突然のデート?中に現れたジェラルドの同僚との一コマ
路地裏に入ってもずっと馬車の方を見ていたセラフィーネであったが、口を出さず静かにしていたジェラルドが声をかけてきた。
「セラ様、行きましょう」
その声を合図に、セラフィーネの視線はジェラルドに向けられた。
完璧に自分のミスだと思っていたのか、どこか申し訳なさそうに彼女を気遣う目に思わずクスリと笑い声をあげてしまう。
「貴方の目は正直ね」
「……思ったよりも動揺していない様子ですね」
「だから大丈夫だと言ったでしょう? それにしても、フレデリクお兄様ってあのような雰囲気だったのね。物心がつく前だったから、あまり顔を覚えていなかったけれど」
「え? ご兄妹の思い出などはなかったのですか?」
「ないわよ。私が城を追い出されたのは二、三歳ぐらいの頃だったもの。ジェラルドにはそれぐらいの頃の記憶があって?」
ジェラルドは少し考え込んだ後で首を横に振った。
「ありませんね」
「でしょう? だから気にしてないわ。あちらはあちらで苦労があるでしょうし……。というか、貴族同士の腹の探り合いなんて私はしたくないわね。本当に嫌だわ。腹が立ったら絶対に文句を言ってしまいそう」
「ああ、言いますね。絶対に間違いなく言いますね。その後、顔面蒼白になった貴族が魚のように口をパクパクさせるところまで想像ができます」
「言いたいことは山のようにあるけど、まあいいわ。……だから、私は今の環境で良かったなと思うのよ。他人の目を気にしなくても良いし」
特に貴族令嬢のあり方をエレノアから聞いていたセラフィーネは余計にそう思う。
出しゃばらず、男性の後ろでニコニコと笑っていろなど彼女には到底無理だ。
話を聞いたときは、心の底から病弱設定で良かったと胸を撫で下ろしたほどである。
十数年ぶりに兄と再会した感傷に浸っていた彼女であったが、やるべきことは残っていた。
「さ、おじいさんが待ってるわ。今日中に仕上げなければならない仕事があると言っていたし、残りのヤスリを買って眼鏡を届けてあげないと」
ジェラルドの背中を軽く叩き、最後のお使いであるヤスリが売っている店へと二人は足を運んだのだった。
その後、全ての買い物を終えた二人は頼まれた物を老人に渡して立て替えたお金を精算した。
目を付けておいた燭台の会計を済ませると、二人は店を後にする。
「この後はいつも通り見回りね」
「それなのですが、今日は止めにしませんか?」
「あら、どうして?」
「今日はもう依頼が終わったじゃありませんか。ですので、セラ様の興味のある店に行ったりして過ごせばいいのではないかと思いまして」
ジェラルドの言う通り依頼はもう終わっているが、困っている人は他にもいる。
それは彼も分かっているというのに、今日に限ってどうして? とセラフィーネは疑問に思った。
(もしかして、私がフレデリクお兄様と遭遇したことを気に病んでいるのかしら?)
