再会と二人の未来
王宮に移動してきたセラフィーネが中を出歩けるようになったのは一年で最も暑い季節が終わりを迎えた頃。
その間に国王の退位や兄ルドルフの即位がすでに行われており、彼女の母親への事情説明も終えていた。
このため王宮内では非常に色々なことがめまぐるしく変化していた。
とはいえ、病み上がりという設定の彼女の周囲には影響はない。
なんせ、出歩けるのは一時間だけという制限付きの上、一緒にいるのは他の使用人達から敬遠されているエレノアとジェラルドのみ。
そのため、話しかけられることはほとんどなく、王宮内で何が起こっているのか知ることもできなかった。
彼女は父親達のことを人づてに聞いてはいたが、短時間しかであるけないこともあり手伝うこともままならない。
自分だけがこんなにゆっくりと穏やかな毎日を送って良いものかとも思ったが、今は仕方がないと言い聞かせるしかなかった。
手伝うのは後からでもできる。そのときまで体力を回復させたと思わせればいい、とセラフィーネは日課となった散歩をしていたところ、離宮の方に向かう一行を見て足を止めた。
中でも、一番先頭にいた高貴そうな女性にどこか見覚えがあった。
どこで見たのかと首を傾げていると、彼女の耳元に顔を寄せたエレノアが「あの方が王妃様です」とそっと教えてくれたのである。
「道理で見覚えがあると思ったわ。……離宮の方に向かっているということは、あちらに移るのは今日だったかしら? 誰でもいいから教えてくれれば良かったのに」
「陛下が退位されてすぐですし、城内や王宮も慌ただしく動いていますから、姫様に伝え忘れていたのでしょう。ルドルフ陛下とフレデリク殿下も即位式のことで手一杯でしょうし」
「だとしても、ここで私はどう行動したらいいのかしら? さすがに見ない振りをして通り過ぎるのは失礼ではなくて?」
セラフィーネは母親と顔を合わせることはあるだろうと思っていたが、それは"いつか"だと思っていた。
まさか、こんなに早く会うことになるとは想定していなかったので、どういう態度を取ればいいのか誰にも相談できていない。
話しかけるべきかどうかを悩んでいたところ、視線に気付いたのか母親の目が緩やかに彼女に向けられる。
母親は彼女のシルバーブロンドの髪を見てハッとしたように息を飲むと、どこか申し訳なさそうにしながら軽く頭を下げてきた。
それだけで、母親がセラフィーネを拒絶していないことが分かる。
胸をなで下ろした彼女は、つられてその場で一礼をする。
しばらく無言で見つめ合う二人だったが、母親は侍女に声をかけられたことが切っ掛けで再び移動をし始めてしまう。
何か声をかけなければ! と焦った彼女は母親の後ろ姿に向かって口を開いた。
「お、落ち着いたらお父様やお母様に会いに行くわ!」
予想していたよりも大きなセラフィーネの声は静かな王宮内によく響いた。
一瞬だけ足を止めた母親の体は震えており、目には涙が滲んでいる。
振り向いた母親は、ぎこちない笑みを浮かべながら無言で大きく頷いた。
会いに行くことを拒否されなかったセラフィーネは喜びで頬を紅潮させる。
母親の姿が見えなくなっても、彼女はずっと佇んだまま幸せを噛みしめていた。
「姫様、そろそろ私共も移動致しましょう。留まったままでは、他の使用人達が何かあったのかと集まってきてしまいます」
エレノアとしては嬉しさに浸っているセラフィーネを現実に引き戻すのは気が引けたが、彼女の散歩の邪魔をさせたくなかった。
エレノアの言葉でここが王宮の廊下であったことを思い出したセラフィーネは周囲を見回した。
すると、心配そうに彼女を見ている人達がいるのが目に留まる。
(幸せな気持ちのままいたいけれど、これは移動した方が良さそうね。それに、お母様に会えたことをお兄様達に報告しておきたいわ。ここで、使用人達に話しかけられて体調が悪くなったと思われたら部屋に連れ戻されて、それも叶わなくなってしまう)
