MS05 「8番レジ」
時々、店の中で幽霊を見る。
郊外にあるショッピングモールの一階。朝の10時から夜の11時まで近隣の住民達が押し寄せる場所だ。レジカウンターは8レーンあり、セルフレジもある。それでも昼時や夕方の最盛期は長蛇の列が並ぶことになる。
そんな時、混み合う客の間に幽霊を見る。
向こうが透けて見える人影がレジカウンターに並んでいるのだ。それに気付く客はいない。
「何を見ているのかね」、と『店長』が言った。店長だけ名札の色が違うのでわかりやすい。
「その……透明なお客様がいらっしゃるな、と思いまして」
幽霊という単語を使わないほうがいいかと思って、私は婉曲に言った。
「君はアルバイトかね」、と店長。
店長は神経質そうな目がメガネの奥から覗き、小刻みに動く手足を持った痩せた中年の男だった。
「はい、桐山レミと言います。食品部門の担当です」
「そうか。新入りか」
……実際は1年近くここでアルバイトをしているが、黙っておいた。
「そうだな。ここには確かに『透明なお客様』がいる」
怒られるかと思ったが、店長は腕組みをして話し始めた。せっかちな話し方だったが。
「簡単な言い方をすれば、お化けの類だろう。この世で生きている存在ではない」
「幽霊なんですか?」
店長は私を睨んだ。
「言っておくが、店中で人が死んだりしたわけではないぞ。あれはあくまで人の影だ」
「影ですか?」
「そう、実体のない影だ。考えてもみろ」
店長は店内を見回した。
「これだけの人間が毎日ここに集まるんだ。どれだけの密度だと思う。その痕跡のようなものが残っても仕方ないだろう」
「影ですか……」
私は言葉を繰り返した。確かにあの「透明なお客様」は何をする訳でもなく、レジカウンターに並んでいる。注意して見なければ彼らに気付くこともないだろう。ただ、生活の一部を繰り返すだけ。その行動は実体が消え失せた後も残響のように残っている。
「でも、何を買うんでしょうね。本当に商品がなくなったら困りますね」
「商品も影だ」
「商品の幽霊ですか」
「どれだけの廃棄物が出ると思っているんだ。商品だって買われなければ未練も残るだろう」
「そんなものでしょうか」
妙な理屈だが、なんとなく納得できた。
「だから、廃棄物が出ないように売り上げを上げなければいけないのだ」
店長は大げさに頷いた。
……いや、その理屈はわからない。
早く仕事に戻りなさい、と慌ただしい口調で言った。そっちが話しかけたんじゃないか、と思うが、管理職はそんなものだ。
ただ、最後にこう言った。
「しかし、君も見えるとなると、それ用の仕事をしてもらうほうが良いな」
「見える人用の仕事ってあるんですか?」
「そうだ、例えばあの8番レジのようにな」
そう言って店長は消えた。
8番レジは客の列が長くなることで有名だ。レジ係の手際が悪いのではない。ベテランのレジ係が常駐していても長くなるのだ。出口に近い端にあり、人の流れを考えると店内を一周してきた客が並びやすい場所なのだろう、と皆が言っている。構造的な問題があるのだろう、と。
だが、改めて見てみると別の要因があることに気づいた。『透明なお客様』の数が多いのだ。そして、普通の……生きている実体のあるお客様はそれに気づいていない。だから、実際には目に見えるよりも多い客の後に並ぶことになり、会計を終えるまでに時間がかかってしまう。
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私はアルバイトが終わってから、自分の夕食の買い物をした。値引きシールが貼られたものを買うのは、廃棄物の量を減らすためだ。ケチだからではない。
そして、8番レジに並んだ。
8番レジには相変わらず『透明なお客様』が多かった。どう捌いているのかと思ったが、レジ係の吉岡さんは『透明なお客様』の商品もレジに通していた。彼女は私の母親くらいの年配の女性で、この店で一番のベテランのレジ係だ。流れるような手つきで『透明なお客様』の透明な商品を受け取り、レジに通す。そして透明な紙幣を受け取り、透明な硬貨を釣り銭として返す。
見た所、吉岡さんは透明な金とそうでない金を同じレジで扱っているようだ。どうやら、彼女も私と同じく見える人間らしい。
『透明なお客様』の会計をしても売り上げにはつながらないのに。そう思った。
私の前の客も『透明なお客様』だった。薄ぼんやりとしか見えないが、くたびれた背広を着た初老の男だった。半額シールの貼られた惣菜各種と缶ビール。恐らくは夕食だろう。吉岡さんは手早く会計を済ませ、釣り銭を渡した。
「ありがとうございました。またのお越しを」
レジ係として一定の距離を置きながら、プロとしての自信と客への誠意に満ちた一言だった。私は『透明なお客様』がニッコリと微笑むのを見た。
「早く置きなさいよ」
お客様が消えていった方向を見上げていた私は、吉岡さんに注意された。同じ職場の人間には厳しい人だ。
「すいません」
私は会計をしてもらう間、吉岡さんに話しかけた。
「今日、店長を見ました」
吉岡さんはちらりと私を見て、事象を察したらしい。
「……何番目?」
「わかりません。痩せたメガネの人でした」
「3番目ね」
吉岡さんは一瞬、手を止めて、私に言った。
「気をつけないさい。あの人、面倒な仕事を押し付けてくるから」
「気をつけます」
「まったく、この店、透明な店長が多すぎるわ」
吉岡さんの言葉に、私は吹き出した。