見つけた使命と恋
約一年ほど前。
騎士が来ると報せを受けたセラフィーネは、喜びのあまり広いベッドの上で枕を抱えて寝転がっていた。
(騎士が来てくれるなら、これで外に出られるわね! どんな理由で来るのか分からないけれど、幸運としか言い様がないわ)
ヒャッホー! と飛び上がったセラフィーネはエレノアに買ってもらった、いつか来るかもしれない城下に遊びに行く時に用意していた変装用のカツラを振り回しながら離宮中を駆け回った。
これまで従順で王城内でも優先順位の低い彼女の行動を監視する人間はいない。
要求する物を与えているんだから反旗を翻すこともないだろうと、ある意味で信頼を得ていたのだ。
国王は完全に彼女を舐めきっていた。
そうして配属されたジェラルド・バークスという青年は、アレンス王国が建国してから続いているという歴史があるだけの貧乏伯爵家の三男という男であった。
騎士学校を卒業後、二年ほど国境警備騎士をした後に騎士団の詰め所で雑用係をしていたという経歴の持ち主である。
初めて見た彼は、夜を思わせる藍色の髪、深緑色の瞳をした端正な顔立ちの青年で、一見すると騎士には思えないほど優男に見えた。
軽く微笑んでいることが多い彼だが、それ故に何を考えているか読めない男であった。
だが、そんなことは彼女にとってどうでもいい。
外に遊びに行ける機会が巡ってきたことに感謝し、彼が仕事に慣れた辺りで変装を済ませた彼女はジェラルドに話を切り出した。
「城下に行くから着いてきなさい」
「お待ち下さい。セラフィーネ様の外出は禁じられているはずですが」
「大丈夫よ。これまで大人しくしていた私が今になって外に出ようだなんて、あっちは考えてもいないわ。大方、この年齢で近衛騎士が一人もいないなんて世間体が悪いから寄越しただけだでしょう」
「確かに、十六歳になられるのに、騎士の一人もいないのはおかしいから、と上司は言っていましたが」
「ほら、見なさいよ。あっちは無茶なことをしないって信じ切ってるじゃない。どうせ、監視なんていないし、外に出たところでバレないわ。長年、離宮から一歩も出ずに大人しくしていて正解だったわね。……ということで、行くわよ」
勇み足で庭に出て行くセラフィーネの姿を引き留めながら、ジェラルドは近衛騎士になったことをちょっとだけ後悔した。
城下の大通りに着いたセラフィーネは人通りの多さと活気に圧倒され、呆然と立ち尽くしていた。
「本当に人で溢れかえってる。エレノアから聞いていた以上の光景だわ……」
「大通りは店も多いですからね。さあ、通行の妨げになりますので、端に寄って下さい」
「え、ええ」
足元が覚束ない中、ゆっくりと端に寄ったセラフィーネは賑やかな町並みを見て目を輝かせる。
いつもは数人しかいない離宮での生活だったので、何もかもが珍しくて仕方がない。
初めて見た外はこんなにも美しいものだったのかと感動で心が震えた。
「……凄いわ。本当に凄い」
セラフィーネは初めて見る人の行き交う姿を目に焼き付けていた。
(……お父様にあまり興味を持ってなかったけど、君主としては優秀なのね。民の顔を見れば生活に満足していることが分かるもの。それに至るところに色んな物が売られているということは、この国は割と裕福ということよね)
頬を紅潮させて興奮していたセラフィーネだったが、同時に我が儘を言って贅沢していたことが急に恥ずかしくなってくる。
エレノアから王族や貴族は民からの税収などによって収入を得ていると話で聞いていたが、彼女はそれを聞いてもどこか他人事のように感じていた。
けれど、外に出て行き交う人々を目の当たりにしたら、ここに暮らす人々は自身と同じ生きている人間なのだと身に染みて分かった。
王族としての義務も果たしていないのに、外に出られないという条件はあるものの我が儘を言って必要以上の物を持ってきてもらっていたことに後ろめたさを感じる。
(私は現実を何も分かってなかった……。外に出られないことを免罪符に好き勝手をして……。そんなことをして作った場所は私の居場所になるはずもないのに)