確かに午後からの出発だと聞いていたのに遭遇してしまったのは驚いたが、それはジェラルドの責任ではない。
彼は第二王子の動向を細かく知ることできはないのだから。
(律義というか、真面目というか……。まあ、そういうところが好きなのだけれど)
先ほどのお詫びも兼ねているのだろうが、それでも目的もなくジェラルドと二人で城下を歩けるのは嬉しい。
折角の彼からのお誘いだ。断ることは考えられなかった。
「……私の行きたいところに付き合ってくれるというのね? 男に二言はない?」
「ええ、もちろんです」
「なら、刺繍の糸を買い足したいわ。それに刺繍の幅を広げたいから他国の風景や花とかが描かれた本も欲しいわね。あと、大きめの布も欲しいわ」
「予想外に行きたいところがあって驚きました。全てが刺繍関連なのがセラ様らしいですが」
「刺繍は大事な収入源だもの。いつまでもありきたりなものばかり作ってたら飽きられてしまうわ」
常に新しさを求めないと客を別の人に取られてしまう。
こういうのは探究心が大事だということをセラフィーネは良く分かっていた。
「ということで、まずは糸を買いに行きましょう。行くわよ!」
依頼のことを考えずにデートするなど、ジェラルドを好きになってから初めてのことだ。
仕事という前提があったから、いつもはそこまで意識したことはないが、完全に自由となれば話は別である。
彼と色んな話がしたいとセラフィーネは期待に胸を膨らませていた。
こうして、まずセラフィーネ達が向かったのは王都でも一、二位を誇る高級な糸も取り扱う手芸店。
彼女の手持ちの金では高級な糸は買えないので、平民でも手の届くそこそこの糸が並べられている売り場に向かった。
「取りあえず、なくなりそうな色の糸を選ぶのが先ね。……ジェラルド、何をしているの?」
ある色の糸を展示してある場所にジェラルドがジッと佇み、目が金と銀の糸に釘付けになっていた。
不思議に思ったセラフィーネが尋ねると彼は、横目で糸を見ながら口を開く。
「セラ様の髪の色と同じ色の糸はどれかと探していました」
「別に貴方が刺繍するわけでもないのに」
「ちょっとした興味です。ですが、良い糸とはいえセラ様の髪質とはまったく違いますね」
「当たり前でしょう? 人の髪の質感とは違うわよ」
「それはそうですが、セラ様と同じ色だと思うと、ちょっと気分が高揚します」
どうせジェラルドのことだから期待を裏切ることを言うに違いない。
ぬか喜びしたくなかったセラフィーネは、どういう意味で? と聞きたいのをグッと堪えた。
代わりに、可愛くもない言葉が口をついて出てしまう。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい」
まったく心臓に悪いと思いながら、セラフィーネは目的の色の糸を選び、ジェラルドに指し示した。
「これで欲しい糸は全てよ」
「……では、店員に頼んで会計を済ませてきますね」
財布を取り出したセラフィーネを手で制し、彼女の指し示した糸を店員に伝えたジェラルドは自身の財布から会計を済ませる。
その手際は非常にスマートで違和感を覚えさせないほどのものだ。
何となく彼女は経験の差を思い知らされたような気がする。
悶々としたまま気分のまま、会計が終わって商品を受け取った彼女は店員に礼を言うと、店外へと出た。
(まさか奢られるとは思わなかったわ。罪滅ぼしのためか知らないけど、やけに私を煽ててたわよね。別にそのようなこととはしなくてもいいというのに)
セラフィーネにとったら、ジェラルドと会話できるだけで十分なのだ。
彼女を喜ばせることなどしなくても構わない。
だというのに、彼は律義な男である。
そう思いながら彼女は隣に立つ荷物を持ったジェラルに視線を向けた瞬間、彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、やっぱりバークスだ。今日は仕事が休みなのかな?」
「……ああ、そうだ」
あまり関わり合いになりたくないのか、ジェラルドの態度や言葉遣い、対応がぶっきらぼうである。
