アグレッシブな逃走劇
男達の隙を突いて路地に入り、全力で逃げているセラフィーネとジェラルド。
追いかけて来る男達を引き離そうと彼女は全力で走っているが、いくつかの角を曲がった辺りで彼女はすでに息を切らせていた。
「まっ、待って。も、う走れな、い」
はぁはぁと息が上がっているセラフィーネの背後から複数の人達の足音が近づいてくる。
息を整えている時間は残されていなかった。
まったく息の上がっていないジェラルドは、一度目を閉じると何かを決意したような表情を浮かべる。
「セラ様。今から俺が言うことに『許可する』という返事を返して下さい」
「な、なに?」
「いいから、分かりましたね」
必死そうなジェラルドの剣幕にセラフィーネは気圧され、ぎこちなく頷いた。
「……分かっ、たわ」
ジェラルドが何を言い出すのか分からないが、彼がおかしなことを言うはずがない。
きっと何か打開策を思い付いたのだ、とセラフィーネは考えていた。
彼女の言葉を聞いたジェラルドは、すぐに次の言葉を口にする。
「俺は今から貴女を抱えて逃げます。敵から逃げるためであって他意はありません。下心もありません。ゆえに、お体に触れる許可をいただけますか?」
「え? は?」
「お体に触れる許可を」
息が上がって言葉の意味を理解することは難しかったが、背後から追いかけて来ている足音がさらに近づいてくるのはセラフィーネにも分かっている。
深く追求していたら捕まってしまうと思った彼女は大きく頷いた。
「きょ、許可するわ」
「では、失礼します」
セラフィーネに近づいてきたジェラルドは、彼女の背中と太ももの裏に手を回して難なく抱き上げる。
片腕で抱き上げた状態のまま、彼は人一人を抱えているとは思えないくらいの速度で路地を駆け抜けていく。
いきなり抱き上げられたセラフィーネは、何が起こったのか処理しきれなくなっていた。
けれど、息がかかりそうなほど間近にあるジェラルドの顔や太ももの裏に回された腕、それに己の手が掴んでいる彼の肩の逞しさを把握して、恥ずかしさのあまり体をよじらせた。
「……動かないで下さい」
「ジェラルドはどうして平気なのかしら!?」
「貴女の命を守るためだからですよ」
「だからって、私にも心の準備というものがあるのよ!」
「バランスが崩れるので、俺の首に腕を回して動かないで下さい。あと、後方を見て状況を解説してくれると助かります」
今は逃げてる最中なんだぞ、と現実を突きつけられ、他に選択肢のないセラフィーネは大人しくジェラルドの首にしがみついた。
密着したことで心臓は跳ね上がったが、顔が見れなくなった分少しばかり落ち着きを取り戻す。
(あら、意外と筋肉質だわ。やっぱり騎士だけあって鍛えてるのね。それよりも、私を抱えてこれだけの早さで走れるなんて驚きだわ)
背後から追いかけて来る男達との距離は縮まるどころか離れていることから見ても、相当である。
「あ、相手が左右に分かれたわ」
「チッ。挟み撃ちするつもりか」
珍しく口調が乱れているところを見ると、ジェラルドも余裕があるわけではないようだ。
だが、王都の路地を細かく覚えていた彼は、瞬時に相手を出し抜くルートを導き出していた。
彼は進路を変えると腰ぐらいまである手すりに飛び乗る。そして、そのまま階段下の地面に向かって飛び降りた。
一瞬の浮遊感の後に地面に着地した衝撃、といっても大したものではなかったが、それでも体に感じた振動にセラフィーネは目を瞬かせる。
今まで感じたことのない迫力に正直なところ興奮していた。
「ジェラルド! 今のもう一回やってちょうだい!」
「絶対にやりません」
「あのフワッとした感覚、凄いわ! 癖になりそうよ」
「妙なものに目覚めないで下さい」
逃げているのにどこか余裕のある会話をしている二人。
背後では、左右から出てきた男達がセラフィーネ達の姿を探して周囲を見回していた。
そこそこの距離はあったものの、目敏く見つけられてしまい、罵声を上げながら追いかけて来る。
「まだ追いかけて来るわ。しつこいわね」
「よほど、お金が欲しいみたいですね」
「でも、依頼されたということは、やっぱり人身売買の線が濃くなってきたわね。それに金持ちもしくは貴族が関与している可能性も」
「面倒なことになりましたね」
本当に面倒なことになってしまった。
ちょっとした行方不明者の捜索のはずが、大事件に発展してしまったのだから。
「彼らを捕まえて事情を聞こうにも、雇われているだけでしょうから犯人には辿り着けなさそうだわ」
そんな話をしながら入り組んだ路地を走り抜けて角を曲がると、ようやく男達の声が遠くなった。
逃げ切れてはいないが、すぐには追いつかれない距離だ。
ホッと胸を撫で下ろしたセラフィーネだったが、立ち止まったジェラルドの舌を打つ音に後ろを振り返る。
「……嘘、行き止まり?」
正確には、荷物が積み上げられて通れなくなっている状態だ。
「も、元の道に戻ってみてはどうかしら?」
「男達にすぐに見つかります」
