【#004】 エルフの予言者
さきに言っておきます。
今回のお話は途中までしか出来ていません、ごめんなさい。
改めて土日に加筆修正を行う予定→修正完了しました。
因みに前話分【#003】から第一章となっています。
章タイトルの「剱」は「つるぎ」と呼びます。お話が進むにつれてこの意味が分かるかと思います。
何処か質素な雰囲気のある一室に芳醇な香りをもたらす肉汁と野菜本来の香りが、複雑に絡み合い火力によって増幅されている。
嗅いだことのない食欲を高めるスパイスは、お腹を空かせた子供から大人まで抗うこと出来ないだろう。
曲線の径の大きさが大きく浅めになった黒い片手鍋に、膏漲る肉塊や緑色、黄色、半透明な野菜が鍋の中で踊っている。
小さな手で片手鍋を前後に動かして肉塊から溢れる膏を撥ねさせる。
三種の野菜に肉汁という名の膏を浸透させていくさまをリビングルームから眺める青年はよだれを垂らして彼女の名前を呼ぶ。
「ニナ、メシまだー?」
その質問に座っている青年と同じ位の背丈をした彼女は、聞こえていないのか無視をしているのか淡々と料理を続ける。
鍋の中には、ほとんど完成に近い炒められた料理に最後の調味料を加えようとしていた。
食器棚よりも上の棚に置かれた様々な色付けされた蓋が被らされた瓶を見る。
その中から黄色とオレンジ色に染められた蓋が被らされたそれぞれの瓶を取り出して、スプーンで瓶の中に収められている液体を掬う。
黄色の蓋をした瓶から二杯、オレンジ色の蓋をした瓶から一杯を料理の中に入れて鍋を振るいにかけた直後、香りが劇的に変化する。
濃厚な肉汁がもたらす膏は二つの調味料によって緩和され、透き通ったストレートな香りは刺激へと変貌を遂げて青年の鼻に直撃する。
食事をする前に青年は香りだけで満足したのか、ノックダウンされたように両手にフォークを握ったまま机の上に頭が倒れる。
机に倒れる鈍い音もスルーして大皿に料理を盛り付けていく彼女は、アツアツの肉塊を菜箸で掴んで味見。
口の中に放り込んだ瞬間、弾ける肉質とほんのり酸味が効いた肉汁の膏を中和してマイルドな味に合格点を脳内で与えると料理をリビングルームの机の上へ置いた。
食器棚から小皿を二枚取って、料理をそれぞれの皿へ盛り付けてイスに座る。
「さて、食べましょうか」
「ええ、そうですね。では、いただ…」「kyuuuuuuuuuu―――…」
「頂きます」と食事では当たり前の挨拶は、お腹を空かせた彼の貧相な腹の虫の音で掻き消されてしまった。
丸メガネを掛けた少年と料理を運んできた少女の前には、盛られた料理が置かれているがお腹を空かせた青年の前には彼の頭一つだけ。
当然の報いだと、言わんばかりに彼女は彼に料理を出さない理由を告げる。
「私たちの仕事を忘れた訳ではないですよね? この一週間で完成しなければ困るのは国民なの。ジャガイモはこの国にとって第二のエネルギー源になっていることは知っているわよね?」
その質問に対して彼女に対面するように座っている少年が、メガネの中央部分を中指でくいっと押して答える。
「ええ勿論です。この国どころかこの地域一帯の主食というのは、ライ麦を使ったパンが主流ですがジャガイモはパンにはない栄養が多く詰まっています。ビタミンB群とCやミネラル成分が豊富に含まれ特にビタミンCはミカンに匹敵します。
えーと、頭の回らないあなたに分かりやすく言えばですね。B群には疲労回復や成長の促進、体を動かしたり魔法を円滑に使えるようにしたりとエネルギーの生成から妊娠中の方など女性の健康を保つ効果まで色々なものが勢揃いした補給源になります。さらに言えば、単価が非常に安く料理を作る上で必要になるレシピが多いので当然庶民の味方になる訳です。ここまで言えばお判りでしょう、いくら二期作をしているとはいえ消費量はパンよりも上を行くジャガイモが取れなければ…他国から最悪輸入という手段に繋がります。最も正確な答えを挙げるならばデメリットしか残らないですね」
