化けの皮
壁に備え付けられたスイッチで照らされた部屋に窓はなく、艶あるカットがなされた床には、逆さまになった自分の姿が投影されている。殺風景なインテリアに目が行かないのは、一昨日から出会い始めた見目麗しき同僚が次々に入室し、いかにも金持ちが持っていそうなちゃちなレプリカ像よりもよほど華やかな彩りを添えているからだ。
「わお、大集合じゃん」
「……王の、おでむかえ……だから……」
特別、と付け足して応えたのは、全員が身に纏っている一式を整えた、少年か少女か読めない蘭だった。品の良いスーツに黒のリボンタイを合わせており、ワイシャツの白い布地が、それと同じ色の頭髪や、透き通る緑の眼を引き立てていた。
「変わったあだ名っスね。ハナブサ? サンは」
「順を追って説明しよう」
会話を引き継いだ東堂に勧められた椅子へ、センセと並んで腰掛ける。閉じた扉は切れ目を消す造りらしく、どちらが上座か下座か分からない。
「最近、説明ばーっかされてる気が……」
「堪えてもらうしかないなあ。何事も、説明書を読んでからでないと、後々うまくないことが起きるからね」
文句を垂れたオレを物言いたげに見る横からの目線にうっかり誘われないように、東堂の方だけにじっと身体の向きを据える。衆人の中、こっくりお説教を喰らうなんてのはほとほと御免だ。
「まず、彼女の疑問。ぼくらの定義する、獄卒、とは」
視界の端で狐塚が気さくなピースを寄越している。これは、昨日のボロ屋への突入の折、「獄卒の看板借りなのに本物っぽい」といった疑問を、やんわりと保留にさせられていた議題だ。
「二人は、地獄は本当にあると思うかい」
疑問に対応した明瞭な返答が、一問一答方式で与えられると思っていただけに、予想外な方面からの認識の深掘りに二人は窮した。
「さあ、考えたことも……」
「んん、……地獄に落ちろ! とかは言うけど、なぁ」
当惑した声音の先生に続けて返せば、変わらない様子の美青年が肯定の相槌を打つ。各々に湯呑の緑茶を配っているのは柊だ。骨太な手だが、扱う手付きはやはり医者らしく、置く音ひとつ、ピアノの鍵盤を慎重に押し込んだ時ほども立てない。
「地獄という概念は、言葉や存在は色濃く残っているけれど、いざ信じているか? と問われれば、人々は返答に困る……そういう世界になった。けれど、断固として、はっきりと信じていない、という人は、極々僅かだ。これは、真実云々より、きみたちの血に刻まれている信仰故に、考える前に馴染んでいるからさ」彼は継ぎ足す。「かつて、地獄に紫式部と呼ばれる女性が落ちた時は、全国各地で書経の運動が起きた。物語で人を惑わせた罰を背負った女を救わんがため――加えて、数々の物語に登場した地獄は、本当に存在するという前提の下に描かれ、地獄の罰から逃れるために人は行動を慎しみもした」
「ヘエ、信心深いことで」
「結果として、言動を戒める理由になっていたわけなんだよ」
「……罰を受けたくないがため、か……」
「当然、自ずからが理想だけど。それはとても、とても難しい」
外を臨む透明な窓がない部屋では、十分に高いはずの天井も、低く、重苦しく感じる。厳かという表現の範疇だろうか。
「今は専ら、宗教よりも科学が信じられるようになった。けれども一方で、人々の中に流れる……呪いとでも言えば適当かな。脈々と継がれてきた文化だけが地に残った。伴う戒めを置き去りにしてね。それがために、地獄へ落ちる者が増え続け、ちょっとしたパンク状態になるのは、想像できるかな」
「センセ、例え話して」
「生徒が校則を知りながらも守らないから、卒業後に全部ツケが回ってくる。しかもその人数は増える一方で、三月末に指導室が大行列」
「オッケー分かった! 続けてくれ東堂サン!」
「ふふっ……。それで、死者をただあの世で待つだけではなく、生者の軌道修正が可能なうちに処理をしたり、『悪いこと』に繋がってしまう甘い蜜を拭ったりするために、現世へ幾らか、地獄の手足たる獄卒を派遣した。事後処理的には、元から現世へ迎えに行くこともあったんだけど、仕組みをさらに強化したって感じだね」
『今昔物語』にもあるけど、前はたまに罪人をごまかして同姓同名の人を連れてきてはトラブルの種にもなっていたから、今のほうが制度がしっかりやっているかな、と、彼は懐かしむように言う。雰囲気は柔らかいが、冗談や洒落を聞かされているのではないという語り口に、足元が発泡スチロールになったかのような落ち着きのなさが増していく。
「……その文脈だと、皆さんが化生ということになりますよ」
「うん、そうだね」
事もなげに頷く素振りに、思考が口からすっかり出ない。そんな隣人をよそに食って掛かる大人は、困惑四割、疑い六割といった様子だ。
「うん、ではなく! ……俺は、声やら音やらは聞こえても、姿は見えない体質です。しかし、ここにいる全員は見えている。大きな矛盾だ」
「それは、ぼくたちが一度肉の器を介して現世に来たから、……いや、見せたほうがきっと早いね。皆、いい?」
男が声を配ると、部屋のそれぞれで寛いでいた顔が、一斉にこちらに向く。妙に不気味と感じたのは、自然光がないせい――
「戻って」
短い指示と手拍子が、肉の着包みを溶かす。どろり崩れた表面が流れて剥けた下から顕れたのは、確かに、額へ深々生えた角に、こなれた着物。柊、蘭、果ては東堂まで、見事に異質な異形を成した。
「ぼくらは獄卒。真に地獄の鬼であり、天罰の執行者さ」
人型の要素をどこかには残した鬼たちに一匹だけ紛れた、軽やかな身のこなしで飛び跳ねた黒狐が、着地点として定めていたらしいオレの肩へと乗っかった。




