正義と悪
部屋を出てすぐに早歩きでセラフィーネはフレデリク達と合流し、やや不機嫌そうな表情を浮かべながら、先ほど見つけた父親の手紙を彼に渡した。
らしくない様子に首を傾げた彼は渡された手紙の内容を見て、深いため息を吐いてしまう。
顔を手で覆って「あのぼんくら親父……」と悪態をついた。
「人目に触れる前にフレデリクお兄様に渡しておこうと思って」
「……ああ。ありがとう。セラフィーネの配慮に感謝するよ。それと、この件に関しては僕たちに任せて欲しい」
「ええ、そのつもりよ。なんせ、私にはその権限はないのだもの。さあ、ローラ達を保護して外に出ましょう。こっちよ」
ローラ達のいる場所を知っているセラフィーネが先導する形となり、彼らは部屋へと向かう。
無事に彼女達と落ち合った後、フレデリクの近衛騎士とジェラルドが二名ずつ抱えて外に繋がる出入り口にやってきた。
扉を開けた彼らが周囲を見回すと、先ほどは人気のなかった場所に騎士達が勢揃いしていた。
ちょうどタイミング良く応援の騎士達が到着したようである。
来ていた騎士達の一部はジェラルドの顔を見て、なんでお前がここに? という嫌悪感を顔に出していた。
変装しているフレデリクが分からないのかもしれないが、それでも無関係の人間がいる場である。
騎士なのに素人に悟られるくらい感情を表に出していいのだろうかと彼女は眉を顰めた。
とはいえ、騎士が大勢集まっている光景は圧巻の一言である。
セラフィーネが物々しい雰囲気に飲み込まれそうになっていると、騎士達の向こうから一人の男が人混みを掻き分けるように近づいてきた。
まるで蛇を思わせるような冷たい雰囲気をまとった男は、目を吊り上げて彼女達を睨み付けている。
「どこの誰か知らんが、私の倉庫に勝手に立ち入るとは何事だ。おい、何をボサッとしている。こいつらを捕まえんか」
振り返った男は、背後にいる騎士達に向かって「さっさと行け」と命じた。
捕まえられる、という危機感を持っていないセラフィーネは、男が口にした"私の倉庫"という言葉で彼がエイムズ伯爵本人なのだと知った。
あの豪華でいてチグハグな部屋からは想像できないくらいに落ち着き払っている。
だが、それでも動揺はしているのか、彼は変装をしたフレデリクに気付いていない。
応援に来た騎士達は、第二王子からの要請であったことや指揮を取っているのが彼の近衛騎士であったことから、どうしたものかと顔を見合わせていた。
命じているのに、いつまで経っても動く気配のない彼らにエイムズ伯爵の額に青筋が浮かぶ。
「おい! 目の前に犯罪者がいるのに、どうして動かんのだ。無断で私の倉庫に立ち入った犯罪人だろうが」
「だったら、私の目の前にいる犯罪者を先に捕まえるべきだわ」
「何だと?」
エイムズ伯爵は怒りを隠そうともせずにセラフィーネを見たことで、フレデリクとジェラルドは先に仕掛けてしまった彼女に目を覆った。
ここで表に出るべきは第二王子であるフレデリクだ。
正体を明かしていない彼女が先陣を切るべきではない。
二人は無言で視線だけで会話をした後で、フレデリクが彼女を庇うようにして前に立つ。
「僕たちを責める前に周囲の様子をよく見て欲しい」
「平民風情が偉そうに……! それが貴族に対する口の利き方か?」
まだ目の前にいるのがフレデリクだと分かっていないエイムズ伯爵の物言いに、彼の近衛騎士は一斉に殺気立つ。
一触即発の空気が流れる中、これでは話が前に進まないとジェラルドは彼に小声で囁いた。
「殿下、カツラを取って下さい。相手は貴方が殿下だと分かっていないようです」
「ああ、忘れていた」
そうして、一気にカツラを取ったフレデリク。
こぼれ落ちる赤毛の彼を見たエイムズ伯爵は、ようやく目の前の平民が変装をしていた第二王子ということに気がついた。
彼はフレデリクに対する先ほどまでの無礼な行いを思い出したのか、目を見開いて言葉をなくした。
どう切り抜けるべきか狼狽えた彼が目を泳がせていると、地面に座り込んで落ち着かない様子で周囲を見回している少女達を目敏く見つけた。