非の打ち所がない的確な答えに彼女はうんうんと頷く。
顔面を机に押し付けた青年に横目を流して、この国どころかこの世界そのものの一般常識を知らないだろう彼を見る。
頭部を机に倒した彼は両手にフォークを握ったまま、カカシのように硬直していた。
そんなカカシはないだろうが、空腹状態から抜け出したい彼はぐにゃんぐにゃんと机の上で上半身だけを使って踊りながら転がる。
情けなく鬱陶しく思う少年は、ある提案を彼女に述べる。
「こういうのはどうでしょうか、美味しくご飯を食べるための種となる話題を彼に話して貰い面白ければ等価交換として料理をあげるというのは。第一、これで彼も懲りた筈ですよ。すべての生きる者にとって食事は絶対に必要なことですからね」
少年の言う通り、食事は人間や動植物だけでなく魔物にとっても必要な行為である。
それはただ単に「生きる」為だけではなく、魔力を補給するという意味でもあるからだ。
たとえば、魔力五百持つ兵士が戦いで三分の二以上も失えば立っているのがやっとの状態になり二ケタ以下の数値になると意識を喪失する、それだけ魔力は生命にとって重要なことに繋がってくる。
つまり食事の際、一番にエネルギーが魔力として変換されて補給後満タンになれば体内の重要器官に栄養として補充される。
…のだが、農民である彼女ニナと監視役として招かれた少年ビットは魔力を使うことは決してない。
日常生活から魔法を使っていないという面もあるが、使う必要が無いからだ。
普段から筋肉だけを使って農作業する彼女らは、余計なスタミナ消費は無用だと考える一方で青年ギゼンのような戦士タイプの人間は魔物と戦うために魔力を身体に覆って防御力を高める毎日から場違いの畑仕事に出れば慣れない仕事から疲労するのは当たり前。
カカシのように硬直したかと思えば鬱陶しく机の上で駄々をこねるように踊り、フォーク三本の刃は天井に向けられていたのが寝かされ、ぐったりしたギゼンを哀れに思ったニナはビットの提案を呑むことにした。
勿論、条件つきで。
「分かったわよ。私もそこまで鬼になりたくはないし、ここにどうして来る破目になったのかを詳しく教えてもらえるなら食べてもかなわないわ。ただし、明日からちゃんと働いて貰うから覚悟しなさい」
その答えに耳をピクリと反応させると、机中央に置かれた大皿に盛られた料理を口にする。
いままで味わったことのない味覚よりも空腹感を満たす量に満足そうにがつがつと食べる様子を見たニナは呆気にとられて笑った。
あれだけサボっていたのに、どうしてそこまで食欲が湧くのかと。
軽く見積もっても明日の昼食分まで作ったつもりが、キレイに肉片ひとつない大皿を片付けようとした矢先、
「―――さて、明日の為に寝るかな」と満腹感に浸るギゼンは空き部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、後頭部に大皿がフリスビーのように回転しながら直撃。
ドアノブを握ろうとした右手で頭部を押さえるギゼン。
床に落ちる寸前の大皿をキャッチするビット。
氷のような冷たい視線で約束をすっぽかしたギゼンに怒りをぶつけて包丁を握るニナの顔をチラリと片眼で見るギゼンはゾクリと恐怖した。
冷ややかな笑った表情のまま、じりじりと迫るニナに対してギゼンは抵抗虚しく御用となったのは言うまでもない。
大皿を安全圏に置いたビットは、嫌がるギゼンを両手で拘束し座っていたイスに縛り付ける。
冗談半分には到底思えない表情をするニナが握っている包丁の刃が首筋まで迫ると、生唾を呑んで本気に懇願した。
「じょ、冗談ですってニナさん…マジでごめんなさい。ちゃんと話しますから、せめて紐を解いてもらえないでしょうか」
