新たな発見
行くあてもなく歩き続けると、いつもの癖で花屋の近くまで来ていた。
なんとなく気まずいので、裏道を通り過ぎよう。そう決め、軒先が見えるか見えないかの位置でUターンを決めかかった時、ちょうど店から秋野さんが出てきた。
一瞬のタイミングで隠れたものの、うんしょというかけ声と、息のあがった様子から何をしているか気になり、電柱の影からのぞいてみる。
オレンジ色の包装紙にくるまれた巨大な胡蝶蘭を抱え、ひいひいしている秋野さんが見える。(こちらに気がつく余裕は無さそうだ)
「大丈夫ですか?」
気がつくと自ら飛び出し、声をかけている自分がいた。
あらあらという様子で汗だくの笑顔を見せてくる秋野さんは、しかし俺の登場にクエスチョンマークを浮かべたような表情だった。
遠慮する秋野さんをなだめ、俺は配達を自ら志願した。こんな時はじっとしているより、動いた方が気が紛れるのだ。
とは言うものの・・・住所はここから自転車でも40分はかかりそうな駅裏の繁華街だ。この距離をいつも一人で運んでるのか?俺は心配になった。(おまけに配達用のママチャリはかなりガタがきているようで、寿命を知らせるためか、こぐ度にキイキイと鳴いた)
途中立ちこぎもしながらペダルをこぎ続け、汗がTシャツに滲んできた頃、やっと目的の場所についた。辺りは夜の闇に包まれていたが、やはり駅前とだけあって無駄に明るい。そのなかでも、一際目立つその店に俺は目を疑った。
『宵の帳』
金色の味のある字で書かれた看板は、一見すると居酒屋みたいな名前だが、店前に待機しているインカム付きの黒服達から推測して、ホストクラブだとすぐにわかった。
周りの男達の視線を無視しながら、店へと続く薄暗い階段を注意してくだる。(あまりの重量に、胡蝶蘭を持つ手が震えだした)
息を切らして扉の前に立つと、黒い重厚感あるドアが勝手に開き、華奢な黒服の男が笑顔で出てきた。
「秋ちゃん!今日ちょっと遅刻じゃないのぉ⁉」
色素の抜けた淡いアッシュの髪に、カラコンの入ったコバルトブルーの瞳。なかなかの美少年だが、言葉遣いからなんとなくお姉系にも思える。
両手がプルプルしている状態なので、首だけで会釈すると、あぁん?なんだおめぇは?と、人が変わったように詰め寄られた。
「なーんだ。てっきり新しい旦那でも出来たのかと思ったぜ。」
開店前の誰もいない店内の奥にあるカーテンで仕切られたVIP席。配達した花が飾られたその場所に急に座らされた俺は、なぜかシャンパンを振る舞われている。突然の状況に呆気に取られながらも言葉を返す。
「いえいえ、俺まだ学生っすから。てか、秋野さんの旦那さんって?」
恐る恐る質問する。年は俺とさほど変わらないだろうに、そのオーラからして、ここを仕切っている立場だということがわかる相手は、怪訝そうに答えた。
「あぁん?なんだおめぇ!まさかあの人のこと狙ってんじゃねぇだろうな⁉」
第一声とは別人みたいに先程からずっとケンカ越しだ。俺は少し可笑しく思えたが、笑いをぐっと堪えていた。
「そーゆープライベートなことはてめぇで聞けよ‼
・・・あ、てかさっきのシャンパン、ノンアルだからチャリ乗っても大丈夫だかんな。」
捨て台詞を背中に浴びながら、そそくさと退散した。あのホスト、いつもああやって配達に来た秋野さんをもてなしてるのだろうか・・・
あれは絶対に惚れている、と思い出し笑いをしつつ、帰りも同じ距離をこぐことを思い出して少しうんざりした。
とっぷりと日が暮れる時間帯になっても、店の明かりはついていた。閉店時間はとうに過ぎている。
「遅くなってすみません。」
俺の声が届いていなかったのか、店のレジ台で一生懸命勘定をしている秋野さんは、電卓を叩きながら顔をしかめていた。
インターンしてから、この店の経営状況がなんとなくわかってきた俺は、前々から気になっていたことを聞いてみることにした。
「このカーネーション、毎日置いてるけど、季節問わずに仕入れると高くつくんじゃないですか?それなのに、一本80円って、破格すぎません?」
やっと俺に気がついたのか、あっ!っと驚いた秋野さんは、質問が聞こえないため聞き返してきた。もう一度同じ質問をしてみる。(ネットの知識だが、オフシーズンの花の仕入れは、どうしても原価が高くついて売りづらいので、やりたがらない花屋が多いと、見知らぬ人のブログに書いてあったのだ。)
あぁ、これね~と何気なくカーネーションに触れながら秋野さんは答えた。
「初めて娘がくれた花なの。」
そう言って、微笑ましいエピソードを語ってくれた。旦那が家を出ていってからこの店を一人で切り盛りするようになった秋野さんに、当時五歳だった娘さんが初めて贈った花の話を。
「いつもみたいにげんなりして、仕事するぞ~ってここに立ったら、レジの横に10円玉が9枚置いてあってね。振り返ると娘がね、眠そうな目をこすりながら渡してきたのよ。これを」
一輪手にとって、懐かしそうな目をする。優しいその眼差しに、俺はなんだか見とれてしまった。
「母の日だけじゃなく、そうやって小さい子がこの花を誰かにあげたいと思った時に、いつでも買えるように、って思ってね。」
店の経営がギリギリでも、そうやって自分の信念をもって働いている人もいる。そう思うと、仕事=金を稼ぐ手段という方程式が脳内で成り立っている俺は、なんだか淋しい人間なんじゃないだろうか。
そんな疑念が湧きはじめたことに、少し動揺していた。