【#007】 深淵の森
今回のお話より文字数少なめで投稿していきます。
追記;二千文字ほど加筆修正を行いました。
ブクマ保存が+1で11件目、ありがとうございます。
GW中の投稿はここまで。
引き続き応援して戴ければ幸いです。
いま見ているのが夢の中なのは直ぐに分かった。
これが師匠のくれたスキルのひとつ、【夢灯鏡】自分の過去を見ることが出来るがあくまでそれだけ。
身体を捻っても引っ張っても何も起こらなければ、過去を変えることも出来ない。
あくまで自分が体験したことを視界から見るだけでつまらないものがある。
(まあ、そこは仕方ないか)
諦めるギゼンだった。
黒い、どこまでも葉や茎や果実のない樹木が行く手を阻み、足下にはぬかるんだ土の粘り気と滑りが邪魔をする。
見る物すべてが黒い世界でひとりの少年が走り続けていた。
少年は振り向くことなく、ただ倒れまいと必死に足を動かす。
しかし後ろから迫って来る殺意に満ちお腹を空かせた獣声を聞くたびに、心臓の鼓動のテンポが速くなり呼吸を荒くする。
泥濘を踏み越えて、当てのない奔走の旅を続ける少年は文明と言ってもいい建造物が一つもないにも関わらず、石と岩しかない平野で見つけたナイフを懐から取り出して右手に持つ。
これ以上走ったところでスタミナ切れを起こすことは必然だろうと思い覚悟を決める。
泥濘の性で足が取られたと見せ掛ける。
獣に備わった理性の欠片のない正直な本能は、まんまと策に嵌ったようだ。
泥濘を蹴ることによって跳躍力が死に滑りこけた。
身体を捻って半回転すると軽快なステップを加えて、獣の致命傷である首筋を掻っ切る。
悲鳴を上げることなく絶命した獣の毛皮を剥ぎ取って、久々の食肉に有りついいたことに安堵したのか座り込んで空腹感と喉の渇きを潤していく。
(思い出すなあ。この時の味すんごい生々しくて食えたもんじゃなかったけど、食わないと持たないし。火を焚けないこともなかった…かもしれないけど、まず川も泉がないから水分補給は湿った石の下とか舐めてたな)
「まるでゴブリンだな」
(そう言われても、仕方ありません。はい)
この世界に連れて来られて初めて自分以外の人間の声を聞いたこともあって、食事をしていた手を止める。
赤みを帯びた肉から零れ落ちる大切な水分を啜った後、野太い声がした方向を向く。
声がしっくりするほど頑丈な体格をした大柄の男は、目で分かるほど大きな剣を背負っていることと自分が所有するナイフと似た短剣が見えるだけでも五本。
自分が手に掛けた獣の血で鼻が鈍るが、声にも存在にも殺気は感じ取られない。
膝を曲げてその場に腰を下ろした男は、自分に話しかけてきた。
「君は人間だな。どうして、この世界で生きている?」
「物事を尋ねる前に名前を名乗る常識もないのか」
「ああ、済まない。私はレミエル、天使だ」
(このむさ苦しいオッサンが天使とか、神様は何を考えているのだろうか)
天使と言われて想像するのは、教会のステンドグラスにも描かれている通り裸をした赤子に白い翼をはね付けた男児とはかけ離れた仏頂面のむさい男性に「天使です」と言われて「はい、そうですか」とは言えない。
自分が知る限りレミエルという名は、旧約聖書に登場するエノク書の天使だと何故か記憶されている。
聖書を読んだ記憶はないのに断片的に蘇る情報通りならば、彼は幻視を支配して神からの黙示を人間に伝える役目を負わされた天使。
…だが、彼の問った言葉で自分に何かを伝えようとしている訳ではなさそうだ。
「悪いが信用できない。天使がここで何をしている? ここは天国なのか」
「これは驚いた。君は自分の生きている場所さえ理解していないとは。どうやってここに来たかは知らんが、ここは人間が住める環境では決してない。死ぬことは許されず、永遠に恐怖と本能に縛れて魔物が常に弱肉強食の世界となっている。完全に幽閉され魔物や怪物といった人間を餌にした奴しかいない煉獄だよ」