「そう…ね、逃げたら鶏や豚の家畜と一緒に解体してあげるから…ね?」
その言葉に呼吸さえ忘れるほど真剣な彼女の瞳から、これが嘘ではなく本意であることを知ったギゼンは上下に首を数度振って答える。
紐を解かれたギゼンは安心して溜め息を吐く。
仕方なく席に着いて代償通り、彼女の要求に従ってここまで経緯を語り始めた。
あのドアのない酒場で起きたひとつのトラブルから始まった一連の流れを口にする。
▲
▽
再び戻って、昨日の正午のこと。
ギゼンは出禁領地とされる「虚ろな森」を抜けて故郷であるヘイブンに向かっている途中、この世界の現状を詳しく知る人物に会うためにドアのない酒場に立ち寄って見た。
しかし、そこにいたのはゴブリン狩りを済ませて酒を飲む戦士と呑んだ暮れに聞いたところで正しい答えを貰えそうにないと踏んだギゼンは、入ってしまった以上何か注文しないといけないかなと思いカウンター席に座る。
ここでひとつの問題が生じてしまった。
戦士であろう彼等はお金に困っているのか、追剥ぎのように迫ってきたのだ。
これでは遣っていることはゴブリンと何ら変わらない。
(俺が言えた義理ではないけど…な)
人間のこういうところは何処に行っても変わらないのだと思ったギゼンは、威嚇という手段で追い払うことにした。
見るからに戦士といった感じの装備をする彼等の魔力感受性はそれほどないだろうと予測して一千の魔力を放って脅しをかける。
脅しにひれ伏し倒れていく中、ひとりの熟練戦士だけはまだ立っていた。
一千の魔力に抗える強さを身に着けているのだろうが、所詮追剥ぎしか能のない彼に質問しても必要とする答えが返ってくるとは限らないと思ったギゼンはさらに倍の魔力を垂れ流して、彼の頭部に大きな衝撃を与えた。
この行為によって後々、後遺症が発症するわけではない。
大きな魔力を垂れ流して威嚇する行為によって負担を背負うのは、物事を考える脳と体全体を円滑に動かすための心臓にストレスを与えるだけであって死に直接結びつくわけでもない。
第一、心臓の悪い人間が戦場に出ること自体が自殺行為の上、見るからに屈強な戦士なのは顔を見ずとも身に纏う空気だけで分かる。
殺すことは簡単だが、理由がない。
倒れ込む熟練戦士の甲冑が床に倒れた音が耳に入ると、急に喉に渇きを覚えたので酒場の奥に入っていく。
酒場だけにワインぐらいあるかなと物色するも、保管庫に置いてあるものと言えばこのやけに重い樽ばかりが積み重なっていた。
樽を揺らすとちゃぷりと液体が入っていることに間違いないのだが、開け方が分からないギゼンが途方に暮れて振りだしに戻ると冷めてはいるものの乳白色の液体を目にした。
透明の杯に入ったそれを嗅ぐと、ヤギから取っていたミルクを思い出した。
そこまで濃厚な香りはしない上あまりにも水っぽさを感じ、棚に保管されている調味料の中から砂糖を見つけ出してたっぷり加える。
自分が座っていた席に戻り、机の上へ置いて掻き混ぜ始めた頃を狙ってか来客が敷居を跨いできた。
足音だけで来客は二名だと分かる。
一歩踏み込んでギゼンの掌握する感受範囲に入った瞬間、彼等の適性を脳内で暗算した。
男性の方は大したことはないが問題は女性の方、十代もしくは二十代前半という若さでここまで大きな魔力を持つ人間に加えて「様」付けから歳を食っている男性よりも高貴な人間であると踏んだ。
スプーンで掻き混ぜる手を止めて、立ち上がって軽い自己紹介と敵意がないことを示して両手を挙げた。
振り返って目に映り込んだものは、ブロンドの髪に青い瞳をした美少女だった。
ドアのない酒場に吹き込む風に煽られてサラサラした美しい髪が浮き上がらせる。
澄んだ青い瞳からはあやふやな感情を帯びて興味ありげに自分を見詰める。
