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将棋と小説は似ている・2(定跡について)

作者: 叶エイジャ
掲載日:2016/03/20

 作文を書く際、「好きなことを自由に書いてみましょう」と言われたことはないだろうか。

 将棋でも「まずは好きな駒を動かしてみよう」と覚えたころは言われる。

 どちらも、言葉と駒という道具に触れて、親しむ段階だ。


 将棋には「相手の王を詰ます」という明確な目的がある。

 作文には「論旨を通す」という目的が、やはりある。

 作文の場合は、対戦者を読者だと仮定してほしい。将棋ならばこちらの玉が相手に詰まされないよう、一手一手に明確な意図をこめなければいけない。作文の文章もまた「こいつ何言ってるんだ?」と読者に飽きられないよう、「一貫したねらい・筋」が必要になる。無駄な手を指さない、論旨から脱線した内容は削る。完璧にするのは難しい。しかし目的に向かう方針としては重要だ。


 作文と小説の文章は、厳密には違うだろう。

 文法では正しい文章がイコール名文というわけではない。一見無駄であったり、作者の自己満足と思われる遊びが作品の雰囲気や筆者の世界ワールド醸成に通じることもある。味があると言われることもあるだろう。

 とはいえ、小説だって「話の終わり」が目的。起承転結や序破急という考え方も――小説ではあまり役立たなそうだけど――作文の時間に習ったのではないだろうか。

 作文は小説の基礎だ。作文の本は一種の定跡書といってもいいだろう。書くときに「読む人が『気持ちよく読めるように書け』」といった心得や、句点読点の打つ場所、どうしたら読んでもらえるかの書きだしの工夫の仕方、などなど。場合によっては小説指南書より有益なことだってたくさん書いてある。

 なにより、作文の力は実社会でもある程度役に立つのではないか。


 順序がおかしくなったが、将棋における定跡(囲碁の場合は「定石」)の定義を確認する。


 定跡:昔から研究されてきて最善とされる、きまった指し方。(デジタル大辞泉より)


 こう書くと「ふーん」とされる方がおられるかもしれないので、私の主観でもう少し詳しくすると、

『その道・業界のトップにいる人たちが、時に人生を費やして編み出そうとした、必勝法につながるための道筋』

 となるだろうか。

 当たり前だが、自分より互角以上かもしれない敵に勝つために、知恵を絞った末の流れである。「最善の研究」だからといってイコール「仲良く真髄を極めましょう」とかでは絶対に、ない。

 攻・防のバランスを意識して、隙あらば斬りかかる。そうした意図が凝縮された一手一手の流れであるから、定跡を取り込んだ初見の者同士が戦えば「ほう。貴様、なかなか隙がない……やるな」「貴様の立ち振る舞いもな」といった会話が交わされるのである(※盤上で)。


 今、『定跡を取り込んだ』と書いた。

 つまりは一手一手の意味を理解したと言う意味だが、ならば定跡を覚え出したころの子ども同士が対戦するとどうなるだろうか。

 場合によっては、定跡を覚えた方が、それ以前よりも弱くなることがあるのだ。

 これは、定跡をただ駒組みのための便利な型・テンプレート化して使ってしまうからではないかと感じる。


 とりあえず流れや駒組みは分かる。ひな形完成図(陣形完成図)は分かる。そこから勝負だ――子供が覚えたての頃は特に、定跡の流れに関心がいってしまって、肝心の「相手の玉を詰ます」ということを忘れてしまう場合がある。

 そのため、相手が定跡の途中で急に攻めてきたりして流れが崩されると、とたんに狼狽うろたえてボロがでる、なんてこともある。あるいは、自陣は完成させたけれど相手の陣を見れば完全に対応されていて、攻撃しようにもにっちもさっちもいかない――なんて場合もある。


 面白いのは、お互い相手を見ずに対局している時で、「A君、いま動けばタダで取れるよ! しかも王手飛車!」「取らないのか! よし、B君逆にチャンス。今攻めれば敵陣は崩壊……あああ!?」「B君、お前もか!」「いつとるの? どっちが勝つの……?」

 ――なんて、見てるギャラリーが声を出したそうに口をパクパクとさせる場合。時折対面のギャラリーの目が合って、苦笑ともつかぬ共感の顔を浮かべる。こういう勝負はある意味ドラマチックで、逆の意味でハラハラドキドキする。


 定跡とは基本的に、序盤のことを指す。互いに陣形を整えるなどして、どちらかが攻撃を仕掛け戦いが始まるまでの期間だ。

 将棋指しは攻め合う時が一番楽しそうな気がする。もっといえば一方的に攻めている時が。相手の攻撃をかわし、時には利用してさらに手ひどい反撃を行い、着実にポイントを稼ぐ。まさに主人公の気分だ。もちろん、前回言ったような落とし穴はいつだって存在するのだが。


 中盤は定跡というより、指し手の力量や大局観が要求される。感性が光りやすい場面と言えるだろう。実際自分の経験で考えたならば、相手玉を詰ます時と同じくらい、中盤の攻防は楽しんでいたように思う。

 そうして一手違いで勝負がついたり、大勝大敗という結果になったりする。

 この時、感想戦を行うこともあるだろう。どこが悪かったとか、対局者同士が自己反省したりする場だ。終盤や途中の攻め合いで読み間違えたなど、そうした話がよく出る。失敗や原因が明らかに分かりやすいからだ。

 でも、最後の一手違いが、実は序盤の駒の動かし方で何手でも挽回できたということに、やり始めの頃に気づくということは無いように思える。


 定跡の意味。形を覚えるだけではなく、必要に応じてその形を崩してでも戦えるよう理解を深める。

 定跡を鵜呑みにするな、という言葉があるが、これは最終目的を忘れず、相手の手に臨機応変に対応して駒組みをすすめろということだ。決して自分の感性を信じて思うように指せということではない。

 定跡の完成形さえ満たせば、とりあえず当初の作戦は成功する。そのため相手との間合いをはかる。実戦でその感覚を鍛えていく。

 

 定跡の習熟とは、いつでも剣が振るえるよう、隙の無い足運びができるようになることだ。自分の得意戦法に誘い込み、相手が自由に動けないよう、常にけん制とストレスをかけることだ。

 それができる頃には、おそらく有段者の域に入っているだろう(詰将棋や戦法から徐々に理解していくものと思われるので、意図的に序盤力を伸ばすころにはすでに一定の実力が備わっている)。

 定跡にとらわれず、自力で最善の手を探した結果、結果として定跡と同じ手を指してしまう。おそらくはそれがプロ棋士なのでしょう。

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