花屋の本分
「あらあら、ぼ~っとしちゃってどうしたのよ?」
秋野さんに顔をのぞきこまれ、俺はやっと我に返る。穏やかな午後なのに、心は晴れない。
あの事件以来、脳裏に浮かんでいるのは、担架で運ばれていったときの航の顔だ。激しい運動直後特有の大量の汗のなかに、光るものがあったのを俺は見逃さなかった。
普段おちゃらけてるアイツが、初めてみせた涙。
病院まで付き添った俺と愛理は、その後航の家族に連絡を取り、解散となった。
「秋野さん、業務中にすみませんが、俺ちょっと電話しなくちゃいけない用を思い出して・・・」
秋野さんは笑いながら、しっしっと俺を追い払う。ピンク色のエプロンを外し、携帯だけポケットに突っ込んで店の外に出た。
愛理は、3コール目でちゃんと出た。
「お、もしもし。俺だけどさ・・・航はその後どう?連絡まだ返ってこない?」
バカップル代表ともいえるほど、二人は常に一緒にいたのに、入院してからというもの、愛理の電話にさえ航は出ていなかった。
「ゆっくん。心配してくれてありがと。結局電話でないから、昨日直接お見舞い行っちゃった。そしたらね・・・切れちゃってたの。靭帯。」
涙声で後半はとても聞きづらかったが、愛理の口からやっと状況が確認できた。
それは、俺の想像を遥かに越えるほど、思わしくない答えだった。
現在はあまりスポーツに関わっていない俺も、元々は高校球児だ。靭帯を切ってしまい、スポーツ生命を絶たれたプロ選手たちの存在くらい知っている。
靭帯を切ることの本当の怖さは、治療後に以前と同じプレーをすることが難しい点にある。癖になってその後同じ故障を繰り返したり、ケガへの恐怖心からぎこちない動きになったりする。
将来に関わる大切な試合で、航はそんな大怪我を負ったのだ。よりによって、アピールしたかった人たちの目の前で。
俺は胸ぐらをぐっと誰かに掴まれたような気持ちになった。電話の向こうの愛理は、もっと苦しい思いをしているに違いない。航のこれまでの頑張りを、誰よりも一番近くで応援していたのだから。
かける言葉も見つからなくて、長い沈黙のあと、俺は医者の診断内容を聞いた。MRIを撮ったところ、手術が必要なようで、その後のリハビリも半年ほどかかるそうだ。
冬の花園にギリギリ間に合ったとしても、スタメンで出ることはかなり厳しいだろう。うちの大学のラグビー部は名門なので、腐るほど控え選手はいるのだ。
とりあえず、手術の前に一度自分も顔を出すことを伝えて電話を切った。
「あらあら~なんか浮かない顔ね。好きな子にフラれちゃった⁉」
元気のない俺の顔を見るなり、見当違いなことを言ってくる。この人はいつも平和そうで何よりだ。
「友達が部活でケガして、絶望的な状況なんです。見舞い行くとか言ったけど、なんて声かければいいんだか・・・」
力なくしゃがみこみ、パンジーの肥料を新しいものと取り替える。
すると、秋野さんが俺に視線を合わせてしゃがみこみ、優しく微笑んだ。
「上手く喋れない時のこれよ。花屋なんだから、花の言葉を上手に借りなさい。」
まだ花屋に就職してねーし、とツッコミたくなったが、おかげで少し元気が出た。
秋野さんは、花のチョイスは私に任しときなさい、と鼻唄混じりに言うのだった。