「なら、乗り越えるの?」
「手間取っている間に追いつかれます」
打つ手が何もない。
どうしたものかと考えあぐねていると、不意にどこからか扉の開く音が響いた。
二人はギョッとして音のした方に視線を向けると、開いた扉から頭をすっぽりと覆ったフードをかぶったローブ姿の人が出てくる。
ジリジリと後退するジェラルドを見たローブ姿の人物は、両手を挙げて敵意はないことを知らせてきた。
「おいで。困っているんだろう?」
予想外に優しげな声で言われ、セラフィーネとジェラルドは顔を見合わせた。
声の感じからして、ローブ姿の人物は男性のようだ。
逃げ場がない以上は相手の言葉を信じるしかないが、敵か味方かも分からない人の言うことを鵜呑みにできない。
警戒を解かずに睨み合っていると、遠くなっていた男達の声が徐々に近づいてくることに気が付いた。
このままでは、どちらにしても捕まってしまう。
セラフィーネを抱き上げているジェラルドの腕に力がこもる。
まだ、決断できないままでいる二人に向かって、ローブ姿の男は尚も言葉を続けた。
「君達の知りたい情報を教えてあげよう。捕まりたくないなら、おいで」
「この方に危害を加えないか?」
「当たり前だろう。彼女は僕にとっても大切な存在だ。それに、僕は君達の敵ではない。これが、その証拠だ」
男はローブの中から剣を取りだすと柄の部分をわざとらしくジェラルドに見せてくる。
よく手入れがされているのか、柄の部分だけではなく鞘も綺麗なものであった。
そして美しい装飾がされており、一目で値段の張る物だと分かる。
けれど、柄の部分を見ていたセラフィーネは、そこに描かれた紋章を見て目を凝らす。
(あの紋章……どこかで見たような気がするのだけれど……)
確かにあの模様と構図に見覚えがあるのだ。
なのに、どこでなのか、どこの紋章なのか分からない。
考えすぎて唸っているセラフィーネと違い、紋章をジッと見ていたジェラルドは、それが何を意味しているのか理解して息をのんだ。
そして、片手で顔を覆い空を見上げた。
「……大丈夫です。この方は、敵ではありません」
「え? 本当?」
「ええ。ですので着いていきましょう」
ハッキリと口にしたジェラルドにセラフィーネの緊張がほどけていく。
相手が誰か彼女は分からなかったが、ここまで言い切るのなら敵ではないということだ。
男達の足音が近づく中、彼らは急ぎ足で開いていた扉から建物の中に足を踏み入れた。
中に入ると室内は薄暗く、人気もない。
静かな空間に三人の足音だけが響いていた。
「これで一安心、といったところかな。君を追いかけていた男達の捕獲は僕の護衛に任せるから心配しなくていい」
ローブ姿の男が手で合図をすると、どこから現れたのか武装した男達が出入り口の前に移動する。
どう見ても、ただの護衛ではなさそうな雰囲気だ。
「……貴方、一体何者なの?」
「その質問には後で答えよう。それよりも、いい加減彼女を下ろしたらどうなんだい? ムッツリ君」
「ムッツリ? ジェラルドのあだ名なの? どういうこと、この人と知り合いだったの?」
ジェラルドを質問攻めにするが、彼はそれに答えてはくれない。
むしろ、ローブ姿の男の言葉に従って、セラフィーネをゆっくりと床に下ろした。
「非常に失礼ながら、俺はムッツリなどではありません」
「ほぉ~。だらしなく目が垂れ下がっていたけれど?」
「生まれつきです」
「ああ言えばこう言う男だ」
「お褒めにあずかり光栄の極みです」
「可愛げのない男だね」
「騎士に可愛げなど不用でしょう」
ジェラルドの言葉に驚いたセラフィーネは顔を上げると彼の顔を凝視した。
「ちょっと、ジェラルド……!」
ジェラルドの腕を引っ張り、ローブ姿の男から距離を取る。
顔を近づけて、小声で彼に囁いた。
「騎士だなんて言って良いの?」
「大丈夫ですよ。あの方は、俺のことをよく御存じでしょうから」
「……その口調」
「はい?」
「私に話しかけるよりも丁寧じゃない? 貴方の主は私でしょう?」
「……セラ様がこのような口調が好みだとは存じ上げませんでした。では、今後は改めます」
妙に丁寧な口調に、セラフィーネの背筋がゾワッとした。
ジェラルドらしくなくて気持ち悪いとさえ思ってしまう。
もっと砕けた感じでいいのだ。距離が離れたように思えて落ち着かない。
「私はいつも通りのジェラルドがいいの!」
「では、これまで通りにしますね」
「ゴホン!」
わざとらしい咳払いにセラフィーネ達は顔を見合わせる。
非常に仲の良さそうな二人の空気をぶち壊す咳払いだった。
「いい加減、話を進めたいんだけど、いいだろうか? 落ち着いて話をしたいから、二階に来てもらえるだろうか?」
「わ、分かったわ」
セラフィーネは他にも人がいたことを忘れていた。
いたたまれなさもあって、彼女はローブ姿の男の後に続いて二階へと向かったのだった。
階下では護衛達と追いかけてきた男達の大捕物の音が聞こえていたが、それに目を向けることはなかった。




