1 時間がない世界
1 時間がない世界
「ロゼ、改めてよろしくね。とりあえず、僕がエデンをざっくり案内するよ。ついておいで」
エデンというのは不思議な世界だった。
彼――――赤髪の少年曰く、ここに時間の流れは存在しないのだという。
『ごめんね、少しのあいだ、君から声を奪わせてもらう』
少年は地面に座り込んでいたロゼの手をとり、半ば強引につれ回そうとしている。自分は名乗りもせず、すたすたと前を歩いていた。
ロゼには記憶がない。
気が付いたらレンガ造りの家の外壁に凭れて座っており、それ以前の記憶は全くといっていいほど何もなかった。名前だけは辛うじて覚えている程度で、この世界の理であるはずの魔術でさえ何も思い出せなかった。
「ここがパージプレイス。エデンの禁忌を破った者を捕らえておくところだよ。…禁忌っていうのは、例えば…時間を動かそうとした、とかかな。大丈夫、何もしなければ縁のない場所だ」
パージプレイスと呼ばれたそこには黒いオーラが漂っていた。
幸せなエデンのなかで唯一不幸な場所、と赤髪が言ったとおり、悲しい声さえ聴こえる気がする。
「最後…かな。ここがクロックワイズだよ。時の番人が、エデンの"時"を護ってるんだ」
エデンには時間がない。というのも、年齢など個々の生時間は存在しても、朝昼夜の時間の流れが存在しない、ということである。此処は常に夜明けの薄暗い空が広がる夢の世界だ。
「此処には双華の歌姫が住んでいるんだ。エデンを護る歌姫が」
広いフィールドとは裏腹に、そこにはパージプレイスとクロックワイズの二ヶ所しか無いようだった。他はといえば無限の草原で、なにひとつない。
さて、と赤髪が何か魔術を詠唱した。妙に長く、それでもにこやかに唱え続けるその姿は、まさに伝承のなかの"悪夢の魔術師"のようだ、と、無い筈のロゼの記憶が声を出す。
――――声を出す。
「あ…」
「君、きれいな声なんだね!封印してごめんね」
「…どうして声が出せない黒術をかけた」
黙って笑っている赤髪に畳み掛けるが、動揺するどころか眉ひとつ動かさなかった。
「ロゼは頭がいいんだね。うらやましいな」
大丈夫だよ、と彼は続ける。どうやらロゼの質問に答える気はないようで、早くも次の魔術の式を指先に展開していた。光の粒子が徐々に集い、小さかった陣がやがて大きく膨れ上がる。
「そうだロゼ。声が出せない術はね、白術なんだ。僕、黒術は使えないから」
「ま、待て――――」
知らないところにひとりで置いていかれる恐怖。そこからロゼは赤髪に助けを求めていた。
「僕の名は、悠久の愛・フィリア。さようなら、ロゼ」
「っ――――」
急ぎ足で名を伝え、赤髪――――フィリアは己の光に呑まれて姿を消した。
**
――――あれから1年。
エデン中央部に位置するノクターン帝国の首都・タウリムは、いつでも絶えることなく人でごった返していた。
「兄ちゃん、サービスすんよ!」
道の端を歩こうにも往来とぶつかってしまい上手くいかず、馬のために開けているのであろう中央を歩くしかなかった。
タウリムには様々な建物がある。役所はもちろん、帝国にとって重要な機関が集まっていた。
しばらく近郊の都市を巡り、行くあてもなくなり また此処を訪れてはみたものの、もう8ヶ月も探し続けている夢のマイホームは見つからなそうだ。タウリム郊外に出ることも考えたことはあるが、魔物が多く単身での移動は困難とのことで、そちらの望みはかなり薄そうだった。
(あとは…城の近くか)
残るエリアはタウリムの目印でもある"エルベリアの浮き城"付近のみのようだった。
「はあ…」
直線距離でもかなりありそうだ。
望み半分、といった調子で、ロゼは浮き城へと歩き始めた―――――。