真っ直ぐ下を向く鼻先、プルリとした艶々したピンクの唇、色白肌の頬を朱に染めたその表情は周りの風景失くしても十分インパクトを与えてくれる。
似ている、瞬時にその一言が頭を過ぎった。
二千年前のヘイブンを治めていた覇王の娘フェアリスの現身に見える少女に思わず、彼女の名前を聞いた。
ナターシャ=リレイン、その名を正しくは家名が耳に入った瞬間だった。
目の前の彼女が王族の人間でそれもフェアリスの血を継いだ後継者なのだと直感した。
ホッと胸を撫で下ろした。
「―――良かった。キミが生きていて、」
彼女に手を差し伸べようとした矢先、それは白い手で遮られる。
彼だ。
彼女の身なりとは異なり、何となく堅苦しい尻尾見たいのが付いている黒と白の変な服装をしている。
喉元には蝶型の布地、黒い髪に白髪が交じる初老の男性はキツイ視線で無暗に近づいて来た得体のしれないと思うギゼンの前へ彼女を守るように立ち塞がった。
僅かではあるが白い手、手袋の上に魔力を乗せているのが感覚で分かる。
器用なのか、あるいは威嚇のつもりなのかは定かではないが鋭い殺意を向けられた以上は止められない…ところではあるが自重する。
戦いが本来の目的ではないからだ。
「ナターシャ、キミに聴きたいことがあるん――」
話し途中の言葉は、無視された彼の逆鱗に触れたのか怒声で飛ばされた。
「良い態度だな。異端者風情が、気安く王女に話しかけるなど言語道断。最底辺の魔物ゴブリンと変わらぬ貴様が手を触れていいわけがない。弁えろ、灰色の怪物が――!」
「言いすぎです、ハルバード」
「しかし姫様、この者が灰色の怪物であることに変わりはありません。あの片目を見たでしょう。あれは魔物の赤い眼、どんな呪いを受けているかも、どんな凶悪な血と力を有しているかも未知の怪物。過去の犠牲を視野に入れて、建てられた塔に今すぐにでも入れるべきです」
「ハルバード、あの塔は…」
それ以降の彼等の言葉は一向にギゼンの耳には入らなかった。
どれもこれも聞き覚えのない単語が次々と頭に尖って、会話を聞くどころではなかったからだ。
二人の会話中に話していることを整理していくと、
(…つまり俺があのゴブリンと同じ地位? 階級? ――で、それ=灰色の怪物。それを言い過ぎというナターシャは、うん。いい子だ。それに比べてこのお付きの人ハルバードは、過去に何があったかは知らないが俺と同種の人間に強い殺意を抱いているようだ。こういう奴が一番厄介だ。このままだと話は出来そうにないし、どうしたものか)
整理から悩みに変わる中、突然それぞれの意向を言葉に変換して会話する二人の間を割るようにひとりの人物がそれを止めた。
二千年前の世界…あちらの世界では高価な品として数えられていたメガネを掛けた店内の誰よりも若い容姿をする少年は、くいっと下がったメガネを押し込んでコホンと咳払い。
「呼びましたか?」
誰一人として彼を呼んだ覚えはないという顔をしている。
真っ直ぐにギゼンの方へ足を運ぶ少年をよくよく見ると、彼は人間ではなかったことに気付く。
顔立ちだけを見れば確かに人間だと言い切れるだろうが、この特徴的な耳を前にすればそれぞれが違う言葉を放つ。
ハルバードは特徴ある耳と白い衣を見た途端表情を変える。
如何やら知り合いのようだが、彼から吐かれた言葉は意外なものだった。
「なぜここにいる。エルフ」
ハルバードが口にしたのは種族。
まだ一度たりとも出会ったことはないが、目の前にいる少年は確かにエルフだった。
悪魔や悪鬼のモチーフでもある尖った耳を持つ妖精の容姿をした短い黒髪に丸メガネを掛けた少年、見た目の年齢もそうだが背丈もまた一段と低い。
あちらの世界でエルフと言えば、人間を同種の代わりに生贄に捧げていたという印象はまるでない。
ギゼンの顔が映り込む紫色の瞳。
エルフの少年はギゼンの人間とは異なる容姿を見るなり、フムと頷いて振り向くことなくハルバードの質問に答える。
