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地獄現世支部  作者: 翠雪
本編
33/88

約束の地

 雑念に蓋をして、音の出所を知りたい一心で進み続ける。和らぐ気配がない頭痛が辛いが、おかげで眠気に襲われる暇はない。凍死でも遭難でも何にせよ、無防備を強いられる睡眠状態は大敵だ。その代わりに神経がささくれ立つのも、等価交換だと受け入れるべきなのだろう。踏みしめる感覚が曖昧な足裏では進度を測りづらいが、鼓膜を震わせる波は大きくなっているから、軸はぶれずに動けているらしい。

「センセ、どうしてんのかな……」

 地上に一人残してきた彼とこちら側の世界でばったり、なんてことになれば最悪の事態。ただでさえ若葉マークの二人で臨むというだけで、訓練などとはとても言えない無茶だったのだと、膨れ上がった化け物に飲み込まれてからようやく気付く。しかしながら、銀の光が目に届いたのだから、乾は刀を奮っているということだろうし、ひょっとするとあの人だけでどうにかできてしまうのかも。

 同期としてまとめて引き入れられた点や、いつも呼び出されるのも二人一組だったので、センセとオレはバディ扱いをされていると疑いもなく感じていたけれど、自分を置いて駆け出した彼としては、見方が全然違うのかもしれない。例えるのなら、保護者と被保護者のような組み合わせだとか思われていそうで――多分、実際もそうなのだろう。近頃は、教師と生徒だった時期以上に、ちょっと目に余るほど過保護なことであるし。

 昔はもっと、監督はしつつも、一定の距離はあるような接し方をされていた気がするのだが、時を空けて改めて観察したこちらが危なっかしすぎたのだろうか。これが他の誰かから背中を指された評価だったのなら、ここまで何度も反芻して悩むことはなかっただろう。ただ、親はいわゆるネグレクト、顔色伺いで事なかれ主義の大人達、付かず離れず噂を振りまく同年代の大多数といった、良くはない偶然が重なっていた人生の巡り合わせの中で、初めて信頼できた大人が乾なのだ。彼にだけは子ども扱いをしてほしくないという承認欲求と、自覚している不甲斐なさへの納得が、気持ちを整理した端から破綻して、また夜の眠りが浅くなる。

――その唯一へ、無二の隠し事をしているくせに、哀れぶりやがって。

 張り詰めた血液ポンプが、きゅうと縮んだ気がした。

「ッ、いっ……てえ!」

 ひび割れるような鋭い痛覚が頭部の神経を貫き、持て余していた物耽りから引き戻される。考え事で遠のいていた音が、四方から何層もの波になって覆い被さってきた。鳴り響く雅楽は、肉を越した骨まで震わせている。優美な旋律のくせに、中枢神経は二日酔いで眩む風にも似た様相でがんがんと揺れている。突然勢いを増した頭痛のせいでとても立っていられなくなり、膝をつく。両手で耳を塞いだが、痛みも音も遠のいてくれない。全身を絡め取られた直後の危機感がぶり返してきて、粘度の高い冷や汗が項に浮いた。

 せめて状況の把握を。身体を縮こまらせようとする防衛本能を押さえ込んで顔を上げ、細めがちだった目を見開いた先に飛び込んできたのは、念願の演奏者たる妖怪めいた有象無象が円を成し、中央では白拍子や剣舞が揮われる、奇妙な宴の光景だった。参列者の歪な造形とは裏腹に、どことなく素直な心地の良さを感じている自分に驚いているうちに、気付けば頭の痛みも引いていた。

(ここは)

 以前、どこかで?

 懐かしさすら得てしまう、どう眺めても危うい集い。未知への緊張から、既視感への焦燥に変わった瞳でもって参加者を見渡そうと視線を動かして、隣に座る女に肩が跳ねた。生きている人間が誰しもが持っているはずの覇気というか、生のオーラといったものが一切排除された、濃厚な死の気配。生成りの淡い色彩の布を重ね、所々に鮮やかな原色の糸を用いた衣服で丁寧に飾られてはいるが、露出した手の甲に蠢く蛆は隠しきれなかったようだ。思わず反対側に飛び退いた先、肩を受け止められた柔らかな掌の感覚へ、反射的に声が漏れる。

「ああ、ようやく」

 そのまま抱きすくめてきた両腕は、留める手指の強さから想像したよりずっと幼い、十代前後の肉付き。振り解こうとして、四肢が金縛りにあったかのように、全く思い通りにならないことに気付いた。

「鼠があと一回りするまでに、逢いにいくと……約束した通りになった」

 警鐘を鳴らす全身を嘲笑うかのように宴の調子は高まり、アンバランスな征服者は陶酔した声で、何事かを囁いてくる。指の一本どころか、喉に埋め込まれた筋肉である声帯すらも、己の意思では動かすことができない。

 唯一自由がきく眼球を動かせば、咄嗟に離れた彼女の坐した姿の全容が目に入って、息を飲む。垂れ下がり、欠けの多い肉の合間に覗く骨、甘ったるい腐敗の臭い、今にも零れ落ちそうな眼と、ひび割れた爪から垂れる、油の水滴。

 そして、頭頂部。またどこからかやってきた蛍もどきに照らされた、結われずに伸びきった彼女の毛髪は、少しくすんだ青色で。鮮やかさこそ違えども、染毛を除けば突然変異以外にはあり得ないその色彩は、自らの髪と酷似していた。

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