頃には、朝の道順がほとんど決まっていた。ビッグベンの鐘が幾度か鳴った学び舎の、物音と声とが扉の向こう側でヒーターと共に暖まる授業を横目に、息が白霧に変わる廊下を進む。夏の始め、長期休暇の先駆けに担任によって連れて行かれた美容院で軽くされた髪ではマフラー役を全うすることは難しく、首から入り込む冷気が神経を尖らせる。知人の紹介だと道中に車内で言っていた理容施設は、大方、彼の恋人にでも尋ねたのだろうと察しがつくほど清廉かつ華やかで、待ち時間にどうぞと渡された雑誌の記事には目を滑らされたものだ。ウルフカットをアレンジしたらしい髪型は乾きが早く、肩甲骨を過ぎるほど長かった以前の姿に戻すのはごめんだと感じる程度には気に入っているから、このささやかの枠から足が出過ぎている寒さも我慢しよう。
そういえば、最近、乗る回数を追うごとに、彼の車から煙草の名残が薄くなっている。店の紹介というささやかな頼みごとをした代わりに、彼女から小言でもくらったのだろうか。借りっぱなしのモッズコートからほのかに香る燻し草の匂いは、母が体に纏わり付かせてくるそれよりも遥かに透き通っていたから、不快ではなかったのだが。
伸びてきた前髪を留めているヘアピンの予備を折り曲げた、はたから見れば壊れてしまった黒い棒状の薄鉄を、目的地の鍵穴に差し込む。粗末な針金は内側の仕組みとそれなりに噛み合い、古いまま放置されている建てつけと具合よく解錠とあいなるので、セキュリティ面の見直しはぜひとも己の卒業後にしていただきたい。部屋の管理者以外はむやみに足を踏み入れない不気味な部屋は、羽休めにはうってつけの空間だ。授業に出る気分ではない日には、専らホルマリン漬けの一群と共に眠る。取り立てて毛布や枕を持たずとも、外界から差し込む温い光が十分にまどろみを誘っていた。
冷えた板にうつ伏せになろうとして、机の上に先客がいたことに気付く。左上をクリップで留められているさほど厚くない紙束は、先週末に剣道部が赴いた試合の記録だ。表紙には団体戦の最後の結果が記されており、入部当初からやけに絡んできた異国情緒が色濃い少年は、五人の選手の顔ぶれのうち、最後の要とされる大将の座に収まっている。無断欠席知らずな彼は、武道にのめり込むうちに精神的な部分が変化したのか、最近は随分落ち着いた語り口になった。飽きなくオレに話しかけてくること自体は継続されているものの、ふとした瞬間、思ってもみない折々ではっとさせられる発言や、気遣いもある。以前は下級生のような無邪気さが勝っていたはずが、空寒く例えて、王子か騎士のような振る舞いが増えたように思う。おかげさまで、話した覚えのない同級生の女子たちから「彼女だからっていい気になるな」「付き合っていないならもっと距離を取れ」などというやっかみを幾度か受けたほどだ。間男だろう人員を使って喧嘩をふっかけてきた輩とは殴り合いになったが、通報を受けて走ってきたセンセによって全員こっぴどく叱られたので、二度目の乱闘は起きていない。
思春期の成長はかくあるべきなのだろうか、と、大人びていく同級生の軌跡を見つめている自分はといえば、アルバイトを始めたことくらいしか変化がない。雀の涙な報酬では、今の家を出るのは、三年生になってからでないと難しいだろう。それでも、狭い部屋に座り込む時間が減らせる理由が出来ただけで上等だ。
剣道において、勝敗を決するまでの時間は、延長戦にならない限りとても短い。団体戦も五人分の個人戦の戦績を足し算するだけの簡素なシステムなので、他の球技や大人数のスポーツよりも自身の性に合っているのは確かだった。選手の年齢を問わず、一回あたり五分未満に設定されるケースがほとんどである試合の制限時間の三秒前。副将までは引き分けていた大一番に、面を取られてチーム共々に敗北した次期部長は、他の四人へ真摯に謝った後、誰もいない体育館の裏では静かに泣いていた。声を殺して密かに流れた透明な滴を偶然に見て、ああ、コイツは本気で部活に打ち込んでいるんだと思い――そして、その光景が、いつかどこかで出会った景色のような気がしてならなかった。