捕まえていたはずの少女達がここにいるということは、フレデリクが全てを知っているのだとエイムズ伯爵は悟った。
言い訳のできない状況に二の句が継げないでいるが、彼の表情や態度の変化を見ていたフレデリクはそれはイイ笑顔を浮かべていた。
「エイムズ伯爵。まずは、勝手に倉庫内に立ち入った件に関しては詫びよう。だが、こちらとしても意図して中に入ったわけではない。裏手にある壁のレンガに手を置いたら、いきなり下がって壁が回転して中に入ってしまった。事故だったんだ」
「……あ、いや……。事故ならば……仕方がありません。殿下だと存じ上げなかったとはいえ、失礼をしました」
「気にしてはいない。だが、中から出られなかったので仕方なく地下に入ったら、途中で護衛と思われる男達と交戦する羽目になってね。それで、これはどういうことかと疑問に思って少し見て回ったら、面白い物をたくさん見つけてしまったんだが」
たどたどしく喋るエイムズ伯爵を見据えながら、フレデリクは後ろにいるセラフィーネに向かって手を伸ばしてくる。
彼女が持っていた封筒を渡して欲しいということだろう。
これ以上出しゃばるのは良くないと空気で察した彼女は、持っていた残りの封筒を彼の手に置いた。
しっかりと封筒を手にした彼は、自身が持っていたものも含めて見せつけるようにエイムズ伯爵の前に印籠のように出す。
「これに見覚えがあるだろう。貴方の書斎らしき部屋で見つけたのだが、中に明らかに違法な取引があったと思われる記述があった。これの説明をしてほしい」
封筒を見て、わずかに目を動かしたエイムズ伯爵であったが、さすがに言い訳は用意していたのか落ち着き払っている。
首を傾げて考え込んでいる様は、まるで初めて見たかのようなものだった。
証拠を持っていなければ、丸め込まれていたくらいには迫真の演技力である。
「それが私の書斎から出てきたのですか? はて、私には見覚えがありませんが……」
「貴方宛の手紙なのに?」
「私宛であっても、記憶のないものを見たとは言えません。もしかしたら、私に罪を被せようと第三者が仕込んだのかもしれませんね。信じていただけないかもしれませんが、私は何も存じ上げません」
これだけの証拠あって言い逃れができるはずもないのに、エイムズ伯爵は一貫して被害者という立場を貫いている。
素直に罪を認めるには時間がかかりそうだったので、彼女は今も地面に座り込んでいるローラ達を助ける方を優先させようと考えた。
「時間がかかりそうだし、先にローラ達を保護して欲しいのだけれど。彼女達は疲れ果てているのよ? それに地下の牢屋にいる敵も捕縛しなければならないわ」
「ああ、それもそうだな。……じゃあ、応援に来た騎士に頼もう」
同時進行にした方がいいと判断したフレデリクは視線を騎士達に向ける。
「……聞いていただろう? ここにいる少女達の保護と地下の牢屋に捕らえられている男達を確保してくれ」
「はっ!」
「お、お待ちください……!」
さすがに地下をこれ以上調べられたくはないエイムズ伯爵が制止をしてくる。
けれど、それを無視してフレデリクの合図と共に騎士達は出入り口から続々と地下に入っていく。
ローラ達も騎士によって保護され、ようやく彼女の肩の荷を下ろすことができた。
だが、これで解決したと思っているのは彼女達だけである。
今回の犯人であるエイムズ伯爵は、悔しそうに歯を食いしばって怒りで震えていた。
「何の……何の権利があってこのようなことをなさるのです。私に断りもなく、事故とはいえ無断で地下を見て回るとは……。今日のことは、国王陛下に報告させて致します」
「別に好きに報告するといい。僕は一切困らない」
「では、得体の知れない女とご一緒だったことも報告致します。殿下はまだお若いですし、色々な経験を積まれるのも大事かと思いますが、いくら容姿が優れていてもただの平民。殿下は見た目に騙されているのかもしれませんが、身分の差でその者が辛い思いをすることになっても良いということですね」
