モゲル翼とシタタル体液
その後、大きな音がしたかと思うと、バリアが激しく歪んだ。前方にはこの世のモノとは思えない程醜い顔があった。真っ赤な眼は不気味に光を帯びていて、不自然に曲がった口元からは黄色い液体が滴り落ち、隙間から見える歯は鋭く、不規則に並んでいた。鼻はもはや原型を留めていなく、穴が見えるだけだった。
「…灯蛾」
蒼が名前を呼んでも彼の耳には届かず、ただバリアを破壊しようと鋭い爪で傷つけるばかりである。
「もう限界が近づいています…蒼、拝島、バリアが解けた瞬間に灯蛾の眼を目掛けて攻撃してください」
真雛は簡単そうに言ったが、灯蛾の眼に刀を差し込むことなんて容易く出来ることではない。蒼は刀を持
つ手に力を加えるが、震えが止まらない…
拝島も同じく、ナイフを持つ手がガタガタと震えている。
「拝島、あなたの本来の武器を今渡しておきます」
拝島の手からナイフを取った真雛は、袴の袖から大きな弓を取り出した。その弓は普通の弓とは異なり、
本体が金属でできており、鳥打の部分がまるで剣などの刃のように鋭く尖っていた。拝島が使徒の頃、彼
はこの弓で戦っていた。拝島は真雛からの信頼も厚く、彼のみが特別に殺戮に制限を持たない武器を持っ
ていた。
この弓では人殺しも可能なのだ。
しかし、ある時を堺に、拝島はこの武器を置いて姿を消した。それ以来、真雛は拝島がいつ帰ってきても
良いようにこの弓を大事に保管していたのだ。
「真雛様…まだ持っていらしたのですね」
「いつか必ず帰ってくると信じていました。おかえりなさい、拝島」
真雛がそう言った直後、バリアにひびが入り始め、みるみる内にバリアは解けていってしまった。
「拝島!」
蒼は拝島の顔を覗き込み、合図を送る。
「了解」
拝島がそう言った瞬間にバリアは完全に解け、外にいた灯蛾が二人に向かって襲いかかる。
鋭く尖った爪が二人の間に振り下ろされ、それを間一髪で逃れた蒼たちは、二手に別れ、灯蛾の背中に
回り込んだ。
蒼は刀を片手で持ち、灯蛾の体に飛び乗った。鱗のように体の表面に散らばっている甲羅は、丁度、足場
になり、片手で何とか位置を確保できた。
拝島も同じく、弓を持ったまま飛び乗り、頭目掛けて移動し始めた。
時々甲羅の割れ目から顔を覗かせる蛆の大群が蒼たちの足場を奪うが、構わず踏みつけた。その度に、
酷く鼻につんとくる臭みが周囲に広がったが、そんなことは無視でひたすら登っていく。
激しく揺れ動く灯蛾は、大きな爪を使って蒼たちを傷つけようとするが、刀や弓でうまく払い除けた。
「離レろ…オレノカラダカラ…ハナ…レロ…」
灯蛾はそう言うと、羽根を広げて空中に上がっていった。急に宙に浮かんだせいで、蒼と拝島はバランス
を失い、振り落とされそうになる。
「くそ…このままだと、振り落とされちまう」
手が離れそうになった蒼は持っていた刀を思いっきり灯蛾の皮膚に突き刺した。見事に皮膚に食い込んだ
刀は、そのまま固定され、蒼が振り落とされることを阻止した。
「うわ…」
突き刺さった刀を伝って灯蛾の体液と共に、蛆が流れ込んできた。蒼はそれが近づかないように、必死で
払い除ける。
「ダメだ!落ちる」
拝島は片手のみでぶら下がっていたが、激しく飛び回る灯蛾についていけず、とうとう手を離してしまった。
「拝島っ!」
落下していく拝島はその短い間で、弓に矢をセットして、落下寸前で弓を灯蛾の頭部目掛けて放った。
凄まじいスピードで進む矢はやがて炎を纏い、灯蛾の額に突き刺さった。
「ハイジまァァアアアアアアア」
額をやられた灯蛾は慌てて、両手で矢を引き抜こうともがき始めた。
危機一髪で、真雛に助けられた拝島は無事に着地すると、再び弓に矢をセットして、矢を放つ。
「ガァアアああ」
灯蛾は苦しそうに悶える。その振動が直接蒼にも襲いかかってくるが、必死に刀にしがみつき、落下を防
ぐ。
「くそ…これじゃあ頭部にたどり着かない…」
これ以上留まていても意味がないので、蒼は刀を抜き取り、背負うと、甲羅に掴みながら、徐々に羽に近
づいた。激しく動いている羽の根元に辿りついた蒼は、再び背から刀を抜き取り、そのまま羽の根元目掛
けて振り下ろした。
「クソガキがッ!」
見事に一枚の羽が根絶された灯蛾はバランスを大きく崩して落下していく…
周囲に爆音を立てて、落下した灯蛾は獣のように泣き叫び始めた。強く叩き付けられた灯蛾の体からは蛆
と一緒に膿や体液が混じりあった液体が流れ出した。
「う…これは酷い」
急いで灯蛾から離れて一旦退避した蒼は口を抑えて、生臭さに堪える。
それでも体勢を何とか立て直した灯蛾は、蒼を睨みつけると、
「なんで…なんデ…なンデ…ドウシテオレダケガ…コンナニ…ミニクインダ…」
そう言って、灯蛾は眼を大きく見開くと、口から炎を吹き出した。
魔物のように渦巻いて蒼に向かってくる炎は、意思を持っているようで、蒼が逸れても方向を変えて襲い
かかってくる。
迫り来る炎を刀で払うが、次々と纏わりついてくる炎は蒼の体を囲み込む。
周囲を炎に囲まれた蒼は、暑さと息苦しさから意識を失っていく…
しかし、意識が飛ぶ寸前に、周囲にあった炎が一瞬にして消え去った。
徐々にはっきりとしてくる意識の中で、蒼は目の前に立ちはだかる人の姿を見た。
「間に合って良かったわ」
その声は紛れもなく柏木のものだった。
(/・ω・)/