まだ散歩を始めたばかりで部屋に逆戻りするのは避けたかった。
兄達への報告もしたいことから、セラフィーネは特に目的もなかったが、そそくさとその場を後にする。
彼女の姿が遠くなるにつれて、向けられる視線の数も減っていく。
(やっと皆の視線が他に行ったわ。それにしても、こうも至るところに人がいるのは慣れないわね)
王宮にきた始めの頃は誰かの足音や喋る声が聞こえるのは、新鮮であった。
けれど、少人数に慣れていたセラフィーネにとって、どこに行っても注目の的になることは心身共に疲れる。
城下では、ただの一般人として人目を引くことがなかったので、それほど疲労を感じたことはないが、王女という身分だけでここまで関心を持たれるとは思ってもいなかった。
途端に彼女は城下での出来事を思い出し、皆の顔を見たくなる。
しかし、今の状況からは考えればそれは無理というもの。
「いっそ、健康体と変わらないと言ってくれれば楽になるのに。そうしたら堂々と城下に行けるもの」
漏らした愚痴に、少し後ろを歩いていたエレノアは我関せずといったように口を噤んでいた。
逆に散歩に付き従っていたジェラルドは周囲に人がいないのを確認した後で苦笑しながら小声で声をかけてくる。
「いきなり長時間動かれると仮病だったのではないかと誤解を招きますよ。まあ、誤解というか本当のことですけど」
「だから段階を踏まなければいけないのは分かっているけれど、短時間だけでは不満なのよ。行ける範囲も限られているし」
「もうしばらくの辛抱ですよ。貴族達に紹介されれば、健康体と変わらないと思われるでしょうから」
「それでも気軽に出歩くことはできないでしょう? 城下にもしばらく行けそうにないでしょうし……。それを考えると離宮での暮らしは私にとって最高だったのかもしれないわね。ジェラルドと話していても咎められることもなかったし」
セラフィーネは王族として育てられてきたわけではないが、前の侍女やエレノアから貴族社会の常識は教え込まれていた。
だから、特定の異性と親しくすることの危険性も理解している。
王女という身分の彼女に嫌味を言うことはないだろうが、ジェラルドは別だ。
きっと、彼に貴族達のやっかみが集中するだろうと想像できた。
「俺としても前の環境は理想的でしたよ。なんせ、セラフィーネ様と二人で出掛けることができたんですから」
「仕事だけれどね」
「仕事でもセラフィーネ様の時間を独り占めしていたのですから大差はありません。……とはいっても、このままの言葉遣いだと注意をされてしまうのは確実なので、変える必要があるのが面倒だとは思いますが」
「さては後半が本音ね」
「さあ、どうでしょう?」
そう言って、ジェラルドは意地悪く微笑んだ。
両思いになったのに、彼のこうした面は一向に変わる気配がない。
けれど、その態度があるからこそ、セラフィーネも平常心を保っていられる。
結局のところ、彼女はジェラルドとの言葉の応酬を楽しんでいるのだ。
貴族との堅苦しい会話より、言いたいことを言い合える方が性に合っている。
「まあ、いいわ。それよりも、これからの詳しいことを早く教えてもらいたいわね。私が貴族の前に出るのはいつになるのかとか分からないことはたくさんあるもの」
ふむ、と顎に手を当てたセラフィーネであったが、その背後からタイミング良く城から戻ってきたばかりのフレデリクが姿を見せる。
彼は妹が立ち止まっているのを見つけると、令嬢達が頬を染めるような優しげな笑みを浮かべた。
「やあ、体調はどう?」
振り向いたセラフィーネは、相手がフレデリクであることを確認するとニコリと微笑みを浮かべた。
「城下が恋しくて死にそうよ」
セラフィーネの表情と台詞のちくはぐさにフレデリクは堪えきれずに笑い声を上げる。
「病弱という設定なのだから、仕方がないだろう。貴族達にも紹介を終えれば、自由な時間は増えるさ」