「僕の名前はビットです。何度言ったら覚えて貰えるのでしょうか。ここに来たのは彼に呼ばれたからですよ、ハルバード様」
「なにぃ――!?」
ギゼンに顔を向けるが、その言葉に動揺を示している。
当然だ。
このビットと名乗る少年に会ったことも、この世界に来て出会ったとすればゴブリンと追剥ぎ戦士くらいだ。
そうこう想いを巡らしていると、目の前の少年はギゼンしか知らない情報を口にする。
「こちらの戦士たちは如何やら第三級の犯罪を企んでいたしたようです。ゴブリン退治終えた冒険者がすることではないですね。それからこの酒場は如何やら第二級の犯罪に加担している節があります。この季節に対して樽の貯蔵数が異常に多いですね。それもこの魔物が多く出没する辺境地に店を構えている点に加えて回転営業許可証が見あたらないことを考えると密輸でしょう。二人倒れているそこの呑んだ暮れを調べれば、色々と知っているのではないでしょうかね。まあ、確実なのはこの店のお金を数えている彼に聞いた方が効率はいいでしょうが…、さて問題はこの青年の処遇でしょうか」
どの答えも自分が見てきた情報をパズルのように噛み合わせて複数の結果に辿り着く。
何処からか見ていたのか、その考えは次にビットが口にする言葉で更なる困惑をもたらすことになる。
「ギゼンさん、僕は覗きなんて言う姑息な真似はしませんよ。そこに倒れている無法者の彼等と一緒にしないで頂きたいですね。ただ単に数分前の貴方を見ただけです。貴方自身が困っていたのは事実の筈ですよ。それぞれの意向をぶつけ合う彼等にどうしようか悩んでいたでしょう」
事実だ。
(だが…、)
思考よりも雑念に近いことを思い浮かべる間もなくビットの言葉によって打ち砕かれる。
「貴方が言いたいことは分かります。どうしてこの少年は考えていることが筒抜けなのかと。その答えに対して僕が述べるのは言葉ではなく行動です。貴方も一端の戦士ならば戦いによって心を語ることなど容易いでしょ。戦えば僕がどういうタイプで、何を考えているかが理解できる筈です。戦うことに不服があるならば、賭けをしませんか? 僕に…そうですね、一太刀もしくは一触れでも構いません。当てることが出来れば、貴方の勝ちとして認め貴方の要求を聞きましょう」
「「はぁ!?」」
その言葉に二人の男が疑問の声を上げる。
意味不明なビットの提案に納得できないハルバードが怒鳴り散らす中、ひとりの少女の声が貫く。
「分かりました。その提案を認めましょう」
「姫様、どういうつもりですか? エルフに耳を傾けるどころか、こんな無茶苦茶な提案を受け入れるなど正気ですか」
再び自身の意向を貫くハルバードに溜め息をつくナターシャは、頬に片手の掌を当てて困ったように答える。
「ハルバード、落ち着きなさい。あなたの悪い癖です。熱が上がることは分かりますが、真剣に考えて見なさい。過去…一度、二度と心を許したばかりに異端者によって国民や身内を失ったあなたの気持ちは十分に理解しているつもりです。しかし、すべての異端者がそうではないと私は信じています。ビットがこう申し出ている以上、彼の提案を呑んでみませんか? 私も彼も見る目は持っているつもりです」
「姫様――、」
言葉を失うハルバードに優しい瞳で彼に告げる。
「ハルバード、大丈夫です」
一呼吸置いて、ビットが提案した賭け勝負にナターシャは自らの口で付け加える。
ギゼンと名乗る青年の力量を図る上でもあり、彼を知るためにもここで下がる訳には行かなかったのだ。
『著作:エルリオット=フェメル 二千年の夢物語』に登場する第一章から登場する人物の髪の色だけでなく、色違いのオッドアイ、数値にして読み取ることが出来ない魔力量も同じ彼がこの国へ来たのか知るべくナターシャはこれから戦う両名に告げるのだった。
