【#003】 もうひとつのプロローグ
前話【#002】5000文字から7000へと全体的にボリュームを付けて加筆しましたので、そちらからか冒頭【#001】から読んで戴けれることを推奨します。
今回のお話で序章を終えて、次話より本編となります主人公ギゼン視点での物語です。
透き通った空気が風に運ばれワインの原料となるブドウ畑に実る若い葉を包む。
芽の中に折りたたまれていた葉を広げ新梢が垂直方向に伸びた葉はまだ若く、これから葉の色相が色濃く大きく育ち新梢の根本に近い部分に果穂が育つもうそろそろ「展葉の時期」を迎える早朝。
昼間に比べて、やや肌寒いが農民たちにとってこの気温はとても清々しい寝覚めになるらしい。
ヘイブンの城下町、大衆料理店や武器屋などの繁華街から離れた場所には点々と多くの村でそれぞれが決められた家畜を飼育したり、ジャガイモなどの植物を育てたりブドウ畑の栽培管理を村人総出で勤めている。
▽△マニラ村▽△
城下町から東農道を歩いて六キロ先の農村、マニラ村の農作業は大きく分けて二つ。
昨年の十月頃から畑を耕して土作り翌月上旬に種籾を撒いて今年の六月上旬には刈り入れる黄金の絨毯から栽培・収穫するライ麦を。
別の畑でジャガイモの栽培をしている。
一年に一度収穫するライ麦やブドウに比べて、ジャガイモは年に二度収穫する二期作。
本来は冬の間に苦土石灰を畑に撒いて土壌のphを調整するのだが、この村の男手不足と齢六十五の村長デルが腰痛で動けずライ麦畑を管理する村人の人員を削ぐわけにもいかず困った農民の一人が町のギルドに至急人員を求めていた。
最低でも五人以上の腕っ節のある男性が募集対象になった訳だが、どういう訳かギルドはひとりの人間と監視役を押し付けてきた。
いま村長のデルに変わって十六歳になったばかりの娘ニナが、村の古株に当たる引退した熟練技能者から色々なアドバイスを聞き取って指揮を執っていた。
いつも早朝五時に起床する彼女は、デルに朝食を作ってから自分の仕事に取り掛かる。
毎年恒例通りなら、ジャガイモ畑は耕されて畝の中央に深さ十五センチの溝を掘って堆肥一平方メートル当たり二キロを入れて五センチほど埋めなおして、三十センチ間隔で種イモを植えつけていても可笑しくないのに…土はまだ固い。
前髪が邪魔にならないように三角巾を額に巻いて農機具小屋から鍬を持ったニナは、今日も新入りの男と畑を耕すために意気込みを自分に向けて紡ぐ。
「よし、今日も頑張ろう」
昨日ギルドが連れてきたその男性は、余りの細身な体型で本当に腕っ節があるのか不安が過ぎることに加えて、なぜ監視役がいるのか不満と不安が頭の中を駆け巡る。
そんな気苦労を知らずか知ってか、畑の茶色の土と睨めっこする白銀の髪をした青年は監視役として招かれたにも関わらずイノシシ除けの柵の上で早朝から読書する人物と話しをしていた。
「なあ…、エルフ。なんで俺ここにいるんだっけ?」
「僕にはビットというちゃんとした名前があるんですよ、人間」
「ああ、悪い」
ビットと名乗る少年は監視対象に向かって種族で彼を呼ぶと、いい気持ちはしないと思ったのか銀髪の青年は釈明した。
監視役の人物をエルフと呼んだ青年の瞳には、人間の姿は映ってはいなかった。
悪魔や悪鬼のモチーフでもある尖った耳を持つ妖精の容姿をした短い黒髪に丸メガネを掛けた少年ビットの服装は、この辺りではほとんど観掛けることのない書斎で文字をすらすらと書く行政官の格好をしている。
外見の容姿からそれなりの地位にいるのだろうと誰もが思うところだが、彼は人間でなくエルフだ。