「……貴族達との交流は億劫だけれど、我が儘は言えないわね。こうなった以上は王女としての仕事を真面目にこなすわ」
王族としての自覚のある言葉にフレデリクは嬉しそうに頷いた。
だが、セラフィーネには彼に報告したいことがあったことを思い出す。
「ああ、そうだわ。実はさっき、離宮に向かうお母様と遭遇したの。お話をすることはできなかったけれど、『落ち着いたらお父様やお母様に会いに行く』と伝えたら、頷いてくれたのよ! 本当に嬉しかったわ」
「説得は難航したが、父上が事情を話したお蔭で予想よりも早くセラフィーネのことを受け入れてくれたからな。ただ、合わせる顔がないと落ち込んでもいたけれど。だが、君にとって良い再会になって良かった」
「そうね、嫌われたままでなくて安心したわ。貴族達の声の届かないところで、父上と穏やかに過ごして欲しいもの」
両親を気遣うセラフィーネの言葉に、フレデリクは少しだけ眉を顰めた。
「幼い君を拒絶したことに文句のひとつでも言いたくならないのか?」
「文句を言っても過去は変わらないもの。恨みの感情に囚われていたままじゃ、良いことがあっても気付きにくいし何でも悪いように取ってしまうわ。なら、誰も恨まずに前だけ見ていた方が人生が楽しくなるのではなくて?」
曇りなき眼でしっかりと口にするセラフィーネの姿に、フレデリクは圧倒されていた。
とてもじゃないが、冷遇されていた王女の言う台詞ではない。
ドロドロとした貴族社会で生きてきた彼は彼女の言葉に少なからず衝撃を受けた。
一方、当たり前のことを言っていたセラフィーネはこれ以上、話題を引っ張ることなく、次の話題を口にし始める。
「ところで、お父様が退位されてルドルフお兄様が即位されたのでしょう? ということは、私のお披露目はいつになるのかしら?」
「……あ、ああ、兄上の即位を祝うパーティーがいいんじゃないかと思ってる。多分、近いうちに開催するはずだ。今はバタバタとしているけれど、新国王のお披露目は早いほうがいいからな」
「一応、その場では具合が悪そうにしていた方がよくて?」
「回復したことを見せる場だから、そこまで弱々しく見せなくても大丈夫だ。ただ、いつものように元気な発言は控えて欲しい。あと、言葉遣いには気を付けて。出来る限り敬語でお淑やかにすること。それから、無闇に歩き回らないこと」
「注文が多いわ!」
求められるものがありすぎる、とセラフィーネは文句を言うと、フレデリクは困ったように苦笑している。
「病弱で甘やかされてきた我が儘な王女、というのは有り得るものだから、ありのままの君を見せるのもいいけれど、君の縁談に差し支えることになる。それでもいいというのか?」
「構わないわ。私にはジェラルドがいるから何も問題は無いもの」
自信たっぷりに言ってのけるセラフィーネと満足げなジェラルドを見たフレデリクは、二人が相思相愛になったことを察する。
彼は最初に会ったときから、二人が想い合っているのに気付いていた。
だから、彼はジェラルドに対して棘があったのである。
可愛い妹が近衛騎士の毒牙に、と言ってルドルフに愚痴を言ったこともあったが、彼女の幸せのためと二人が両思いになった後のことを色々と話し合ってはいた。
けれど、身分差の恋は秘密にするものだと思っていた彼は、こうもあっさりと言われると思っていなかった。
なのに、こうも馬鹿正直に答えるのだから、フレデリクは彼女の素直さが可愛くて仕方がない。
ジェラルドのことは気に入らないが、それでも可愛い妹のために一肌脱ごうと彼は二人の気持ちを確認するため口を開く。
「バークスもそう思っているのか?」
「はい。セラフィーネ様と人生を共にしたいと思っております。いずれ結婚の許可を頂ければと」
「そう。……面白くはないが、ここで二人の気持ちを確認できて良かった。実のところ、バークス自身に何も問題はなく……まあ、ちょっと協調性に欠けるけれど……。それでも、騎士としては優秀で比較的人格者だから、セラフィーネを任せたいという気持ちはある。だが、どうしても釣り合いが取れない。……なので兄上とも話をして、ある解決策を考えた」
