闇への誘い
—--昨夜
「どうして…こんなことを…」
ここは、人気のない路地裏。会社からの帰り途中に後ろからいきなり襲われて、気がついたらここに連れ去られていた。
今、何者かに襟首を鷲掴みにされている男は丸山哲治、三十五歳。見かけは短髪で黒髪のごく普通の会社員である。
まだ残っている夏の暑さも忘れる程の恐怖感で男の脳内は凍りついていた。
どうして、こんな目に…
男は何故自分が見ず知らずの人間に捕まっているのか分からない…
すると、掴んでいる手に力が込められる。息が苦しい…
「お前の秘密、バラして欲しくなければ俺に従え…」
全身黒ずくめの相手は、声から判断すると、恐らく二十代前後であろう男の声だった。
「秘密…?」
男は朦朧とする意識の中で、自らの奥底に封じていたある記憶を思い出していた。
―永遠と忘れることの無いであろう記憶、恐らく墓場まで持ち帰るであろうあの記憶…
「それって、もしかして…」
何とか絞り出し、黒装束の男に問いかける…
「お前が十五歳の時に、犯した罪のことだよ」
驚く程低い声に全身震え上がった。その無感情な声は人間のものとは思えない。
―ああ、とうとうこの日が来てしまったか
しかし、このことを知っているのはこの世に二人しかいないはず…
「どうしてお前が、知っているんだ…」
「……」
相手は不気味に微笑む一方で、黙ったままである。黒いフードを深く被っているせいで、全く瞳が見えないが、不器用に曲がった口元が悍ましい…
「どうして…」
すると、歪んでいた口元が開いた。
「聞いたんだよ、君の同僚に」
それを聞いた男の鼓動が速くなる。
「同僚って…まさか、町田か…」
町田隼人、三十五歳。丸山の同僚兼、幼馴染。お互い近くに住んでいる為、小学校と中学校は同じである。別々の高校に進学したものの、傾向の似ている二人は偶々、同じ会社に就職することとなった。町田は、二十年前のあの日…丸山と一緒にいた…
「ああ、そうだ。町田隼人だよ」
丸山は分かっていても、信じることが出来なかった。ずっと親友だった町田が自分を裏切るなんて…しかも、今頃になって…
「本当に町田から聞いたのか…」
男は小さく笑い出す…
「他に誰がいるんだ?お前が殺人者だと知っている人間は町田だけなんだろう?」
『殺人者』その言葉がずっしりと体全身に伸し掛ってくる。頭の奥深くにしまい込んでいた事実。
真っ先に、丸山の頭に浮かんだのは、来年結婚するはずの理沙の顔だった。小柄の彼女はふわふわした癖っ毛に小動物を連想させられる可愛らしい顔立ちの女性だ。
―自分が殺人者だなんて知ったら、彼女は離れていくだろう…
せっかく近くまで来ている幸せを手放すことなんて出来ない…あと少し…あと少しで幸せな暮らしができるんだ!
丸山は思わず喚き、全身の力を振り絞って、自分の首から男の手をむしり取りとろうとした。
―が、ビクともしない男の手。
「お前にも大切なものがあるんだろう?」
丸山とは正反対で、至って冷静なその男は、淡々と話し始める。
「今ならまだ間に合う。町田は俺にしかその話はしていない…だが…」
丸山は興奮しながら男の話に耳を傾ける。
「だが…何なんだ?」
「…町田は言っていた。明日には警察に言って全て暴露すると」
「明日…」
「でもな、お前が生き残る方法が一つある」
生き残る方法…丸山は藁にも縋る思いで、男に食いつく…
「俺はどうすれば良いんだ…」
「町田を消せば良いんだよ」
「町田を消す…」
また人殺しをしろと?この男は何を考えているんだ?大体、俺が平然として人殺しが出来る訳が無い…
丸山は眉間に皺を寄せ、黙り込んだ。
「どうした?二十年前はできたことが今じゃもう出来ないのか?」
馬鹿にしたような口調で男は丸山をあざ笑う。
―違う、違う、違う…俺は…
「無理だ…町田を殺すことは出来無い。例え、町田を消してもお前が全てを知っている。どうせ俺を脅して、金でもせびる気だろう?」
よく考えてみると、この男が知っている以上、自分が逃げることは出来る保証は何処にもない。町田を殺した時点で二人殺したことになり、罪は重くなる…
その弱みを握っているこの男は自分を支配する気だ…と内山は考えた。
しかし、男はさらに不気味に笑う。
「お金?そんなの興味ないね。それが信じられないなら…」
男は三秒ほど間を置いて、
「こっちに来るといい…」
そう言って、丸山の手首を掴んで引っ張った。
(/・ω・)/