彼の知り合いなのは明らかであるが、どういった関係なのかがセラフィーネは気になった。
すると、声をかけてきた男がジェラルドの隣にいた彼女に視線を向けてくる。
目を合わせると、いかにもお手本とする騎士のような笑みを浮かべて「こんにちは」と話しかけてくる。
短髪で爽やかな見た目の彼は、落ち着いていて穏やかそうに見える。
誰かさんと違って裏表がなさそうだ、などと思いながら、彼女は軽く微笑んだ。
「初めまして、僕はライナス。騎士団に所属してる騎士なんだ。怪しい者じゃないから安心して。それで、君は?」
「私は--」
挨拶をしようとセラフィーネが口を開きかけるが、それよりも早くジェラルドが彼女を隠すように前に出た。
「彼女は勉強するために田舎から出てきた商家のお嬢様だ。彼女の両親から面倒を見てくれと頼まれてる」
「……君には聞いてないんだけどね」
話に割り込んできたジェラルドにライナスは苦笑している。
上司や同僚から疎まれているのは知っていたが、目の前の彼は友好的な態度なのにどうしてよそよそしいのか不思議であった。
「君の態度は騎士学校時代から変わらないね。相変わらず僕に対して遠慮があるみたいだけど、あのときのことなら僕は気にしてない。むしろ君が上や他の同僚から疎まれたことを気にしているくらいだよ」
「……」
「とはいっても、その後にあったことは今でも根に持ってるけどね」
「用がないなら、俺はもう行くが」
「久しぶりに会ったんだから、もう少し話をしてもいいじゃないか。……それとも、彼女を僕に紹介したくない理由でもあるとか?」
図星だったのかジェラルドの体が一瞬だけびくついた。
騎士ということは、彼も貴族の子息。
捨て置かれたとはいえ、王女であるセラフィーネと貴族を会わせたくないのかもしれない。
これは余計なことを言わない方が良さそうだ、と空気の読める彼女は口を閉ざした。
「見せたくないわけじゃない。ただ、世間慣れしてないお嬢様だから、貴方の顔を見て浮かれてしまうのではないかと心配してるだけだ」
「そう。可愛らしいところがあるんだね」
近寄って来たライナスはジェラルドの背後を覗き込み、黙ったままのセラフィーネに向かいニッコリと笑いかけてきた。
(なんだか、ジェラルドを挑発しているみたいだわ。友好的だと思ってたけど、もしかして仲が良くないのかしら?)
苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべたジェラルドは、セラフィーネに興味を持つライナスを腕を出して邪魔した。
「そこまでするなんて、よほど君にとって彼女は大事な存在みたいだね」
「いい加減にしてくれ。貴方もファレル侯爵家の子息なら、軽はずみな行動は控えるべきだ」
「そのファレル侯爵の子息という身分のせいで、僕は君から屈辱的な勝利を得たわけだけれど?」
「あれが俺の本当の実力だっただけだ」
言われた瞬間、ライナスの顔から表情が消えた。
「実力? 国境の警備で他国の密偵や盗賊を引っ捕らえてきた君がそれを言うとは、冗談もほどほどにしてもらいたいね」
「冗談じゃなく本気だ。それに俺一人で捕まえたわけじゃない」
「それでも噂は王都にまで届いていた。まあ、これ以上功績を上げさせたくなかった騎士団の一部の上層部が詰め所の雑務係を押しつけたって聞いたときは、馬鹿げてると思ったけれどね」
「空気を読まなかった俺が悪いだけのことだ」
「それは本気で言ってる? 僕は手加減されて勝っても嬉しくもなんともないんだけど」
何の話をしているのかセラフィーネにはサッパリ分からなかったが、何やら二人の間に因縁があるのは見てとれた。
騎士学校時代からの仲なら、ジェラルドの色んな話をライナスは知っていそうだ。
できることなら、お店に連れ込んで根掘り葉掘りと聞きたいところだが、空気の読める良い女のセラフィーネは口を挟むような真似はしない。
それにしても、ファレル侯爵の子息と知り合いとは案外ジェラルドも顔が広い男である。
(確かファレル侯爵って上位貴族筆頭の家柄だったわよね。その家の子息に名前を知られているなんて、ジェラルドって有名人なのかしら?)