「……ほう? 彼女を平民と言い切るか。今の言葉は不敬罪に当たるぞ。それだけでも貴方を捕まえられるが」
不敬罪という言葉が誰に対してのものなのか分かっていないエイムズ伯爵は、は? と間の抜けた声を上げる。
とはいっても、彼はセラフィーネが王女だと気付いていないのだから、その反応は正しい。
「殿下は何を仰っているのですか? その娘は、どこからどうみても多少裕福な家の娘にしか見えませんが」
「不敬、という言葉で気付きもしないのだな。貴方が昔、父上に進言して病弱という嘘の理由で離宮に追いやったというのに、薄情なものだな」
フレデリクの言葉を聞いたエイムズ伯爵は、まさか! と表情を強張らせる。
ゆっくりとセラフィーネに視線を向けて、その顔を凝視していた。
だが、記憶の中にいる彼女と目の前の彼女の決定的な違いを見つけ、安堵した彼はゆっくりと息を吐く。
「殿下、揺さぶりをかけるなら、もっと上手くやらねばなりません。確かに年の頃は同じですし見た目も陛下に似ていますが、髪の色が違いますし、何よりセラフィーネ様は離宮から外に出ることはできません」
「髪はカツラで変えられる。疑うなら、今すぐに離宮に使者を向かわせればいい。絶対にいないはずだからな。それに、妹の近衛騎士であるジェラルドも一緒なんだ。本人でなければ誰だというのか。大体、これだけ見た目が父や王太后に似ているのだから疑いようがないだろうに……」
周囲にいた騎士もフレデリクの言葉を聞いて、病弱だと言われている王女の登場に動揺していた。
口々に、出歩けるほど回復なさったのか、などという声があちらこちらから聞こえてくる。
「そんな……! 本当にセラフィーネ様なのですか? だとしたら、あの噂は……王妃様の不義の――」
「それ以上言うと、首を落とす」
冷ややかなフレデリクの声に、血の気が引いたエイムズ伯爵は慌てて口を噤んだ。
狼狽えていたとはいえ、今度は紛れもなく不敬罪である。
「色々な噂があったのは幼い僕の耳にも届いていた。けれど、成長したセラフィーネを見れば、それは嘘であることは明らか。つまり、彼女は紛れもなく王家の血を継ぐ正当な王女ということだ」
「いや、それは……私も当時、本当に疑っていたわけではなく……」
「確証のないことで、貴方は一人の人生を狂わせたということか?」
「それが最善だと信じたからこそです。それに、お決めになったのは陛下ではありませんか。今更、私の責を問われましても……」
「そうだな。確かに最終的な責任は父上にある。だが、余計な口出しをする者がいなければセラフィーネは家族と引き離されることもなく、今も僕達と一緒に暮らせていた」
畳み掛けるような言葉にエイムズ伯爵は自己保身の言葉が思い浮かばない様子だ。
なすべき手段がないかのように思われたが、本題を思い出した彼の目に光が戻る。
「……ですが、それと私に無実の罪を着せることに何の関係があるというのでしょう。でっち上げられた証拠を出されても困ります」
切り抜ける糸口を見つけたエイムズ伯爵は、早口であったものの冷静さを取り戻していた。
これだけ証拠があるというのに言い逃れを続ける彼に、セラフィーネはもう我慢の限界だった。
フレデリクの背後から顔を出した彼女は、真っ直ぐにエイムズ伯爵を見据える。
「まだ他の人のせいにするつもりなの!? 筆跡鑑定をすれば貴方が書いたものだと分かるし、手紙の送り主を捕まえて尋問すれば全てが公になるわ。誘拐された彼女達が私達と貴方の倉庫から一緒に出てきたのだから、言い逃れはできないわよ。観念して罪を認めなさい!」
セラフィーネの言葉と共に、フレデリクは残りの封筒をエイムズ伯爵に見せつける。
中に父親からの手紙もあることを見た彼は、何を言っても、どうあがいても無駄だと悟った。
全身から力が抜けた彼は、力なく地面に膝をついた。
うなだれて、体を小刻みに震わせている姿は哀れの一言に尽きる。
