家族との距離感
ぼったくり店の摘発が終わったが、事後処理などがあって城下に騎士達が沢山いたこともあって、セラフィーネはしばらく城下に行けない状態が続いていた。
だが、事件から一ヶ月近く経ち、騎士も通常通りの勤務になっていたことから、ようやく彼女は城下に行けるようになった。
スキップしそうなくらいワクワクしていた彼女は、カツラを被って待ちきれないと言った様子で準備をしていると不安そうな顔をしたエレノアが声をかけてくる。
「姫様……。今日は止めておいた方がよろしいかと」
「そう? 空は曇っているけれど、別に雨は降ってないじゃない」
「いえ、天候の問題ではなくてですね……」
セラフィーネから視線を逸らしたエレノアは非常に言いにくそうに言葉を選んでいた。
城下に行くのに不都合があるという態度である。
言いたいことがあるのなら教えて欲しい、と彼女は腰に手を当てた。
「ハッキリ言ってちょうだい。今日は何があるっていうのかしら」
セラフィーネが少しきつめに尋ねると、諦めた様子のエレノアがゆっくりと口を動かした。
「……昨日、連絡役と会った帰りに他の使用人達が口にしていたのを聞いたのですが、本日はフレデリク殿下が他領地の視察に行かれるそうです。もしも、姫様が遭遇したら傷つかれるのではないかと思い」
理由を聞いてエレノアが言いにくそうにしていた訳に合点がいった。
というのも、セラフィーネには一歳違いの兄フレデリクと四歳違いの兄ルドルフがいる。
エレノアが言ったのは第二王子のフレデリク。
しかしながら、彼女は物心つく前にこの離宮に捨て置かれたので、顔はあまり覚えてはいないし思い出もかすかなものだ。
だから、見かけたところで別段どうとも思わないというのに、エレノアは心配しすぎである。
「馬鹿なこと言わないでくれるかしら。私をいくつだと思ってるの? お兄様の姿を見たからって動揺したりはしないわ。それに相手は馬車に乗ってるんでしょう? 顔が見えるかどうかも分からないわ」
「ですが……」
「大体、両親に愛されているお兄様を見て私が泣くとでも? むしろ、家族仲が良いのねと安心するわ。忌み嫌ってギスギスした家族なんて見たくないもの」
会いに来てくれない両親に傷ついたりもしたが、今のセラフィーネは両親に対して思うところなどない。
それだけ今の生活が幸せだと思っているし、日々充実している。
心に余裕ができれば、大抵のことには寛容になれるものだ。
どうかあちらも幸せであって欲しいと思うくらいである。
だが、幼すぎて記憶が曖昧なこともあって、両親はともかく兄達は彼女をどう思っているのか分からなかった。
もしかしたら両親と同じように嫌われているのかもしれないと不安になることもあったが、事実はまったくの逆である。
兄達は後ろをついて歩いてきては、舌足らずで話す彼女をこれでもかと可愛がっていた。
病気ということで離宮に行った後も、彼女の容態をずっと心配しているのだ。
けれど、話題を出すと両親が険悪な雰囲気になることから、彼らは空気を読んで彼女の名前を出さないようにしているだけ。
実際は両親に不信感を抱きながら今も彼女のことを思っている。
そうと知らないセラフィーネは、穏やかな気持ちで家族の幸せを祈っていた。
とは思っているものの、エレノアが心配する気持ちも十分に理解できる。
安心させるために、彼女は優しげな笑みをエレノアに向けた。
「だったら、馬車が来たって民達が騒ぎ出したら遠くにいく。それでいいでしょう?」
「行かないという選択肢はないのですね」
「次に城下に行けるのがいつになるか分からないんだもの。それに、早めにぼったくり店の元店員達の様子を見たいし、銀細工職人のおじいさんにもお礼を言わないと。特にお礼の方は時間を置いたら失礼になるもの。それに商品を買うという目的もあるしね」
セラフィーネの言い分に納得したのか、浮かない顔をしていたエレノアはようやく軽い笑みを浮かべた。
「……そこまで仰るのであれば、これ以上の反対はいたしません。では、あまり馬車には近寄らないようにお願いします。姫様の顔を見られて、妹君だと気付かれてしまっては大変ですから」
「心配しなくても兄は私の幼少時の顔なんて覚えていないわよ。それに変装もしてるしね」