彼女は器の小ささを思い知らされた。
恥ずかしくて悔しくて消えてしまいたい。
そんな思いからセラフィーネは下を向いて拳を強く握った。
急に様子が変わった彼女に気が付いたジェラルドが窺うように声をかけてきた。
「ご気分が優れませんか?」
「いいえ、違うわ。体調が悪くなったわけではないの」
「ですが、少々様子が」
「……そう、ね。様子がおかしく見えるのは、王族としての義務を果たさずに民のお金を使っていたことを自覚して後悔していたからよ。欲しくもないものを要求してお金を無駄に使ったりして……私は何をしていたのかしら、ってね」
納得するように、ああ、なるほど、と言ったっきり、ジェラルドは黙り込んでしまった。
税金の無駄遣いをしていたことを責めてくれた方が楽である。
沈黙に耐えかねたセラフィーネは何も言えずに指をしきりにいじっている。
横目で彼女の様子を見ていたジェラルドの口元が僅かに緩んだ。
細められた眼差しは優しく、心から笑っていると見てとれる。
気まずくなって顔を上げた彼女の目に映る彼の目を見ていたら、胸が一瞬だけ高鳴った。
今のは何だと疑問に思っていると、ゆっくりと彼が口を開く。
「大抵の貴族令嬢は民からの税金だなんて気付きもせずに親の金だと信じて使ってますよ。むしろ気付く令嬢の方が少ないと思います」
「励ましてほしいわけではないのだだけれど」
「事実を述べたまでです。それに、大事なのは気付いた後にどう行動するかではないですか?」
「どう、行動するか……」
「ええ。今までのように好き放題に暮らすか、改めるかです。ですが、セラフィーネ様は現状維持を求めない方のように俺には見えます」
(そうよね。ジェラルドの言う通り気付いたのだから、今までのようには暮らせないわ。これからは必要なものだけを持って来てもらうように頼まなくては。でも、それだけでは私が納得できない。何か他にできることはないかしら?)
罪滅ぼしとは違うが、無駄にお金を散財していた埋め合わせはしたい。
けれど、セラフィーネにはどうすればいいのか思い付かなかった。
「…………ダメね。改めたいけれど、何も良い案が思い浮かばないわ」
「すぐには思い付きませんよ。……ですが、歩いている内に何か案が浮かぶかもしれませんし、大通りは治安も良いですから気分転換がてら案内しますよ」
どうしようかと悩むセラフィーネだったが、初めて離宮の外に出たこともあって色んなお店に興味津々でもあった。
なので、ジェラルドの言葉に甘えることにした。
彼は頻繁に城下に来ていたようで、有名なお店のことにかなり詳しく、自身の財布から彼女にあれこれと買ってくれたのである。
彼と顔見知りの店主もいたりして話が弾む中、説明するのが難しかったのか、知らない内に彼女は世間知らずのお嬢様、という設定にされていた。
王女だとバレては大変だったので、彼女はこれ幸いと田舎から出てきた商家の令嬢・セラという設定をつけて初めての城下を大いに楽しんでいた。
そうして、お忍びで城下へと遊びに来ることが増えたセラフィーネは、微妙に距離感のあったジェラルドとも、ある程度親しくなっていた。
また、城下に来る度に街の人の優しさや親しみやすさに触れてどんどんアレンス王国とそこに住まう人達が好きになっていった。
しかし、彼らの税金で贅沢な暮らしをしていた埋め合わせは残念ながらまだ思い付かない。
喉元まで出てきているのに適切な言葉が出てこないのである。
悩んでいたセラフィーネに転機が訪れたのは両手では数えられないほど城下に遊びに来ていたある日のことであった。
セラフィーネは休憩がてら壁にもたれかかっていると、どこからか女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。
即座にジェラルドは彼女を背に庇い、悲鳴が聞こえた方を睨みながら腰に下げていた剣の柄に手をかける。
