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地獄現世支部  作者: 翠雪
本編
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軍人風情のお医者様

「息を吸って、……止めて、そのまま」

 聴診器を添え、喉奥を覗き、下瞼を裏返し――と、一通り手動の検査を終えた小難しい機械の連続に、堪えている呼吸から退屈が漏れそうだ。予想通り言葉少ななお医者様は、三十代中頃かその近辺の年齢だと思うのだが、左手の薬指に結ばれた深い銀の輪が、どこかの誰かにとっては夫という立場を持つ人物であるとも示しているために、第一印象から若さをさらに引き算させる。まさか、その頭髪は全て若白髪なのだろうか。

「もういい。服を着て、座って待つように」

「キレーに染めてんスね、髪。ブリーチ?」

「生まれつきだ」

 多分な、と添えられた呟きは気になったが、検査機器が打ち出した結果を眺め始めた所へは茶々も入れにくく、網籠に放っていた衣服を大人しく着直した。採血の時に随分無理をして捲ったから、右袖にひし形の連続した皺が出来ている。その後脱ぐと知っていれば、無駄な労力も折り目も付かずに済んだのに。

 通された検査室には、看護師や他の医者は見当たらず、準備から検査までの一切は、図体のでかい軍人風味の彼がすべて一人で行った。全自動化された最先端の病院もちらほらと存在する現代では、手伝いロボットもなしに業務を遂行できる技術を持った医者は稀有なので、どうやらヤブではないらしい。広々とした室内はパーティションで区切られていて、先程まで行った検査も、全てこの一室で済んだ。棚にずらり並んだ乾物入りのガラス瓶は怪しいが、それ以外については、割合普通の医療室に見える。まあ、紙の資料が妙に多く、本棚のクリアファイルをいくつも膨らませているのは、今日では少し珍しい光景だろうか。

 上質なクッション材を仕込んだソファは、指定された定刻に遅れずやってきた、真面目な当選者を抱きとめたはずだ。何人来たのかは知らないが、その頃には、複数人の医療スタッフが出張っていたかもしれない。背もたれに背骨を添わせて天井を仰ぎ見れば、病院特有の強い白が目に眩しかった。

「ここへは車で?」

 眠気に差し込まれた質問に顔を向けると、凛々しい水色の瞳がこちらを見ている。やはり血液から昨日の酒気が出たらしい。

「徒歩で。っつーか、走って」

 車どころか免許も持っていないし、駅へ行って本庁の最寄りまで行くよりも走るほうが断然速いと踏んでいたから、出掛けにも運動靴を選んだのだ。玄関まで一度戻ったことにより、結局は大差なかったのだが。

「なら良い」

「権力前にして飲酒運転はしねェよ……」

 残ったアルコールとぼやきは拾われず、部屋の隅へと転がっていく。

「よっ、やってるかい?」

 投棄された言葉をさらに蹴り飛ばして侵入したのは、本日会った中で一番軽薄そうな黒髪の男だった。居酒屋の常連客よろしく、気さくな掛け声と、細身のスーツにピアスの組み合わせは、場所が場所ならヤの付く自由業の取り立てかと勘違いしてもおかしくない。

「狐塚殿、ノックをして下さい」

 おい軍人さん、殿っていつの時代だ!

「なっはは、すまねえすまねえ。ちと急ぎの入り用でな」

 歩みを止めずに近寄った、日向から遠い場所に並ぶガラス瓶の棚から数個を拝借した謎の人物は、目を丸くするばかりのこちらにも軽快なウインクを華麗にかまし、腰を落ち着けることなく去って行った。嵐とまではいかずとも、突風だったのは間違いない。

「……えっと、何、アレ」

「上司だな」

「ホストとかじゃなく」

「……上司だな」

 クリップボードに資料を挟んだ彼は、デスクの端に設置されている内線で東堂を呼び出した。五分と待たずに華やかな顔面と再会した挨拶もそこそこに、白衣の先を覆う白手袋から、青年が身に付けた黒手袋へと、己が体内の数値が渡される。彼の視線が上から下まで手早く滑り、口元に薄い微笑みが乗ったまま紙をリズミカルに捲るので、読んだふりをしているだけなのではと勘ぐったが、そうでもないらしい。節々へペンで印を付けたり、目の進行が止まったりもしている。

「OK、お疲れ様です」

 にっこり、と効果音が付きそうな笑顔へ曖昧に頷く。一応会釈でもしておくべきかと医師を振り返れば、既に背を向けて机上の処理に入っていた。勤勉なことである。

「次はこちらへ」

「結構かかるんスね」

「すみません。ここでお帰りになる方もいらっしゃるのですが、もう少しお付き合いしていただきます」

 注射針程度の痛みと気疲れくらいしか蓄積していないが、知らないテリトリーに長居するというのは、やはり本能に近い部分で警戒してしまう。馴染みのない国家権力のド真ん中というのも手伝っているのだろう。なにせここは、交番やらとは訳が違う、首都の中枢である。

「検査の結果、いくつかの項目で規定の水準を超えているものがありました。実は、今回の健康診断は、そういった方を見付けるためにも実施されているんです」

 足音が響く廊下を進みながら、彫刻のように美しい彼が言う。

「アルコール濃度とか?」

「ふふ、確かに、そちらも高めな数値でしたが」

 流し目でぶつかった眼差しは、今日のいつでも凪いでいた。

「もっと、霊的な適性ですよ」

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