幼子の記憶など曖昧なものだ。
精々、銀髪で琥珀色の瞳という印象しか残っていないだろう。
茶髪のカツラを被っているセラフィーネを見たところで、気付かれる可能性は限りなく低い。
以上のことから、彼女は己がセラフィーネであるとバレないと自信を持っていた。
問題は何も無くなったことでエレノアとの話を切り上げた彼女は、カツラの馴染み具合を鏡で見て上手くいっていることを確認する。
「これでよし! では、鐘が鳴ったら帰ってくるわ。……ジェラルド、城下に行くわよ」
庭で素振りをしていたジェラルドに声をかけ、セラフィーネはいつものように隠し扉から外に出たのだった。
城下に向かったセラフィーネは、まずぼったくり店の元店員達の再就職先まで足を運ぶことにした。
仕事の邪魔をするのは悪いと思い、声をかけることはせずに遠目から働く様子を眺めるだけに留めておいた。
中には仕事が休みだったのか会えなかった人達もいたが、大半は問題なく店に馴染んでいる。
残りの人達は今度様子を見に来ることにしようと決めた彼女は、次に銀細工のお店へと向かう。
「お邪魔するわよ!」
セラフィーネの元気な声に奥にいた銀細工職人の店主は眉を顰めた。
「静かに入ってくることもできんのか」
「あら、挨拶って大事でしょう?」
「大事だが、声の大きさを考えろ。他の客に迷惑だ」
「ちゃんと店内にお客さんがいないことを確認したわ」
「……まったく。ああ言えば、こう言うお嬢さんだな」
「うふふ。ありがとう」
「褒めとらんわ!」
まるでコントのような軽快なやり取りだ。
店主も文句は言っているものの、本心から言っていないのは口元が緩んでいることから察せられる。
「で、今日はどうした?」
「今日は、先日のお礼を言いに来たのよ。ほら、貴方からの情報が役に立ったから」
「別に知っていることを話しただけで、礼を言われるほどのことじゃあない」
「でも、こんなに早く事件が解決したのは、やはりおじいさんのお蔭だもの。本当にありがとう」
心からの感謝の言葉に、店主は感情を露わにしないようにしながらもどこか嬉しそうにしていた。
ニヤニヤしそうなのを必死に押さえていた彼は平常心を装いながら口を開く。
「礼を言いに来ただけとは随分と暇なんだな。まあ、わざわざ言いにくる律義さは嫌いじゃないが。だが、他の客が入りにくくなるから、用がないならもういいか?」
素直になれない店主の言葉を疑うことなセラフィーネは受け取ってしまう。
感謝を伝えるという理由もあったが、本当の目的は別にあったことを思い出す。
「いけない。もうひとつの目的を忘れるところだったわ」
「思い出してくれて良かったです。いつツッコミをいれようかと悩みましたよ」
「だったら、序盤でいれなさいよ! いつもなら即座に動くくせに」
「申し訳ありません。脱線する様が面白……愉快だったもので」
「わざと悪意のある言葉を選ばないでちょうだい!」
止めなければいつまでも続きそうな主従たちの言い合いを見てられなかったようで、店主は杖で机をコンコンと叩いて彼女達の会話を止まらせた。
「あんたらが仲の良い相棒だってことは分かった。話があるなら早くしてくれ」
「そ、そうだったわね……」
コホンと咳払いをして、セラフィーネはこの緊張感のない空気をどうにかしようと仕切り直す。
「商品を買うという約束を果たしにきたのよ。日用品で使えそうなものはないかしら?」
「あんな口約束を覚えているとは本当に律義だな。うちは燭台やら小物くらいしか作ってないが……。ああ、そうだ。店内に見本を置いてあるから、それを見て決めてくれ」
店主の言葉を受けて、セラフィーネは店内をグルリと見回した。
棚に置かれている燭台を見た彼女は、興味深そうにジックリと観察している。
その内のひとつ、手持ち用の燭台に目を留める。
とても綺麗な曲線を描いているそれを、彼女は一目で気に入ってしまった。
「では、これをいただくわ。このように見事な曲線のものはあまり見ないもの」
「それは儂が一番良くできたと自負しているものだ。中々見る目があるな。その目に敬意を表して少しまけておいてやろう」
「ありがとう! とても良い買い物をしたわ」