庇われているというのに背中からヒョコッと顔を出した彼女は、こちらに走ってくる凄い形相の男を見て目を見開いた。
「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」
その声で男が犯罪を犯して逃走していると理解する。
民が一生懸命働いて貰ったお金を盗むなど許せるものではない。
捕まえないと! と、何か利用できるものはないかとセラフィーネが周囲を見回すと、壁に立てかけられている長めの棒が視界に入った。
「ちょっと借りるわよ」
どこかにいる所有者に断りを入れたセラフィーネは返事を待たずに棒を手に取ると、道に対して垂直になるよう、それを置いた。
逃走する男はかなり興奮しているようで、道端に置いてある棒が目に入っていない。
男が棒の手前まで来たのを確認しすると、彼女は持っていた棒を相手の足首辺りまで持ち上げる。
ものの見事にお手本のように棒は男の足に引っかかり、醜い声を上げながら顔面から地面に突っ伏した。
突然の彼女の行動にジェラルドは動くのを忘れて呆然としている。
「何を呆けているの? 仕事よ、ジェラルド。この男を捕まえなさい」
「ですが、俺の仕事はセラ様の護衛で」
「そうだけれど、近衛であっても貴方は騎士。犯罪を犯した者を見逃すの? その剣を国に捧げたのなら、国に住まう民を守るのは騎士の務めではなくて? ほら、行きなさい」
小声であっても威厳に溢れた口調で言われた言葉にジェラルドは目を瞬かせる。
動こうとしない彼に業を煮やしたのか、セラフィーネは背中を押して、打ち所が悪かったのか未だに蹲っている男の前まで押し出した。
困ったお姫様だとジェラルドは思いながらも、彼女の言葉に忘れていた騎士の誇りを思い出したのも事実。
捨て置かれたといっても彼女の志は立派な王女だと確認した彼は覚悟を決めた。
素早く動いた彼は俯せになっている男の背中に片足を乗せて腕を捻り上げる。
逃げようともがいていた男であったが、ジェラルドの力が強いのか碌に身動きも取れない様子だった。
見事にひったくり犯を確保した彼を見て、周囲の人達は大きな歓声を上げる。
そうして、加勢しようとやってきた屈強な大工達にひったくり犯を受け渡した彼の肩にセラフィーネは手を置いた。
「ご苦労様」
「セラ様もご無事で何よりです。あと、手に持っているのは何です?」
「ああ、これ? ひったくり犯が盗んだ財布よ。落ちてたから拾ったの。持ち主に返そうと思ってね」
「いつの間に……」
「……貴方が犯人を確保している間によ。さあ、財布を返しに行くわよ」
移動しながら、先ほどのジェラルドの捕まえ方に引っかかりを覚えていた彼女は、疑問を率直に口にする。
「そういえば、騎士なのに剣を使わなかったわね。何か理由があるの?」
「ああ、兄弟が多くて子供の頃からケンカばかりしてたので、単純に剣よりも先に手や足が出るんですよ」
「へぇ、そうなの。でも、結構強いのね。さすが、新人騎士の腕試しで優勝しただけのことはあるわ」
「賞金に目が眩んで空気も読まずに勝った過去を思い出させないで下さい。あれ、心の傷になってるんですから」
「あら、強いことは良いことよ。そんな人が私の近衛騎士なんて鼻が高いわ。王女のお墨付きなんだから自信を持ちなさい」
背中を叩かれ軽やかにウィンクするセラフィーネを見ていると、ジェラルドの胸に温かいものが広がっていくのを感じた。
「……ですが、あんな無茶をするとは思いもしませんでした。一歩間違えれば大怪我をしていましたよ」
「考えるよりも先に体が動いていたのよ。それに、何かあったら貴方が助けてくれると思ったのだもの」
「さすがにそれは騎士を信じすぎだと思いますが」
「何を言ってるのかしら。信じてないと命は預けられないでしょう」
軽口を叩きながら、ひったくり犯の男が走って来た道を辿っていると、目的の人物らしき人を見つけて彼女は足を止めた。
「……あの方かしら? 誰かに肩を抱かれて青ざめてるし」
「でしょうね」