「ビット、あなたの提案を受けましょう。ただし賭ける物については私が責任もって用意しましょう。これは非公式な模擬試験とお受け取り下さい」
頷く両名。
提案した本人はともかく対戦相手となるギゼンが不服な答えを上げると思っていたナターシャはホッとしている様子。
ギゼンは拒む理由が思い当らなかったからだ。
これほどの好意を好機に変えない手はないと考えるギゼンを他所にビットはクスリと笑う。
「剣、魔法、特異能力など戦闘に必要なら自由に使っても構いません。ギゼンさんの勝利条件はビットの肌に触れた時点で勝ちとしますが、あくまで物理的攻撃限定とさせていただきます。魔法ではなく素手もしくは剣の切っ先が触れた場合のみということです。時間制限として午後一時までの三十分間、鐘が鳴った時点でギゼンさんの敗北とさせていただきます。審判はわたくしナターシャと執事のハルバードとします。また両名のみの試合の為、審判に攻撃が当たってしまった場合も敗北となります」
両名の目を見て確認を取る。
瞬きして答える彼等は、犯罪の物証を壊すわけにもいかないこともあるがマナーとして表へ出る。
整理してある道とはいえ、大粒代の石がゴロゴロと転がっている。
大きな風が吹けば砂が埃のように舞い視界を塞いでしまうガタツク地面を蹴って跳躍を始めるギゼンに対して、ビットはというと砂埃が既についたメガネを布でキレイに拭いて欠伸をかく始末に大丈夫かと近くで彼等を見るハルバード。
準備運動を終えたギゼンとメガネを掛け直したビットは、開始の合図を待つようにナターシャを見る。
両名の準備を目で追って確認したナターシャは、声を張って合図を放った。
「始めっ!!」
向かい合った両名だったが、開始の合図からギゼンは単純明快な攻撃を繰り出す。
最短距離、直線距離僅か数メートルに立つビットへ魔法の一切を使うことなく足の筋力だけで迫り速度をそのまま利用した正拳突きをトップスピードで空気を裂く。
人間の身体能力を遥かに凌ぐそのスピードは小さな衝撃波ソニックウェーブを生んで、ビットの脳幹を打ち抜く―――、筈が吹き飛んだのは寧ろ地面の方だった。
火力が高い魔法が通り過ぎたのではないかと思えるほど、整理された道は弧を描くまでは行かなくとも抉れていることは一目瞭然。
人間や魔物が受ければかすり傷では済まないことは明白だが、ギゼンは両目を見開いて最速攻撃を躱したビットを見る。
「人間にしては早いですね。ですが身体能力だけで勝てると思ったら大間違いですよ」
ケロリと何事もなかったように立ったまま読書する彼に頬を引きつらせるギゼンは、その後も安直なストレートな攻撃を最速で繰り出すが全く当たらない。
後部に回り込んでの正拳突き。
遠距離からの投げナイフをブラインドにして最速回し蹴りも踵落としでさえ一向に当たらない。
片手斧を使った一振りと見せかけてブーメランのように投げるが、すべて躱される有り様。
「どうしました? もう降参ですか、その程度でこの世界を変えるなど無理な話しですね。もう十分に僕は貴方のことを知りました。僕の魔力量は戦士以下なのにどうして攻撃が当たらないのか、それは貴方もお持ちの特異能力ですよ」
「なに?」
「僕がエルフだからという訳ではありません。人間にも魔物にもまだ未知の覚醒されていない力を利用しているに過ぎません。それとも特異な力を持っているのは自分だけとでも思っていましたか。過信は油断を生みますよ。たとえば僕の力は戦闘向きではないことを自覚しているが故にここまで至たりました。あなたの攻撃を躱すことが出来るのは、そこにどんな攻撃が来るかが見ただけで分かる。つまり僕は数分後に起きるであろう貴方の攻撃が手に取るように分かる【予言】の力を有しているということです」
「―――ッ、マジかよ」