創歴という新しい時代の中で彼等の扱いは、悪鬼ゴブリンなどと同じ忌み嫌われ千年もの間、奴隷民族として人間に遣われていた。
どうしてそんな扱いを受ける破目になったのか、それはまだ六王たちが争いを続ける大戦の時代エルフが人間たちを奴隷として六王に自分たちの子供を捧げる代わりに犠牲にしていたのだ。
当然と言えば当然の罰を千年の間味わった苦痛の先、創歴一千十四年に多種族の協定を結んだことにより奴隷という立場は解消されたが今でも多くの人間から嫌がらせを受けている。
特に家名がある貴族連中の目からは、いつもキツイ視線を送っている。
ただニナには関係ないことだ。
人間と多種族の蟠りなんていうのは、お偉いさんにでも任せればいいと思う農民の一端である彼女は、ジャガイモの栽培が順調に進めばそれだけで良かった。
「ちょっと、そこのあなた。真面目に働く気があるの」
悠長に話を続ける彼等にニナは、全く進まない栽培の下準備に激怒した。
そうでなくともヘイブンの農民、特に男手はここ数年激減している。
国防長官ドレイクの勅命を受けてドルトン鉱石の採掘に駆りだされた農民のほとんどが、あの洞窟から戻ってはいない。
その中にニナの友人も兄もいる。
この国を好いている彼女だが、まだ戻って来ていない彼等の捜索もなし。
もし次の採掘の依頼が来た時を思うと、ニナはまた何かを失うのだろうと考える。
それが来る前に彼女は自分に任された仕事を全うしたいと願うのだった。
激怒する彼女はここにあらずという目で青年を見る。
彼女の態度とこの村の事情を知る青年は、ニナに謝った。
「わりぃ、直ぐに始めるよ」
彼女は別の場所で畑を耕すようで、青年が鍬を振り上げる素振りをするとそそくさ歩いて行った。
彼女の姿が視界から消える頃合いを見計らってか、ビットは語り始めた。
「そもそもあなたが僕の提案した勝負に負けたのが発端なんですよ。少しは自覚してください。あの時の勝負であなたの戦闘スタイル、対人スキルだけでもAランク冒険者に相当するあなたの敗因は…、」
「分かっているよ、俺が負けたのは甘さだ」
固い土を耕す青年は汗を滲ませながら、昨日のことを思い出す。
偶然立ち寄った酒場での小さな出来事を。
▲
▽
昨日昼時前のこと。
何時の間にか出禁領地とされる「虚ろな森」を抜けたギゼンは、一本の整理されたヘイブンへと繋がる道を歩いていた。
ギゼンには二千年もの前の地図情報しかないが、整理された道はそこにあったであろう林や茂みを刈り上げられ、大きな岩さえも削られていることが分かる。
創歴という名の新しい時代を迎える前、多くの勇者たちが骸となって灰色の大地があった場所にその名残は微塵もなく立派なブドウ畑の若い葉が要塞の近くまで広がっていた。
「あれ? 要塞だよな」
ギゼンの知る記憶の中では、対魔物用に何段にもわたって積み上げられた石造りの城に何十人もの甲冑を纏った兵士がヘイブンの旗印を掲げていた筈が彼の目に映ったものは深い緑色の円錐台と奇妙な箱に加えて、それらよりも高くまで伸びた筒形の箱。
全く持って違和感だらけの外見と箱から剥き出た黒い筒、どれも見たことがないギゼンは自分がどれだけ長い年月この世界から弾かれていたのかを痛感する。
以前この世界にいたギゼンは、ブドウ畑の葉の実り方でいまがいつごろなのか直ぐに分かった。
展葉の時期を迎えたブドウ畑から三月下旬であろうことと、以前とは比べにならないほどのどかな空気と土の匂いの性か彼は泣いていた。
勿論、悲哀ではなく「平和」な世界が訪れていると感嘆したのだ。