「金持ちのお嬢さんに褒められると自分の腕に自信が持てるな。……それにしても、騎士団が首謀者を捕まえたって聞いたが、最初に騎士団が動かなかったことを考えると、あれはあんたらが捕まえたんだろう? 手柄を騎士団に横取りされるとは、あんたらも大変だな」
労るように言われたことから、店主は心底同情しているようだった。
それには色々と事情があるのだが、セラフィーネ達は教えることができない。
「結果的に捕まえられたのだから、"誰が捕まえたか"なんて些細なことだわ」
「謙虚なもんだ」
「そうでもないわ。それに、一人だけでも真実を知っている人がいればそれでいいのよ。多くを求めすぎたら全部取りこぼしてしまいかねないなんもの」
セラフィーネの発言に店主は驚いたように目を瞬かせている。
「随分と年齢よりも大人びた考えをしてるんだな。見たところまだ十代後半だろうに」
「鋭いわね。十六よ」
「最初の言動はアレだが、しっかりしてるな」
「一言余計だわ……!」
ふくれっ面のセラフィーネを見る店主の目には、もっと子供かと思ったという考えが透けて見える。
それに彼女は気付いたが墓穴を掘りたくなかったこともあり、文句は言わないでおいた。
すると、話が終わったことで次の作業にはいるのか、手に持っていた道具を置いた店主が引き出しを開け始めて何かを探し始める。
他の引き出しも開けては閉じてを繰り返しているが、目当ての物は見つからなかったようで、軽く舌打ちをした。
「しまった……。修理に出したのを忘れておった」
手を止めた店主は、参ったなぁという表情を浮かべていた。
「どうかしたの?」
「いや、引き出しに眼鏡を入れておいたんだが、修理に出してたことを思い出してな。大体の作業は眼鏡がなくてもいいんだが、細かい作業は眼鏡がないと出来んのだよ。だからまとめてこれからやろうと思っておったんだが……。困ったな、今日が期限のものあるというのに」
どうしたものかと店主は途方に暮れている。
杖を持っていたことから、セラフィーネは彼の足があまりよくないのを察していた。
もしかしたら、彼女でも何か手伝えるかもしれないと思い、彼女は尋ねてみようと口を開く。
「……ねえ、修理に出したのは最近? まだ終わってないの?」
「いや、いつもならそろそろ終わってるとは思うが、ちょっと離れた店だから行くのが億劫でな」
「なら、私が引き取りに行ってあげるわ! 杖を持ってるということは、足が良くないんでしょう? ついでに何か買うものがあれば代行もするわよ」
出会って数日しか経ってない相手を信用してくれるかは分からないが、足の悪い店主の移動は時間がかかる。
セラフィーネが行った方が彼も早く仕事に取りかかれるだろうし、それくらいなら役に立てるという思いから申し出た。
「眼鏡を引き取って、買い物をする時間くらいあるから大丈夫よ。それに、買う物があれば貴方のお金じゃなくて、私のお金で立て替えておくから心配しないで」
「いや、儂はあんたらが金額を誤魔化すような奴らじゃないと信用しとるよ。申し出はありがたいし、正直助かるのは確かだ。だが、弟子でもないあんたらに頼むのは申し訳がなくてな」
「困っている人を放っておくのは私の主義に反するもの。それに、情報を提供してくれたお礼もしたいしね。それだったらいいでしょう?」
迷っていた店主は見返りはいらないというセラフィーネの言葉にしばらく考え込んだあと、たっぷり時間を置いて、なら頼むと承諾してくれた。
ついでに、少し離れたお店にある商品をいくつか買ってきて欲しいと頼まれ、修理済みの眼鏡を本人に代わり彼女が受け取ると記した紙を受け取った。
「じゃあ、行ってくるわね」
「気を付けるんだぞ」
手を振って外に出たセラフィーネ達は、まず修理の終わった店主の眼鏡を引き取りに行くことにした。
店主の代理という紙もあったので、得に揉めることもなく無事に眼鏡を受け取ることができた。
店を出た彼女は、メモも見ながら頼まれた残りの物を確認する。
「あとは……ヤスリとチーズ、それにパンね。お店まで指定してくれたから楽勝だわ」
「では、まず大通りのお店から行きましょう。フレデリク殿下の馬車は午後から出発ということだったので、今なら鉢合わせることはないかと思います」