「なに?」
(驚いて当然。煉獄って言ったら誰だって炎の中だって思っていた当時の二千年前の人間たちは)
理解が追いつかない。
体内時計と抗議した結果、少なくとも一年は経過している。
▲
▽
自分が仕える彼女が神からのお告げを隠れて耳にしたことをいち早く知るために、城塞から抜け出した後信じられない光景を見た瞬間に冷えを覚えた先は既にここだった。
石と岩しかない平野で何度もゴーレムに殺された。
死ぬ度に元の場所に後戻りし、恐怖が植えつけられていったことが昨日のように感じられる。
一日で十五回踏み潰され二十三回石の拳で頭を粉砕される毎日に、流石に学習を覚える。
ひと月の間に何度自殺しても死ねない世界で生きて脱出する方法を探すために、ゴーレムを倒す研究を始めた。
研究するにあたって寝泊まりをする住居を作ろうと安全な場所を探し行く中で、城塞並みの岩壁に開いた穴を発見した。
自然に出来たものかと思えば、生活感ある内装をした一つの住まいだった。
岩壁の立て住まいだけあって岩石の屑粉が石のベットやイスに埃が被っていることから、数年は誰も住んでいないことが分かる。
それでも石のシンクに突き立てられた人工物を見れば、誰かが住んでいたのだろう。
この世界に来て初めて見たメタリックな鋼の刃をした菖蒲造りのナイフを一緒に生きる相棒にした。
だからといって、生存率が数パーセント上昇したに過ぎなかった。
自分の何十倍も大きな重量が生む破壊力と木偶の棒な身長をどうしようかと悩む毎日に、想い付いた一つのアイデアに賭けることにした。
かなり原始的な方法だが落とし穴に片足を嵌めたことによって、勝率を格段に跳ね上げ打ち負かすことに成功した…が計算通りにはいかなかった。
自分が何度も死んで再生するのに、魔物が死んでどうなるかを考えていなかったのだ。
崩れていった大小中の岩石は、二点三点四点とそれぞれの場所に集まっていき形を成していくその姿は自分が倒したゴーレムになっていた。
一体のゴーレムが四体に増えた。
どう考えたって勝てる訳がない一体で手こずる強敵を前にすることは一つ。
無論、猛ダッシュで「逃げる」を迷わず選択した。
そんなこんなで逃げることに必死で気付けば、この黒い森の中だった。
黒い森に入ったことにより、水分や栄養の補給は簡単だった。
石と岩しかない平野とは大きく異なり、ぬかるんだ土壌を掬い取って口の中に放り込む。
口内で土と水に分けて、土だけを吐き出すことによって水分補給は可能だが棲みついた魔物の生血の方が効率よく摂取できることを知ってからは、そっちにしている。
まあ、どちらにせよ遣っていることは悪鬼ゴブリンと同じ。
幾ら最底辺の魔物でも数を押せば勝機はあるのだろう、灰狼ウェアウルフ一体を五匹で倒した奴らは殺した生き物を躊躇いなく牙を立てて貪り食うその姿に類似している。
確かにひとりの人間としては、禁忌を犯している実感と薄々ながら魔物に近づいているのではないかと思う毎日が続いたある日のことだった。
悪鬼ゴブリンの異様な集団を目撃した。
通常群れを成すのは同レベルだけの筈だがその集団にはリーダーと思しき片手剣と鋼の防具を装備したゴブリンがいた。
ゴブリンソルジャーだ。
魔物の階級社会のすべてを知っている訳ではないが、ゴブリンという魔物の階級上では中の下に相当するものだと聞いたことがある。
最底辺レートFの防具なし片手斧装備したゴブリンを始め、頭部のみ防具を装備したボブゴブリン。
レートEの頭部と胴部と籠手に加えて片手盾と片手斧を装備したプレートゴブリン。
レートDの鋼の防具一式と片手剣を装備した目の前にいるゴブリンソルジャーと…続いて、耳にしたゴブリンの中でも最強と言われているのがレートS指定のナイトメアゴブリン。
ゴブリンの頂点とされるキングゴブリンは、戦闘能力が若干劣るためもあってレートはAらしい。