感情に左右される自分を必死に抑えるギゼンは、あの世界で力を託された師匠の言葉を思い出す。
『…いいかいギゼン。君はこれから多くの人やエルフ、魔物に会うことになる。これは君が大きな力を持つが故の代償だ。かつての自分もそうだった。感情任せに行動した結果、多くの仲間たちを失って身も心も地獄の劫火で焼かれている気分だった。そんな目に君を遭わせない為にもこれから言うことをよく覚えておくんだ。―――いいかい感情を自分でコントロールするんだ。出来なければ、心を強く持って抑えるんだ…』
広大なブドウ畑とブドウ畑の間を割るように作られた道を歩き続けて十分ほど。
農家と思しきそういう家が見当たらず途方に暮れていたギゼンは『二キロ先、酒場リスガール』という折れた看板を見る。
折れたというよりは、何者かによって折られた看板を見る限り大凡の見当はつく。
悪鬼ゴブリンが持つ片手斧の刃の大きさに似る痕跡と大量の魔物の血液を見る限り、ここで小競り合いがあったのは明白。
足跡から魔物の数四に対して、兵士もしくは戦士が三人のパーティーが二つといったところ。
「ふーむ、」
大抵この手の戦闘を終えた兵士や戦士という人種は、自分の家宅に帰る前に一杯何処かで酒を盛るものだ。
実際二千年前の戦争で帰ってきた英雄たちは、失っていく仲間と苦い戦いを忘れるために狭い敷地に設けられたブドウ畑で栽培された決して美味しいものではないワインを皆で分かち合う。
まだ子供だった時分に指導者がくれた赤ワインは、苦く水っぽい味がしたことを今でもこの舌が記憶している。
あの懐かしい味をもう一度嗜みたいとは思う…が、いまは世界の現状を知る人間に出会うことを優先してドアのない酒場に入る。
店内には重量や軽量な装備にショートソードや両手持ちのハンマーを床に置いた強面の戦士が六人、昼間時にも関わらずべろんべろんに酔っぱらった真っ赤な顔をした呑んだ暮れが二人、カウンターの奥で今月分の稼ぎを数える店員の九人が目に入った。
店に踏み込んだ矢先、店内にいる人間の視線がギゼンに降り注ぐ。
視線を交えることなくギゼンは、真っ直ぐ歩いてカウンター席に腰かける。
六人の戦士はお互いに顔を見つめ合い、何か決めた様にひとつの陣を形成し酒場に転がり込んで来た餌に喰らいついた魔物、悪鬼ゴブリンのように追剥ぎを仕掛けようとした。
が、その悪意は五秒と持たずに喪失する。
これはただ単に威嚇だ。
敵陣を強襲する際、付近の無人の建物を吹き飛ばすことによって味わう恐怖感と同じ。
人間だけでなくこの世界で生きるすべて生命には、魔力が備わっている。
個人によって魔力量は異なり、魔力を肌で感じる感受性も人それぞれだが一定の許容量を越えた場合、魔物であろうとも意識が飛んでしまう。
ギゼンは魔力を一気に放出させ十秒の間、垂れ流しにした。
二千年前の一般的な戦士の魔力量は平均して六百前後、それに対してほとんど密閉された空間で一気に放たれた魔力に抗う術があるならば、気力と少なくとも八百以上の魔力量が必要になる。
バタバタと倒れていく戦士たちの中でひとりのハンマー使いだけが、ヘロヘロになりながらもギゼンに向かって来ていた。
「な‥なん、なんなんだテメェは―――、」
ギゼンは振り返ることなく魔力を彼に向けて、瞬間的に発動させた。
魔力を一旦閉じ込めゼロに、水道管の蛇口を壊して一気に放出するように一秒という世界に解き放たれた魔力数値二千を感じ取った戦士は凍りつく様に停止した図体は床へ一直線。
本来ならば心臓発作を起こしても可笑しくないのだが、戦士は泡を吹いて気絶している。
