赤目の人形と演目
浅い扇状に展開した受け皿に投映される画の視点主が見下ろすのは、二つの人影。一方は当局預かりの男性で、額から流れる血液の量が少し増している。追加の衝撃は避けてくれるといいのだが、果たしてそれはどうだろう。扉をくぐって入室した東堂の表情を、数刻前に乾へ灸を据えた際の銃を手で弄びつつ見遣る。整いきった造りに、口端だけ笑んだ零度の目。なるほど、今は「そちら」か。近寄った柊に上着を半ば投げるように渡した青年は、上座に並ぶ揃いの椅子のうち右側へと腰を掛けた。溜息を噛み殺した代わりに、疑問符を投じる。
「奴さんと違うのかィ」
顎でしゃくって示す先、乾と向き合って胡乱に立つ少年の髪には赫が染みつき、清らな水でも到底拭えそうもない。机上に投げた資料へ添えられた、生まれたばかりの乳飲み子が現像された紙片に写っているのは、生え揃うにはまだ遠い赤髪と、三日月を描く金色の眼。写真のすぐ脇に明朝体で印字された名前には「王生巡」の三文字が、朱肉で叩いて押された四角の判には、「行方不明」の四文字が滲んでいる。印刷の時点では空白だったのであろう枠へ走り書きされた「死亡処理済」という、お世辞にも上手とはいえない黒ペンの筆跡に、文化が廃れた世の平均を見た。深く吸い込んだ紫煙を肺に染み渡らせれば、幾分かは気が紛れる思い込みを強められる。
「本体だろうけど、不十分だ。核は猫間へ流れたね」
「お嬢ちゃんはさっきから捕捉できてねェし、隔離されたと読むのが妥当かね」
上座の彼は、ジャケットの内収納から扁平な直方体を抜き取り、黒の手巻煙草を一本押さえから逃がす。コートを衣装掛けに仕舞い終わった柊が、木のマッチで小さな青い炎を差し出せば、焦げた紙の端から薄い白檀の香りが辺りに散った。唇の合間から吐息と共に流れ出る副流煙は遺灰の乳白色だ。濃厚な甘さがある柔らかな色彩によって、肺は何色に変わるのだろうか。
モニターを見据える眼差しは穏やかだ。規則正しく行われる瞬きに、細かには揺れない滑らかな瞳孔の軌道。想像と現実の一致を確認する作業を担うだけの、面白みも感情もない焦点。指に挟まれた軸が、次第に半分へ近くなる。
「あの娘を殺す気か、紅」
画面越しの男が刀を一閃、横薙ぎに振るう。映し出されていた像が崩れ、黒が画面を塗り潰す。元来言葉少なな場に、加えて静寂が満ちた。
「まさか」
眉尻を下げ、細めた目だけでこちらを見、硝子の皿へ灰を落とす。自分が脚を組み直した土台になっている長机が動かない代わりに、背を預けた椅子が微かに揺れた。
けれどもまあ、と、肘をついた指の側面が頤を辿る。
「彼女が戻ってこなければ、それはそれで、この件も収束することだし」
退けていたフィルターへ再び口を寄せると、白魚の指と、白粉をはたいたような掌を覆う手袋に唇が隠れる。二本の間に居座る煙草は、もうすぐ燃え尽きるだろう。座り心地のよろしい座席から重い腰を上げて近寄り、細く、短くなったそれを取り上げ、透明で摺り消した。
「やーっぱおれ、おまえさんのこと好かねェわ」
にっこりと造った笑顔で言えば、同じ成分を原材料に含んだ表情が返される。
「はは。引き続きよろしく」
睨み合いとして形容に足るだけの然るべき間をおかずに、煙を消された彼の身体はがくりと脱力した。完全にくずおれる前にどうにか受け止めて、柊から差し出された、液体入りの小瓶を受け取る。
「あれ、……こづか、さん」
「おー。おはようさん、東堂」
不安定な首を支え、香りからして癖が強い液体を、気付け薬として飲み下させる。専属医の鬼が所有する漢方を煎じたこの品は、紅の分霊が東堂の身体に入った後にはいつも必要になる。そういえば、猫間が適性診断に赴いた時も似たような状況になり、彼の検診室に割り入って薬草の瓶をいくつか拝借した覚えは新しい方だった。腐っても理由あっての紅の判断、東堂を己の子機代わりにするのは結構なことだが、予定が通達されないまま決行されてしまうのは、後始末役にとっては悩みの種である。王の気まぐれに付き合うのも、傍に控える臣の務めか。
眉を顰めながらも瓶を空にした東堂の様子はといえば、瞳孔が揺れる幅が順調に狭まっている。瞼を閉じ、次にゆっくりと目を開けた時には、落ち着いた眼差しでこちらを見上げていた。
「……ありがとう。いつも、すみません」
申し訳なさげに苦笑する瞼はいつになく眠たげだ。常人が五分と霊力の塊を容れられれば、良くて昏睡、悪くて死体となる。別な魂に憑依される方は相当な労力を使わされるというのに、英たちのオーダーメイドである彼に限っては、前と変わりない白磁器の様相を成す肌が痛々しく見えた。
「なんの、なんの。無事にご意向承ったからよ、おまえさんはゆっくり休みな」
返事をする前に目元へ手を被せ、額から鼻先へと動かせば、休息の眠りについた彼が寝息をたてている。西洋のお伽噺なら、当方は魔女役になるのだろう。下らない思考を遊ばせながら、柊へこの青年を仮眠室まで運ぶよう頼むついでに、肩へ担ごうとするのをやんわり止めた。結局横抱きにしていった背中を見送って、無彩色に沈黙したままの投影機に溜息をつく。
「あとはお若い二人で、ってか?」
誰に向けたでもない呟きは、大理石の床へ融けていった。