だれが作ったかはよく知らないが、このレートを一つの基準にすることで適材適所できていた前時代ではEクラスの魔物を討伐できれば一人前として認めて貰えていた。
それを越えるレートDに恐怖しているのか、当時の自分は茂みの奥でコソコソと隠れているのが精一杯であっただろうが今は違った。
武者震いって奴だ。
死んでも死なない世界に酔い痴れていたが、どうしても心臓の高鳴りを押さえる必要があった。
数百のゴブリンを統率する数十のボブゴブリン、数十のプレートゴブリンと数体のゴブリンソルジャーは隊列を整えて、ある方向に前進する奇妙な光景それは敵地に侵攻する姿そのものに見えたからだ。
追わずにいられない好奇心に背中を押されて、統率されたゴブリンの軍団を茂みや林から隠れて着いて行った先で見たのは地獄の惨劇だった。
全身が緑の表皮で覆われている特徴的なゴブリンの容姿とは似ても似つかない黒い、影のような体表を持つそれは口を大きく開けて丸呑みにした。
次々と防具を装備していないゴブリンを丸呑みにするソイツは、途中で動きを止めると同時に片目、いやひとつしかないその巨大な瞳を開ける。
ぎょっろとした眼球は今にも零れ落ちそうなほど見開いて、茂みの中の自分を見る。
目が合った瞬間、ソイツの口元が緩んだのが見えた時イヤな予感が脳に訴えかけてくる。
直感的な思考よりも早く勘付いたソイツが奇声を上げた。
黒い森の木々に乱反射した声はゴブリンの耳にいち早く届き、目撃者の方向に顔を向けるが既にその場所を離れていた。
だが、その後の記憶はない。
恐らく殺されたのだろう、それでも死ねない世界で再び覚醒した場所は石と岩しかない平野ではなく黒い森の何処かだった。
起き上がった自分が何処に向かっているのだろうと考えるが、答えは一向に出てこない。
気付けば自分の体はゴブリンのような魔物になっていた。
△
▼
「君は前向きだな。そんな身なりになっても、この森で血を強めているのは本能が故か? 君は知るべきだ。自分が何者で何のために煉獄に堕ちたのか、何度目の会話をしたかを思い出すんだ。君の未来の基礎はここで…」
レミエルの言葉はそこで途絶えた。
戻るのだろう、現実の世界へそう考えた答えは両方の頬に打たれた彼女の強烈な掌の衝撃で吹き飛んだ。
「―――ふにゃふにゃ…」
何とも出鱈目な起こし方だが、妙にスッキリした感覚が晴れ晴れした清々しさを与えられて覚醒させた眼球に映り込んだものは黒い森でもなければ石と岩しかない平野でもない。
均等に揃えられた丸太と白い土がしっくりとくる五畳ほどの一室に、自分よりも若干幼い少女が太陽の光が差し込む窓を開けていた。
早朝の日差しと吹き込んだ優しい風になびく彼女の茶髪を浮かせる。
ニナ、家名を持たない彼女はこの家の村長が溺愛するひとり娘でギルド商会に畑仕事の手助けを依頼した張本人である。
どうして彼女が手配した仕事をみんなが嫌う理由は、何となく理解した。
昨夜の彼女の態度を知れば、逃げ出す人間は少なくないだろうがここで逃げる訳にはいかない。
ベラールは異端者がこの仕事をすることでひとつの証明になると口で言ったが、ナターシャの目には別の物が映っていたように思えてならなかった。
その理由も既に分かっている。
リビングルームに飾られていた一枚の絵を見てしまったからだ。
描かれていたのは幼い頃のニナとあの商会で受付嬢として働くエレノアともう一人ナターシャの三人が手を繋いで楽しそうに会話するそういう画だ。
それぞれが違う道を歩んでいるそんなほっておけない昔の友人に向けられた目の色だったのだろう。
そんな彼女から逃げ出してはいけないと思ったのだ。
これもビットが言うところの自分の弱点なのだろうか、と不図思わせるが俺は案外好きだったこんな自分が。
「さあ、今日からみっちり働いて貰うわよ」
「望むところだ」
過去編が終わったのに、夢の中で過去編。
進んでいるのに進まない感があああああああ、残る今日この頃でした。
追記;次話より本格的に進めていきますよ。