「別に鉢合わせたところで、遠目に眺めていればいいだけよ。エレノアと同じでジェラルドも心配症ね」
「避けるに越したことはありませんからね。さあ、行きましょう」
いつになく急かされ、セラフィーネは肩を竦めるも特に反論することなく目的の物を買いに大通りに向かう。
迅速にチーズとパンを買って店を出ると、店に入る前はそれほど人通りも多くなかった通りが今は人で溢れかえっていた。
まるで誰かの訪れを、というかこの場合はフレデリクが乗った馬車が通り過ぎるのを待っているかのようだ。
「……馬車は午後から出発だって言っていたわよね?」
「はい。予定ではそのように。ですが、早まったのかもしれませんね。なるべく早くこの場から離れましょう」
やや強引にジェラルドがセラフィーネを大通りから遠ざけようと人混みを掻き分けて隅の方から路地に入ろうとする。
だが、そこで集まっていた群衆が一際大きな歓声を上げ始めた。
(ああ、馬車が来るのね)
他人事のように思いながら、それでもちょっと気になったセラフィーネは足を止めて、群衆の視線の先を眺めていた。
少しして、遠くの方からやってきた馬車の上部が見えてくる。
人が多いので、それぐらいしか視界に入らない。
ゆっくりと移動しているところを見ると、群衆に手でも振っているのだろう。
(ちょっとしか見えないけど、豪華そうな馬車だと一目で分かるくらいに装飾が施されてるわ。さすが第二王子を乗せてるだけあるわね)
質素な服に身を包んだセラフィーネとは雲泥の差だ。
けれど、羨ましいなどと彼女は思わない。
(エレノアやジェラルドから聞いただけだけど貴族は腹の探り合いが普通だそうだし、想像しかできないけど、色々と鬱憤が溜まるんじゃないかしら? それを考えると、あちらはあちらで大変だと思うわ)
ボーッと眺めていると、隙間から馬車に乗っている兄・フレデリクがこちら側に向かって手を振っている姿が群衆の合間から見えた。
細かい顔の部分までは分からなかったが、それでも堂々としていて笑顔を振りまく様は、さすが生まれながらの王子と感心するほどだ。
十年以上ぶりに家族の姿を見たセラフィーネは一方的とはいえ、再会できた喜びに目を細める。
兄は両親のどちらに似ているのだろうかなどと考えてしまう。
一方、ここに妹がいることなど知る由もない彼は、疲れや公務に対する不満など微塵も感じさせない態度で民衆に手を振っていた。
「……頑張ってね」
想像のできない世界で生きている兄を案じたセラフィーネが呟くと、手前の群衆に手を振っていたフレデリクの顔が後方へと移動する。
その瞬間、セラフィーネは彼と視線が合った様な気がした。
けれど、気のせいだったのか彼はすぐに他の場所へと視線を移す。
笑みが崩れなかったところを見ると、目が合ったと思ったのは彼女の勘違いだったようだ。
一目でも家族の元気な顔を見られて良かったと思いながら、彼女は軽やかに振り返った。
「それじゃあ、ヤスリを買って帰るわよ。おじいさんが待ちくたびれてるわ」
「……そうですね」
フレデリクと会った感想を敢えて聞くようなことはせず、ジェラルドとセラフィーネは足早にその場を後にする。
けれど、そんな彼女達の後ろ姿をジッと見つめる人物がいた。
その人は目を細めて、去って行くセラフィーネの姿を見えなくなるまで見送っていたのである。
「……あの子、若い頃のお祖母様に雰囲気が良く似ている」
ポツリと囁かれた言葉は群衆の声にかき消され、誰の耳にも届かない。
そうして、次に考えたのは彼女の隣にいた男のことだった。
(隣にいた男は騎士のジェラルドだった。何度も見に行ったから間違えるはずがない)
仕事中のジェラルドがこの場にいるとなると、考えられることはひとつしかない。
その人物の祖母に似た子の側にいて、守るように周囲を警戒していた彼。
だが、頭に思い浮かんだ子供は病弱で、到底城下に行けるような状態ではなかったはずである。それに、年齢が同じくらいでも髪の色が違う。
あり得ないと一蹴したいが、彼女の見た目や雰囲気がそう思わせてくれない。
「……ともかく、彼女のことを報告して指示を仰ぐとしよう。もしそうだったら、きっと楽しいことになる」
その人物の口調はまるで長年待ち侘びていた人との再会を喜ぶようなものであった。