「せっかく、ここまで金を稼げたというのに……。こんな無様な終わり方があっていいものか……」
「悪人の終わりは大体無様なものだ」
「貿易業だけで満足していれば良かったのに、犯罪に手を染めるからよ」
「……う、うるさい! 大体、私を捕まえたら国王陛下もただでは済まされないぞ! なんせ、私のしたことを見逃していたのだからな!」
恥を捨てた粗悪な捨て台詞に、フレデリクとセラフィーネは同時に額を押さえた。
育ってきた環境が違うものの血の繋がりを感じさせるしぐさである。
「父上に関しては兄上とどうするかを決めるので、貴方が気を揉む必要はない。安心して牢屋に入るといい」
最後のあがきも不発に終わり、エイムズ伯爵はガックリと項垂れた。
やっと終わったか、とフレデリクが彼を捕まえるよう騎士達に視線を送る。
そうして騎士達が彼に近寄って捕まえようと手を伸ばすが、腕に触れようとした瞬間、その手を振り払われてしまう。
予想していなかった彼の行動に騎士達は動きを止めてしまうが、唯一ジェラルドだけが瞬時に反応し、セラフィーネの横から全速力で駆け出していく。
一方、エイムズ伯爵は驚くべき早さで懐に手をいれて立ち上がり、物凄い形相でフレデリクを睨み付けながら向かっていこうとしている。
武器を出される! と辺りは一気に緊張に包まれた。
油断していた騎士の大半は初動が遅れて彼を止めることができない。
ニヤリと嫌な笑みを浮かべた彼がフレデリクに向かっていく姿がセラフィーネにはスローモーションのように見えた。
思うように体が動かず、見ていることしかできない彼女は反射的に目を瞑ってしまう。
けれど、完全に懐からナイフの柄が見えたところで、剣を手にしたジェラルドがフレデリクを隠すように立ち塞がった。
素早く剣を抜いた彼は無駄のない動きでエイムズ伯爵に鋭い視線を向けながら、相手の首筋に当たるかどうかギリギリのところで止めたのである。
「往生際の悪い方ですね。俺としては、このまま剣を引いても構いませんが?」
「あ……ひぃ……!」
明確な殺意を向けられたエイムズ伯爵は、貴族にあるまじき悲鳴を上げてみっともなく尻餅をつく。
騒ぎが収束したことで騎士達も我に返ったのか、慌ててエイムズ伯爵の確保に動き出した。
こうして、完全に戦意を削がれてしまった彼は再び暴れだすことなく、大人しく身柄を拘束されることとなったのである。
ジェラルドは彼が騎士に抱えられて馬車に乗ったのを確認した後、息を吐きながらゆっくりと剣を鞘に戻した。
すんでの所で助けられたフレデリクは怯える様子も見せずに、彼の背中を見ながら企むようにニヤリと笑っている。
「お見事。やはり新人騎士の腕試しで優勝しただけのことはある」
「……ありがとうございます。殿下に怪我がなく安心致しました」
「それにしても、本当に良い腕をしている。セラフィーネの近衛騎士にしておくにはもったいないくらいだ。……いっそ、妹の騎士を辞めて僕の騎士にならないか?」
「フレデリクお兄様!」
とんでもない申し出をするフレデリクに、唯一の騎士、そして好きな人を取らないで欲しいセラフィーネは顔色を変える。
けれど、勧誘されたジェラルドは穏やかに微笑んだまま首を振った。
「大変光栄ですが、自分はセラフィーネ様だけの近衛騎士なので」
「……予想通りの答えだな。そう言うと思ったよ。さすがムッツリだ」
「あの、その認識は改めていただきたいのですが」
「嫌がらせも兼ねてるから無理な相談だな。これから妹と過ごせなかった十四年を取り戻したいし、今の君にはあげるつもりもないのでね」
「それは八つ当たり、という認識でよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
終始、和やかに会話しているものの、お互いに目が笑っていない。
成り行きを見守っていたセラフィーネは、どことなく棘のある会話に一人で冷や冷やしていた。
最終的に、この会話はフレデリクが事後処理を始まるまで続いたのだった。