特異能力を知ったギゼンは戦意を喪失したのかと攻撃の手を緩めたと思いきや、彼が口にした言葉をビットは予言できなかったのだ。
「す、ッスゲーじゃんオマエ」
「貴方は正気ですか。ここで負ければ、貴方は処分されかねないというのに敵である僕を褒めている場合ではないと思いますが」
「いやだって予言とかって、未来が見えるなんて最高に便利だと思うけど。それに今の言葉で弱点は分かったよ」
「え!?(どういうことだ、まるでさっきから未来が読めない)」
疑問の答えを初手と同じく正拳突きで返すが、モーションだけで予測づけて回避をするも間接的に当たった攻撃によって白い衣が破れた。
「グラン―――、パルス!」
拳一点に注がれた膨大な魔力は青いオーラを帯びて炎のように燃え上がり爆発、身体能力の正拳突きとは別次元の破壊力を持って道は寸断されてクレーターが出来ている。
膨大な魔力を解き放ったというのに呼吸は乱れず、汗一つ掻いてはいない真剣な表情にビットの背筋に寒気が走る。
それは審判をしていた両名も同じだった。
初級魔法、魔法使いから魔力の低い戦士の誰でも扱うことが出来る低レベルの魔法にパルスというものがある。
ただそれは魔力を体のどこかに定着あるいは浸透、纏わせることによって多少なりとも防御力を上げるだけで攻撃に遣えるような魔法ではない。
現にハルバードがナターシャに触れようとした際に弾いた時に使っていたのもこれだが、たとえ大きな魔力をこめても防御力を高めるだけだった。
…のに、彼の放った一撃で見る世界が変わった。
一体どれほどの魔力をどう使ったのかと。
生唾を呑むビットは大きな魔法を行使した反動によって動きが鈍くなっているギゼンから距離を取るも彼の作戦にまんまと嵌ることになる。
最初に出会った衛兵が持っていた白煙手榴弾をすべて放ると、クレーン射撃のように小さなファイアーボールで次々と当てていく。
モクモク発生する煙の中では予言できないと踏んだからだ。
歩く者、走る者の足音を読み取ってどこにビットがいるかを探知したギゼンは消音効果を持つ魔法サイレントを使って走っている影へ向かって下から上へ持ち上げるように殴り込む。
確かな感触があったギゼンは迷うことなく押し切るが、何とも奇妙な感触が拳に残る。
「ハ、ハルバード―――、」
何故か執事の名を呼ぶナターシャの声に気付いたギゼンが白煙から出ると、倒したはずのビットがそこには居らず泡を吹いてノックダウンされていたのはハルバードだった。
(え? なんで)
頭を傾けて考えるものの、全く持ってどうして白煙の中にハルバードがいたのか不明だったギゼンは悩んでいたが対戦者の言葉でそれは解消される。
「貴方は甘すぎです。僕がいつ自分から手出しはしないといいましたか、幻惑魔法のような小さな魔力でも魔法は十二分に発揮できるのです。因みに今のは僕をハルバード様にだけナターシャ様を投影させて駆け寄ったところを貴方渾身の一撃が股間にクリーンヒットしたのであのざまという訳です」
「オマエ、意外と酷い奴だな」
「これもひとつの戦術ですし、僕にとっては苦肉の策でした。あの場面での対応策としてこれが限界です。確かに立ち止まって機会を伺うことも出来ましたが、これで貴方にも理解できたと思います。小さな力でも大きな石を壊せることが」
ここまで遣られては敗けを認めるしかないだろう。
ギゼンは痛感した。
甘さから生まれた敗北という二文字に覚悟を決める他ないと。
全力で戦ってくれたビットに握手を求めた。
「有難く、受け取っておきます」
書き過ぎた感が残る今日この頃ですが、決着まで書けたのでここまでを【#004】とさせていただきます。
次話では畑仕事する破目までの経緯を綴っていければと思っています。
もうすぐGWですと浮かれ気味ではありますが、仕事が休みであることを願うばかりの投稿者です。
それでは良い一日を。