「解決策? ということは、俺達の仲を反対はなさらないと」
「僕達だって妹は可愛い。いくらなんでもセラフィーネの結婚を政治に利用しようとなんて思っていない」
元から病弱で王女としての教育を受けていないと思われているセラフィーネの嫁ぎ先を見つけるのは難しい。
王家の恥を広めるわけにはいかないので、本当のことを説明して嫁がせるのはリスクが高すぎる。
となると、子供を産む必要のない妻に先立たれた跡継ぎのいる年配の貴族ぐらいしか婿として当てはまる人物はいない。
けれど、それはさすがに冷遇され続けてきたセラフィーネが不憫だ。
せめて結婚相手ぐらいは自由に選ばせてあげたいというのが兄達の考えであった。
幸いジェラルドは騎士としても優秀な人物。彼女を任せるにはもってこいである。
よって、ルドルフとフレデリクは彼に妹を嫁がせる方法を考え、ひとつの案に行き着いた。
「だから、今回の人身売買の件でバークスの功績を利用しようと考えついた。僕の護衛をして、エイムズ伯爵の魔の手から守ってくれただろう?」
「騎士として当たり前のことをしたまでです」
「だが、近くにいた騎士達は動くのが遅れた。君だけが、危険を察知していち早く行動していた。それで、兄上と話し合った結果、騎士として素晴らしい働きをした君に勲章を授けようということになったんだ」
思ってもいないことを言われ、セラフィーネとジェラルドは「は?」と同時に声を上げる。
「お待ち下さい。今回の件はそれほどのものとは思えません」
「王子の命を守ったのだから、同等だ。文句は言わずに大人しくもらっておいた方がいい」
「ですが」
「まあ、何を言ったところでこれは決定事項だ。僕達としても、ただの騎士にセラフィーネを嫁がせることはできない。それに与えるのは勲章だけ。結婚したいならせめて騎士団長になるくらいしてもらわないと。欲を言えば爵位もあったら理想的だが、これは君の今後の働き次第だろうな」
つまり、お膳立てはするけど、上に行けるかどうかはジェラルド次第ということだ。
爵位も得るとなると、道のりは簡単ではない。
黙り込んだままのジェラルドにフレデリクは厳しい目を向ける。
「もしかして、出来ないって諦めるのか?」
「いえ。むしろ、やる気が出てきました」
ジェラルドの目には強い覚悟の意思が感じられた。
それを見て、フレデリクは表情を緩める。
「世間知らずだと思ってたけれど、セラフィーネは人を見る目があるようだ。気概のある男で嬉しく思う」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げたジェラルドにフレデリクは笑みを深めた。
「じゃあ、頑張って。……それとセラフィーネ。他にも聞きたいことはあるかい?」
「今のところはないわ」
「そう。なら、僕はもう失礼するけれど、王宮にはいつもいるから、何かあったら何でも聞くといい」
フレデリクは、それだけ言うと振り向くこともなく従者や侍女達を引き連れて、その場を後にした。
彼の姿が見えなくなった辺りでセラフィーネは安堵の息を吐き出した。
「お兄様達が反対するようなことにならなくて良かったわ」
「まさか勲章を頂けるとは思いもしませんでしたけれど、期待に応えられるように努力しないといけませんね」
「そうね。ジェラルドだけに負担をかけるわけにはいかないから、私も全力で貴方を応援してあげるわよ」
「……どうなるか想像がつかないので、程ほどにお願いします」
「そこは素直にお願いしますと言いなさいよ!」
最後はいつものような応酬になったことで、ずっと大人しくしていたエレノアは呆れ顔だ。
一方、調子を取り戻したセラフィーネはジェラルドと顔を合わせて微笑み合っていた。
次で最終話となります。




