敗北の味
「いやいや、お恥ずかしい所を見られてしまったね。あれは取材の一環でね。決して誘拐などではないから安心してくれ。」
前回会った時とは違って、今日はあまり威圧感がないように思える。
企業では偉そうに威厳と肩書きをふりかざしているおっさんも、会社から一歩出てしまえば、なんの効力もないただの中年なのだ。
「いえ、こないだはどうも。最初は全くあなただと気がつきませんでした。」
少し嫌みをこめて言ってやった。
子供たちに声をかけていた不審者は、俺の顔を見るなり、誤解を解きたいからとかなんとか言って、ここに連れてきた。
先日、初めて面接で落とされたこの部屋に。
前回来たときは夕日が差し込んでいたが、今はまだ日中なだけあって、前回より多少明るい事務所に見える。(依然として煙草臭いが)
ただのおっさんに、つまらない人間とまで言われたことを思い出してしまい、俺は苦々しい気持ちになった。こんなところ、すぐにでも立ち去ろう。
「では、俺はこれで失礼します。」
黒い皮張りのソファーに沈みこんでいた重い身体を起こす。入り口のドアまで歩き出すと、後方から声がした。
「で、君は例の話どうする?」
「・・・はい?」
身に覚えのないことを聞かれ、つい後ろを振り返ってしまう。
「インターン、だよ。やるの、やらないの?まだ返事を君から聞いていないのだけど。」
被害者ぶった顔でそんなことを尋ねられる。すっかり忘れていた。まぁ、返事など最初から決まりきっていたけど。
「あ、いえ。お断りします。すみません。」
あっさり言う俺に、軽いため息をついたおっさんはぶつぶつと続けた。
「他の学生さんは、お祈りメールにさえ温かい感謝状を出してくる子も山ほどいる時代だってのに・・・」
いわゆる、 "無い内定状態" の学生は、補欠合格狙いでそんな手をよく使う。正直俺は、そんな藁にもすがる思いをしたことはない。
それに、こんなローカル新聞社に落とされた所でノーダメージだ。
清潔感にいまいち欠ける事務所を見渡してみると、おっさんと目があった。
胸についている、変なマークの社章が光って見える。
あぁ、この人は、この証にしか自分の存在意義を見いだせないのだ。
俺の憐れんだような視線に気づいたか、気づかないかはいざ知らず、おっさんはニヤリとずる賢く笑った。
「君はマスコミという業界を侮っているようだねぇ。小さな企業とのご縁も大切にしないと痛い目みるよ・・・
君が内定をもらっている○○商事、○○証券、○○○自動車の社長さん、みーんなひいきにさせてもらってるよ。」
「・・・」
俺は、ポカーンという言葉がお似合いなアホ面で固まった。
面接の際に他社の先行状況を聞かれ、正直に答えたことは何度かあったが、ここの面接では一言も名前を漏らしていないはずだ。
「大手企業とマスコミの癒着なんて、君はニュースとか見てとっくに理解していると思うんだけど・・・裏社会で、私たちの業界は接待される側ということも多々あるのだよ。」
その言葉の真意を理解したくはないが、俺の背中にはいつの間にか冷や汗が流れ始めた。
「何が言いたいんですか?」
逆上して言うと、冷静に煙草をくわえながら淡々とおっさんは続ける。
「少々やんちゃな内定者がいるようですが大丈夫ですか?私がそう社長の耳に入れてあげようかと・・・情報提供が仕事なもんでね。職業病さ。君がその横柄な態度を改めない場合に限り、ね。」
勝ち誇った顔で煙を吐かれた瞬間、俺のなかで何かが崩れる音がした。