夜行列車のピエロ
「夜行列車のピエロ」
遠く離れたところに越してきて、都会に出るには夜行列車を利用する。
夜の景色を楽しむために、安いワインとアルコールランプを駅の売店で購入した。
寝台車の個室に乗り込み、しきりのカーテンを締め切る。
窓に暗い映像が映り、ぼんやりとかすんで見える。
真夜中を越えて、安ワインのコルクを抜いて、ラッパ飲みした。
窓は一種の劇場と化して、舞台の端からピエロが顔を出した。
「こんばんは、レディースエンジェントルメン。これからショウを楽しまれるすべての方に幸あれ」
ピエロは玉乗りに挑戦し、夜行列車の窓は華やかににぎわう。
ピエロの空想に私が飽きて来ると、空中ブランコがスリル満点に登場した。
アルコールランプを点けると幻影はかき消され、私の顔が暗い窓ガラスに映し出された。
突然その顔がグニャリと変形し、ピエロの顔がわたしの顔と対面した。
「ショウを中断しちゃ、いけないな。最後まで付き合いたまえ」
肩をつかまれ、私は窓に映るサーカス団に引き込まれた。
夜明けまでに帰してくれると約束してくれたが、その真意は定かではない。
夜行列車が最初の駅にたどりつくと、サーカス団はあわてて暗がりに避難し、私においてけぼりをくらわした。
空の星が、太陽の光に追いやられるように彼らもすがたを消した。
私はアルコールランプのか弱い光を頼りに窓にたどり着いた。窓を乗り越え、元の場所に収まると、いつの間にか夜は明けていた。
カーニバルの後のように窓には靴や玉乗りの玉がおきざらされている。
子供が曇ったガラスに落書きしたみたいに、それらのグニャリとした形には、何かしらリアリティがあった。
安ワインに誘われた幻影だったのだろうと思っていると、窓の隅から化粧を落としたピエロ役の男が現れ、はずかしげに道具を拾って歩いていった。
「観客が少ないんだ、また今度会おう」
男はそう言うと、窓の曇った部分に飛び込み、消えてしまった。
夜行列車は時折行方不明者が出る。
夜中の幻影についていって、そのまま観客となってしまうのか、それとも座員に加わるのか。
あれ以来、私は夜行列車の利用を控えることにした。
暗く曇ったガラスにはいまでも危機感を覚える。
そう言えば、化粧を落としたピエロは、どこかしら私に似ていた気がする。
彼も誘われて、夜行列車の窓に住み着いたのだろうか。
夜行列車の窓から見る風景は素敵だが、もう二度と覗く気がしない。