ハンマー使いの戦士に全く持って興味の一端も湧くことがないのか、カウンターに置かれているボトル詰めされたワインの銘柄を見る。
どれもこれも初めて見るボトル詰めされたワインが飾りだとでも思ったのか、取手付陶製容器アンフォラを探し始めるが一向に見当たらない。
あるのは妙に重い樽ばかりが倉庫に寝かされていた。
仕方なく勘定を数えていた店員がまだ口にしていない冷めた乳白の液体を自分の座るカウンターテーブルに置いて、砂糖をたっぷりと混ぜて掻き混ぜる。
そこへ丁度いいのか悪いのか、二人の客ではない来訪者が店の敷地を跨いだ。
ギゼンに備わっている感受性が脳に訴えかけてくる。
匂いから一人は齢四十過ぎの男性、魔力量は一般的な戦士とりも僅かに上の九百ほどに対してもう片方の女性、少女の魔力は根本的に別格。
二千年前の魔力量の基準と価値観はそれぞれ個々の戦士の強さを示していた。
例えば三十過ぎの農民だろうが、十にも満たない子供だろうと魔力量五百以上もあれば十分役に立つとされ戦場に駆り出される。
魔力量一千を越えてくると、中規模の魔法が行使できるため魔導士見習いとして遠距離からの後方支援として戦力投資される。
五千を越えれば立派な魔導士として扱われ、王宮専属魔導士の称号という大きな地位が与えられる。
流石に一万を越えた戦士はいなかったが、少女の魔力量は男性の約十倍と非常に高い。
彼等との距離数メートルに迫った辺りで男性が危険を察知したのか、女性を呼んだ。
「姫様、」
その言葉の意味合い、姫というのは聞き覚えがなかったが「様」付けするということは男性よりも少女の方が高い地位の人間になる。
国の重要人物であることを察してスプーンでミルクを掻き混ぜることを止める。
敵意を見せないように両手を頭の上まで挙げる。
「何者だ」
その質問に両手を上に挙げたまま席から立ち上がって答えた。
「俺の名前はギゼン、見ての通り…人間さ」
「面を向け」
彼の言う通りに行動したギゼンが一目散に瞳に映ったのは、黄金の髪に青い瞳をした少女。
二千年前、覇王として人類の希望支えとなった娘フェアリスの容姿そのもの現身と言っても過言ではない。
あまりにも美しい少女に対してギゼンは思わず、彼女の名前を聞いた。
「アンタの名前は、」
この国で彼女の名前を知らない者はいない。
つまりこの時点で目の前の青年が国外の者と断定されたことを意味し、彼女の前にて中段で拳を構える彼は目の色を変える。
鋭い眼光は魔物を殺すために用いる殺気が空気を締め付けて、呼吸が鈍る。
それも束の間、男性の真横まで出てきた少女は左の掌で「待ちなさい」と静止の合図をした。
「な、」と彼が口を出す前に少女がギゼンの質問に答える。
「わたしの名前は、ナターシャ=リレイン。この国ヘイブンの王女です―――」
ギゼンは、そうかと胸を撫で下ろす。
通りで似ている訳だ、彼女ナターシャ=リレインは二千年前…自分が仕えていた覇王の血を分けたリレイン家の人間なのだから。
―――これは二千年という長い長い年月、世紀を越えてリレイン家の血筋を継ぐナターシャに出会った青年ギゼンの物語。
彼が答える選択が世界と彼女ナターシャの命運を分け、自らの力とこれから出会う仲間たちの軌跡は次第に一本のレールに変わり伝説を創る彼等の「夢物語」はここから始まる。
いかがでしたでしょうか、次話から漸く始まる本編。
新しい登場人物などを交えながら、今回のお話【#003】冒頭へと繋がる予定です。
楽しみにお待ち下さい。
ではでは、おやすみなさい(-_-)zzz。