彼女のその考えは実のところ大正解である。
確かにジェラルドは一部の貴族に名前が知れ渡っているが、悪い方の意味で有名なのだ。
なんせ彼は騎士団の上層部の顔に泥を塗ったのだから。
元々、騎士団に所属する上位貴族の子息は、ゆくゆくは騎士団の団長に就くのが慣例であった。
よって、新人騎士の腕試しで優勝させて自信をつけさせ、周囲に認めさせる趣旨も含まれていた。
けれど、貧乏伯爵家の三男だったジェラルドは賞金に目が眩んで本気を出して勝ってしまったのである。
上位貴族の子息を次期騎士団長にと思っていた人達の怒りを買うのも当然であった。
そのような事情もあるのだが、今はジェラルドとライナスのことである。
二人とも笑顔ではあるものの、どこか棘のある雰囲気を醸し出していた。
冷静そうには見えるので、いきなり取っ組み合いにはならないと思うが、セラフィーネは気が気ではない。
彼女が気まずそうに眺めていると、笑みを深くしたジェラルドが口を開いた。
「あの勝利はまぐれだったというだけだ。貴方の方が実力は上だっただけだろう」
「ほらね。そうやって僕と争うことを避けるんだから嫌になるよ。だけど、僕は君のことは嫌いじゃない。一部の上司や同僚から疎まれて厳しい環境の国境警備に飛ばされたり、実力に見合わない仕事をさせられていたことにずっと心を痛めていたんだ。だから、病弱とはいえ、セラフィーネ王女の近衛騎士になったと聞いたときはホッとしたよ」
近衛騎士とは聞こえはいいが、仕える相手は捨て置かれている王女である。
ライナスのように若い貴族達は、親が口を噤んでいることもあってセラフィーネが冷遇されていることを知らない。
本当に病弱で床に伏せっていると信じ切っている。
だから、王族の近衛騎士になったことに安堵しているのだろう。
実際はただの左遷であるというのに。
「俺のことを案じてくれて感謝する。だが、俺は冷遇されても別に気にしてない」
「……この間、上に手柄を横取りされたのに?」
「犯罪者を捕まえられたんだから、それでいい」
「無欲だね。上に行こうという気はないのかな?」
「ない」
ジェラルドはキッパリと言い切った。
微塵も思ってない意思が感じられる。
返事を聞いて眉を顰めたライナスは、盛大なため息を吐き出した。
「その気になれば騎士団長になれる実力を持っていながら、もったいない」
「俺の爵位じゃ無理だろうに」
「そんなことないさ。この国で王家の次に長い歴史を持つバークス家なら可能だよ」
「歴史があるだけで困窮しているような家だぞ。それに大した権力もない」
大昔はそうでもなかったが、今のバークス伯爵家の王城内での地位は高くない。
権力のあるファレル侯爵家とは雲泥の差がある。
と、ここでライナスとの会話が途切れたことにより、ジェラルドはチラリと時計台の方に視線を向けた。
「申し訳ないが、まだ用事があるんで行かなければならない。貴方もこんなところで油を売ってないで用事を済ませたらどうなんだ」
「ああ、本当だ。随分と話し込んでしまったみたいだね。デートの邪魔をして申し訳ない」
「……デートじゃないんだが」
「そういうことにしておいてあげる。じゃあ僕は行くよ。……そっちのお嬢さんもまたね」
清々しい笑みを浮かべながら、ライナスは人混みに消えてしまった。
彼の姿が見えなくなった辺りでジェラルドは額に手を置いて項垂れる。
他人からデートと言われてちょっと浮かれていたセラフィーネであったが、疲れた様子の彼が気になり、顔を覗き込んだ。
「お疲れ様」
「静かにしていてくれて助かりました」
「相手が貴族だったからね。私がセラフィーネだとバレないように隠してくれてたんでしょう?」
「まあ、そちらもありますけどね。ですが、面倒なことに巻き込んでしまい申し訳ありません」
「そのようなことはないわ。普段、貴方が同僚にどういう言葉遣いをしているのか知れたし、収穫はあったもの」
「思ってもいないところに着目してたんですね」
まあね、と言ってセラフィーネはいたずらっ子のように笑った。
意外なジェラルドの一面を知れて、恋する彼女は大満足である。
なんとなく暗い雰囲気が払拭されたことを感じ取った彼女はホッと息を吐いて口を開く。
「さて、気を取り直して画集と布を買いに行くわよ! 鐘が鳴るまで時間もないし」
「そうですね。セラ様の用事を済ませて、お茶をして帰りましょう」
「あら、いいわね。お茶なら最近開店したっていう洋菓子店に行きたいわ」
「了解しました。お付き合いしますよ」
完全に先ほどのことは過去のことになり、いつもの調子に戻った二人は残りの時間を目一杯楽しんだのだった。