「なら、早く財布を返してあげなくてはね」
友人と思しき人に肩を抱かれている女性に早足で駆け寄っていく。
「これ、貴女の財布で間違いないかしら?」
「……え、ええ。……私の、財布です。今月の薬代が入っていたので、どうしようかと思ってたんです。助かりました」
「人が一生懸命働いたお金を盗むなんて見逃せなかったの、と胸を張って言いたいところだけれど、私はひったくり犯を転ばせただけなのよ。捕まえたのは彼」
自身の功績ではないとジェラルドに視線を向けるが、彼は緩く頭を振った。
「俺は彼女に命じられたから捕まえただけです。彼女の言葉がなければ俺は動くこともなかったでしょうね」
「でしたら、やっぱり貴女のお蔭です。本当にありがとうございました。貴女は私の命の恩人です」
感極まった様子で女性は目を潤わせ、何度も何度も感謝の言葉を述べてくる。
ありがとうと彼女に言われる度に、セラフィーネの心にポッカリと空いた穴が徐々に小さくなっていく。
不思議な満足感と気分が高揚するこの感じ。
一筋の光が差し込んできたような希望が胸に広がった。
(こんな私でも誰かから感謝されたり、必要とされるなんて……。嬉しいなんて言葉では言い表せないくらい胸が温かくなるわ)
これまで誰にも感謝されたことのないセラフィーネからしたら、青天の霹靂とも言える出来事であった。
ありがとうと言われるだけで、こんなにも気分が良くなるものなのかと目を瞬かせる。
急激に人から感謝されるような人間になりたいという思いが湧いてきた彼女は、ハッと顔を上げた。
(そうよ……! そうすればいいんだわ! これから、どう行動するかを悩んでいたけど、困っている人を助けるくらいなら私にだってできる。王女として表に出られない以上、責務を果たすにはこれしかないわ)
目の前の霧が晴れたような清々しさを感じる。
セラフィーネは自身のやりたいことと居場所を見つけたような気がした。
晴れ晴れとした表情を浮かべた彼女は、満足そうに頷いたのである。
「何やら吹っ切れたような表情ですが、どうかしましたか?」
問われたセラフィーネは、フフンと得意満面の笑みを浮かべた。
「どう行動するか悩んでたけど、やっと見つけたのよ。困ってる人に力を貸して助けたいっていう目標が!」
眉を寄せるジェラルドの顔面にセラフィーネは人差し指を突き出し、キッパリと言い放った。
反対されるかと思ったが、彼は苦言を呈することもなく軽く微笑みを浮かべている。
「夢ができて良かったですね」
「いえ、あの……そうなると自動的に貴方も巻き込まれることになるのだけれど、いいの?」
「構いませんよ。今日のセラ様の行動や言葉を目の当たりにして俺も腹をくくりました。俺は貴女だけの騎士になりたい、と。そう思ったんです」
真剣な表情でセラフィーネを見つめるジェラルドに、彼女の心臓はうるさいくらいに早くなる。
まるで時間が止まったかのように周囲の声が聞こえなくなり、頭がのぼせる。真っ直ぐに見てくる彼が輝いて見えた。
誰が見ても分かりやすすぎるくらいに、彼女はこの騎士に恋をしてしまったのである。
同年代の異性と交流がなかったからという理由もあるが、一番は彼女が目標を持つ切っ掛けを作ってくれたことが大きい。
さらに、今の台詞で駄目押しされた。
恋というものを知らない彼女であったけれど、本やエレノアからの知識もあって自身の感情の変化の理由をすぐに理解する。
これが、人を好きになるということなのか、とのぼせた頭で考えながら、彼女はウットリとした表情を浮かべてジェラルドを凝視していたのだった。
けれど、この出来事によって捨て置かれた王女・セラフィーネは居場所と天職を見つけたのである。
その後、王女だということは暴露出来ないので、田舎からやってきた裕福な商家の令嬢・セラという設定と偽名を継続して使うことにした。
二人はビラを配ったり有名なお店に入り浸り、店の主人や女将と仲良くなって顔を売ったりしながら、細々と来る小さな依頼をこなしていくことになるのである。